今も妖怪が通りを練り歩く!?

794年の平安京遷都以来、約1,300年にわたる歴史が息づく街・京都。この街には多くの寺社仏閣が立ち並ぶためか、様々な伝説や不思議な言い伝えが数多く存在している。そのひとつとして、「京都には妖怪が現れる道がある」という話を、皆さんは耳にしたことはあるだろうか?

“百鬼夜行”の伝説が息づく一条通

京都の道は碁盤目状になっている。北から順に一条・二条・三条…と続き、十条まで東西を結ぶ道がある。それらの中で最も北にある一条通が、噂の「妖怪ストリート」だ。北野天満宮から歩いてすぐの場所にあり、観光客にも利用されている華やかなこの通り。なぜ妖怪が現れると言われるようになったのか?

それについて、商店街をサポートしている、妖怪ストリートアドバイザーの河野隼也さんはこう回答した。「一条通の大商銀商店街にはかつて、古道具が妖怪に変身して夜中に大行列をした“百鬼夜行”の伝説があるんです。そこで、2005年より百鬼夜行の通り道を“妖怪ストリート”と銘打って、妖怪をテーマにした町おこしを行うようになりました」。

「出た!」まさしく妖怪が登場!?

その昔、赤鬼がこのように出現した?

妖怪ストリートは「付喪神(つくもがみ)絵巻」が由来

室町から江戸にかけて流布した「お伽草子」の「付喪神絵巻」によると、平安時代、ある年のすす払いの際にいらなくなった古道具が大量に捨てられたという。古道具たちは人間に復讐(ふくしゅう)するために、陰陽道(おんみょうどう)の秘術をもって妖怪に変化(へんげ)。山賊のように徒党を組んだとのこと。さすが京都というべきか、道具のくせに陰陽道の知識を持っていたというのだ。

この古道具の妖怪が“付喪神”である。彼らは変化できたことを神に感謝し、その感謝の意を込めた儀式が百鬼夜行だと言われている。その百鬼夜行を現代に蘇らせようと「妖怪ストリート」が誕生したというわけだ。

町おこしに妖怪が一役買う

妖怪アートフリマモノノケ市にも妖怪は登場

京都の場合、街の中心部は四条通であり、そこから離れた場所の商店街はどうしても人が集まりにくい。そのため、何とかして話題を作って集客する必要があった。そこで一条通では年に5回、「妖怪アートフリマモノノケ市」を開催するなどイベントを実施している。

また、一条通の百鬼夜行を再現した妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」の日には、全国の妖怪作家が集まってオリジナル妖怪グッズ販売も行っているのだとか。「この日は旗揚げの時から協力してくれている、妖怪藝術団体百妖箱が扮(ふん)する妖怪たちにも出合えますよ」と河野さん。

当日は、妖怪に扮した人たちが通りを練り歩き、それを観ようとする人たちで商店街が活気にあふれるそう。「妖怪は、その土地の歴史や文化と密接に関わっています。そのため、歴史ある京都の商店街がイベントテーマとして掲げるのにぴったりだと思いました」と河野さんが言うように、京都の町並みと妖怪の相性は抜群だ。

その店ならではの妖怪メニューで妖怪ファンを惹き付ける

イベント当日は大勢の人で賑わう

イベントの日は、全国から大勢の人が集まり大変な賑(にぎ)わいになるそうだ。また、商店街ではイベント以外の日にも観光客などに足を運んでもらえるよう、工夫をしている。各店舗前に設置された手作り妖怪が街の名物になっているのをはじめ、店舗ごとに妖怪にまつわるオリジナルグッズを制作している。ユニークなものとしては、「妖怪ラーメン」といったようなものまである。

河野さんは、妖怪ストリートについて次のように分析している。「妖怪ストリートは、この場所や、妖怪そのものが好きな学生や作家たちが、自分たちの活動の“場”を求めていることで成り立っています。また、ITの発達により全国各地の妖怪ファンと商店街がつながったことも大きかったですね」。

観光客が少なく、苦境に立たされていた商店街に注目が集まり始めたのは、やはり妖怪の力のなせる技かも!? 京都に行ったならぜひ、妖怪に会いに足を運んでいただきたい!