早稲田大学(早大)と京都科学は、医療ロボットの1つとして、意識不明・呼吸停止状態の重傷患者の呼吸を確保するための医療技術「気管挿管手技(挿管)」の訓練と評価を行うための「ロボティック気道管理シミュレータ(手技評価と挿管困難症例の再現が可能な気道管理シミュレータ)」の製品プロトタイプを発表し(画像1)、2012年中にさらなる改良を施して製品版として発売することを発表した。

画像1。ロボティック気道管理シミュレータ。両腕はなく、顔からみぞおちぐらいまでの上半身型ロボット

そして製品プロトタイプが展示され、実際に同ロボットを使った挿管手技も披露。さらには、筆者ら取材陣にも挿管手技を体験させてもらった。その模様をお届けする。

早大といえば、故・加藤一郎教授が1960年代にスタートさせて、それ以来研究が連綿と続けられている、日本のロボット開発の草分け的存在であることをご存じの方も多いだろう。医療ロボットに関しては、1980年代から研究が進められてきた(画像2・3)。

今回のロボティック気道管理シミュレータは、早大 創造理工学部 総合機械工学科教授兼ヒューマノイド研究所所長の高西淳夫工学博士が指揮を執り、早大 理工学術院・理工学研究所 研究院講師の石井裕之工学博士らによって開発された(画像4・5)。

画像2。近年開発された早大製ロボットの1つ「WABIAN-2」。人に近い、「ヒザを曲げずに歩ける」ロボット。日立製作所の歩行支援機の評価をしているところで、右がヒザを伸ばした歩行

画像3。1986年に早大で開発された、患者シミュレーションロボット「WY-5R」と治療用ロボット「WOJ-1R」

画像4。高西淳夫工学博士

画像5。石井裕之工学博士

また、医療系のシミュレータなどに詳しい方はご存じかと思うが、京都科学は島津製作所の標本部に端を発し、明治28年までさかのぼれる(会社が独立したのは昭和23年)非常に歴史のある会社で、実は日本人なら必ず小中学生時代に見たというか、気味悪がったというか、とにかくインパクトのあるものを作っている会社である。

そう、どこの小中学校でも、夜中になると理科室で動き出すとウワサされたアレ、人体模型を作っているのが京都科学で、そのリアルさから圧倒的なシェアを誇っているのだ。単に外観がヒトとしてリアルというだけでなく、直接見えないような骨格なども考慮した作りになっており、だからこそ動きそうなのである(画像6・7)。

画像6。株式会社京都科学の代表取締役社長の片山英伸氏。「学校の人体模型の怪談を誕生させたのは当社のせい(笑)」とお詫び(?)をいただいた

画像7。創立から5年を経た頃、昭和28年(1953年)年頃の人体模型製作工場風景。やっぱり怖い

ただし、近年はそうした精巧な人体模型などで培った技術を応用した医療用シミュレータを開発しており、こちらもそのリアルさから海外も含めてかなりのシェアを獲得している(画像8)。

画像8。世界初の医療手技訓練用シミュレータである「縫合手技評価シミュレータ」。2009年に実用化

ロボティック気道管理シミュレータは、そんな早大の理工学術院の高西淳夫教授の研究室と京都科学が2005年から共同研究を開始し、画像8の縫合手技評価シミュレータに続いて開発された医療系シミュレータの第2弾である。

同シミュレータは、挿管手技を磨くためのものなのだが、そもそも挿管とはなんぞやというところから説明しよう。海外ドラマの「ER 緊急救命室」など医療系のドラマを見ている人ならご存じかと思うが、呼吸停止状態の患者の肺に空気(酸素)を送り込むため、口からチューブを気道に差し込む医療行為を「挿管(そうかん)」という(画像9)。

画像9。挿管の模式図。命を救うためなので致し方がないが、実はかなり体には負荷がかかる。配付資料より抜粋

「口の中にチューブを突っ込めば済む話では?」と思うヒトがいるかも知れないが、そんな簡単な話ではないのだ。確実に肺に空気を送り込むためには、気道にしっかりとチューブを差し込まないと行けない。喉のレベルではなく、もっと下、食道と分岐した肺につながる気道に差し込まないといけないのだ。間違えて食道に差し込んで空気を送ったら、胃が破裂して死亡、なんてこともあり得るのである。

