筑波大学は、コウモリが翼を獲得できた仕組みを解明する一環として、翼内部(「飛膜」)に侵入する筋組織に焦点を当ててその形成過程を発生学的に調査したところ、この筋組織は既存の筋肉から「飛膜原基」の形成に伴って新たに形成されることが明らかになったと発表。併せて、遺伝子発現をコウモリとマウスで比較したところ、コウモリではシグナル因子の遺伝子「Fgf10」(繊維芽細胞増殖因子10の略)が飛膜形成予定領域ならびに飛膜原基の内部に分布する細胞集団で発現することがわかったほか、Fgf10を発現する飛膜内部の細胞集団は翼の筋細胞に付随する結合組織であり、2つの組織の分布パターンが重複することも判明したと発表した。

成果は、筑波大 生命環境系の土岐田昌和助教(現・ハーバード大学研究員)、同・大学院生命科学研究科 博士前期課程 生物科学専攻1年の阿部貴晃氏(研究実施時は学群4年生)、和歌山県田辺市ふるさと自然公園センターの鈴木和男氏らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、現地時間12月18日付けで英国オンライン専門誌「Nature Communications」に掲載された。

ほ乳類が多様化を遂げて陸上のみならず樹上、地中、水中、空中にまで進出できた要因の1つとして、四肢の形状の多様化を挙げることができる。その中でもユニークな一群がコウモリ類だ。

コウモリ類は、前肢(腕と手)と後肢(脚と足)を翼に作り替えることで、空中を自在に飛び回ることができるようになった。その結果、コウモリ類は種数においてげっ歯類に次ぐ大グループとして成功したというわけだ。

その一方で、コウモリ類が翼を獲得して進化した過程については謎に包まれている。コウモリ類は樹上性の小動物から進化したとされているが、翼の獲得を跡付けるような化石(中間化石)は現在までのところ発見されていない。

そのため、具体的な進化の道筋に関する説は提唱されてこなかったのである。今回の研究では、コウモリの翼の発生機構から、コウモリの進化の謎に迫ることにした次第だ。

コウモリ類の進化においてカギを握る翼は、飛膜とそれを支える骨や筋肉で作られており、鳥類の翼とは大きく異なった構造をしている。例えるとしたら、腕に羽が生えたものが鳥類の翼であり、それに対するコウモリの翼は腕と手の指から後肢の足首と尾にまで広がる飛膜と呼ばれる膜で覆われたものだ。

この飛膜は、前膜(腕と頸の間の膜)、指間膜(親指を除く指の間の膜)、体側膜(小指と後肢の間の膜)、腿間膜(後肢と尾の間の膜)という4つの部位に分けられる(画像1)。これらの膜の形成については、指間膜に関する研究があるのみだった。

ほ乳類の発生初期の胎児には、指の間に水かきのような指間組織が存在する。ほとんどのほ乳類では、発生が進むに従って指感組織がプログラム細胞死「アポトーシス」を起こし、水かきは消失していく。ところが、コウモリでは、シグナル因子Fgfによって、指間組織のアポトーシスが抑制されることによって、指間膜が形成されるというわけだ。

画像1。コウモリの飛膜の構造。prp:前膜、chp:指間膜、

今回の研究は、コウモリの飛膜形成を考察するに当たり、飛膜内部に侵入する筋組織に焦点が当てられた。コウモリは、飛膜内部に筋組織が侵入しているため、飛膜の形状を維持・変化させることで翼を羽ばたいて飛翔することが可能になったとされている。

この特徴はすべてのコウモリ類が備えており、この筋組織の獲得がコウモリの飛翔適応に重要であったと考えられているというわけだ。研究グループは、この筋組織の形成過程を詳細に解析することで、新規な筋の形成と飛膜の形成因子について考察したのである。

まず、翼の筋の形成パターンを調べるために妊娠段階の異なる雌を捕獲し、胚(胎児)発生の異なる段階について、筋細胞、「筋芽細胞」を染色した上で、筋の形成の観察が実施された。

これにより、翼の筋となる筋芽細胞の細胞塊が、翼の原基の形成に伴って誘導されること、翼の原基の成長に伴った翼の筋芽細胞塊が飛膜外縁方向へ伸長していくことが判明したのである。

また、骨格筋や皮筋は運動神経の支配を受けることにより収縮、弛緩が可能になるが、筋の神経支配パターンは筋の発生学的起源を反映することは判明済みだ。

そこで、免疫染色法を用いて神経組織を特異的に染色することで、その神経支配パターンを調べ、翼の筋の発生学的起源が推察された。神経支配パターンは胚の連続切片を作成して神経、骨、筋組織を染色し、それらの連続切片の画像情報を基に3Dモデルを組み立てることで検討がなされたのである。また併せて、遺伝子発現の検出、コウモリとマウスの発生過程の比較も行われた。

コウモリの翼の筋が形成される様子を詳細に記述し、形成過程における筋と飛膜との関係性が調べられた結果、翼の筋も他のほ乳類と共通の筋芽細胞塊から誘導されており、この誘導は飛膜の形成に伴って起こることが判明したのである。

また遺伝子発現の比較から、一般に肢芽形成に関するシグナル因子の遺伝子であるFgf10がコウモリでは飛膜原基が形成される予定領域で発現し、その発現が飛膜原基においても見られること、飛膜原基内部での発現パターンが翼の筋のパターンと重なることがわかった(画像2)。

なお、これらのことからコウモリの翼の筋は飛膜によって誘導され、この筋と飛膜原基の形成にFgf10遺伝子が関わっている可能性が示唆されたのである。

画像2。マウスとコウモリにおけるFgf10シグナル発現の比較。コウモリではFgf10遺伝子発現領域(青色部分)が肢芽だけでなく、飛膜が発生する領域にまで拡張することで飛膜の形成が促される

現在発見されているコウモリの化石の中で最古なのは、約5200万年前に生息していたとされる「オニコニクテリス」という種だ。オニコニクテリスは、現在のコウモリとほとんど変わらない姿をしているのが特徴だ。

ほ乳類の出現時期とオニコニクテリスの化石年代から、コウモリの進化は比較的短期間で起こったといわれており、コウモリの進化は発生に関係する遺伝子の少数の変化によって起こったとの説がある。

ほかの研究結果も踏まえると、コウモリが翼を獲得するに当たってはFgfシグナルの変化が関与したとも考えられるという。研究グループによれば、さらなる検証が必要だとするが、コウモリの急速な進化にはFgfシグナルの変化が重要な役割を演じた可能性が、今回の研究成果によって示唆された形だ。

今後の課題としては、コウモリ特有のFgf10シグナルと飛膜形成の因果関係、および何がコウモリ特有のFgf10シグナルを引き起こしたの解明が挙げられる。

またコウモリ以外にも、ムササビやヒヨケザルといったほ乳類も飛膜を獲得しているが、それらは滑翔するのみで、飛膜を羽ばたかせての飛翔能力は備えていない。そうしたグループとの発生パターンの比較ができれば、ほ乳類において複数の系統で飛膜という構造が独立に進化した仕組みが見えてくるかも知れないとしている。