東京大学は10月30日、ピロリ菌感染した胃などに腸の細胞が現れる現象で胃がんの前がん病変とされる「腸上皮化生」発症において、幹細胞性に関わるリプログラミング遺伝子が異常に活性化され、胃細胞から腸細胞への病的な細胞分化が引き起こされることを明らかにしと発表した。

成果は、東大大学院 医学系研究科 病因・病理学専攻 微生物学講座の畠山昌則教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、現地時間10月29日付けで米国科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」オンライン版に掲載された。

胃がんは、世界で年間70万人が死亡する原因となっているがんだ。特に日本は胃がんの罹患率が非常に高く、胃がんはがんによる死亡原因の中で2番目となっている。胃がんの種類の中で大部分を占める「分化型胃がん」は、「腸上皮化生」と呼ばれる胃粘膜病変を前がん病変として発症すると考えられているところだ。

腸上皮化生は、胃の粘膜の中に腸の細胞(多くは小腸の細胞)が出現する現象だが、どのような仕組みで胃の細胞が腸の細胞に変化するのか、なぜ胃がんの発症につながるのかについては長年不明のままだった。

ピロリ菌の感染は胃がんの重要な危険因子として知られているが、中でも「CagA」という病原因子を産生するタイプのピロリ菌感染は、CagAを作らないタイプのピロリ菌感染と比較して、腸上皮化生を含めた胃粘膜病変の発症とより強く相関する。

CagAはピロリ菌が保有するミクロの注射針により胃上皮細胞内に注入される畠山教授らはこれまで、CagAの持続的侵入により、胃の細胞内に本来腸に特異的に存在する転写因子「CDX1」が異所性に発現されることを明らかにした。

腸上皮化生を示すヒトの胃粘膜にはCDX1が異所性発現していることが知られており、動物実験の結果からCDX1を発現させた胃粘膜では腸上皮化生が発症することが報告されている。このことから、CDX1が腸上皮化生の発症機構に関わることが推察されるが、CDX1がどのようなメカニズムで胃の細胞を腸の細胞に変換させるのかについてはまったくわかっていなかった。

今回の研究では、腸上皮特異的転写因子CDX1を条件依存的に異所性発現させるヒトの胃の細胞株を樹立し、CDX1が転写因子としてどのような遺伝子群の発現を制御しているのかを、DNAマイクロアレイ解析技術を用いて全ヒト遺伝子の中から探索が行われた形だ。

その結果、CDX1は胃の細胞において、iPS細胞やES細胞の樹立・維持に関与する「SALL4」ならびに「KLF5」という「リプログラミング遺伝子(幹細胞性遺伝子)」を異常に活性化することが判明したのである。

一方、CDX1を発現した胃の細胞では、腸の幹細胞に見られる遺伝子群の発現に続いて、腸の分化した細胞に見られる遺伝子群の発現が観察され、さらにSALL4とKLF5を発現できないようにした細胞ではCDX1によるこれらの遺伝子の発現が起きにくくなることが明らかにされた。

以上のことから、CDX1はSALL4・KLF5という幹細胞性の転写因子を異常に活性化させることにより、胃の細胞を一度幹細胞様の状態に脱分化した後に腸の細胞へ再分化させていることが示唆されたのである。

今回の研究は、胃の細胞が腸の細胞に病的変換する際に、一度ある程度未分化な状態に戻ることで複数種の異常な腸細胞を作り出していくというモデルを示すものだ。

ピロリ菌感染による腸上皮化生の発症において、幹細胞性転写因子が異所性に異常発現・活性化する結果、iPS細胞に見られるような細胞分化のリセット機構が実際の病気の進行過程で起きることを示した初の報告になる。

組織幹細胞の性質はさまざまな細胞生物学的比較で「がん幹細胞」に近い部分が多々あり、胃細胞のリプログラミングにより生じた未分化な状態の細胞は、胃の細胞にも腸の細胞にも分化できる異常な能力を持つと共に容易にがん化しやすい性質を獲得すると考えられるという。

すなわち、こうした細胞のリプログラミング機構は腸上皮化生のみならず胃がん発症にも深く関わることが推察され、この機構を阻止することで胃がん発症の予防が可能になることが期待されると、畠山教授らはコメントしている。