かといって、気道の奥深くまで差し込みすぎると、今度は気道が左右に分岐したそのどちらかの先まで行ってしまうため、片肺にしか空気を送れないという事態になってしまう。

こう書くと、ゆっくり落ち着いて作業すれば誰だってできるだろうと思うかも知れない。確かに、筆者も体験させてもらって時間をかければなんとかなりそうと思ったが、実際の医療現場で許される時間は、長くて1分。もはや自発的な呼吸をしていないというのは非常に危険な状態なので、30秒で済ませるのが望ましい。なので、3分もかけてしまったら、助けられるものも助けられなくなってしまうというわけだ。

そんなに挿管が難しいのなら、無理しないで人工呼吸にすればいい気もするが、手術の際に誰かが人工呼吸を行っていたら、ジャマで仕方がないのはいうまでもない。よって、す速く挿管して呼吸を確保し、緊急手術を実施する必要があるというのが、緊急医療現場なのである。

では、挿管は時間がないから難しいのかというと、実はそれだけではない。挿管そのものが難しいのだ。挿管を行う際は頭頂部側に立って、右手の親指で下の歯を、人差し指で上の歯を押し(親指と人差し指がクロスした状態になる)て口を開け、登山用具のピッケルのような形をした「喉頭鏡(こうとうきょう)」(画像10)と呼ばれる医療器具を喉の奥の方まで差し込んで、舌を下あご側に押しつけて口の中を広げ、気道が見えるようにする。

そこへチューブ(画像11)を差し込めば完了なのだが、力の加減がわからないと、口を開くのに上下の歯をこんなに力強く押してしまっていいのかどうか不安だし(実際、挿管時の事故で歯が欠けてしまうということがある)、喉頭鏡をそんなに喉の奥まで突っ込んでいいのかどうかも不安(意識があったら、たぶん嘔吐反射があってオエッとなりそう)もある。さらに、人の喉の奥にまでチューブを差し込むなんて、本能的に怖い。

画像10。登山用具のピッケルのような形をした喉頭鏡。これを口の中に入れて舌を押さえるのだが、喉に突き刺さりそうで怖い

画像11。チューブ。この上に「バッグバルブマスク」をくっつけて手動で空気を送り込む(もちろん、機械を使うこともある)

それを長くても1分、しかも患者の命がかかっているという強烈なプレッシャーのかかる中でしなければいけないのだから、経験のない人間がいきなり実戦となったら、手が震えて何もできない、なんてことだってあるだろう。

では、医学生たちがこれをどこで練習したらいいかとなったら、海外だと患者を演じる役者が医学校が多数雇っているそうだが、いくら役者がいたとしても、意識のある人間が患者を演じているのでは絶対に無理な部分もある。

このように、現状では訓練が困難な医療手技の1つが挿管というわけで、しかも生命維持に必要な基本中の基本であることから、そのトレーニングを行える仕組みや技能を容易に評価できるシステムを作る必要があると高西教授らは考え、今回のシミュレータ開発に至ったというわけだ。

もちろんロボットなので、役者のように嘔吐反射はないし、力の入れ具合などを間違えてもそう簡単には壊れないし、よしんば壊れたとしても交換すれば(お金はかかるけど)済むし、センサが取り付けられているので評価も客観的で非常にしやすいというわけだ。

開発は前述したように2006年から行われており、2007年に「WKA-1R」(画像12)、2008年に「WKA-2」(画像13)、2009年に「WKA-3」(画像14)、2010年に「WKA-4」(画像15)、そして今回の製品プロトタイプのというわけだ(「WKA-5」の位置付け)。

画像12。2007年のWKA-1R。配付資料より抜粋

画像13。2008年のWKA-2。配付資料より抜粋

画像14。2009年のWKA-3。配付資料より抜粋

画像15。2010年のWKA-4。配付資料より抜粋

ヒトを模したシミュレータだけあって、外見はもちろんのこと、とにかく内部もリアルなのが特徴だ。下あごのように外からでもわかる部分だけでなく、歯や舌、喉(もちろん、のどちんこもプランとぶら下がっている)、さらには気道、食道も備わっている。さすがに唾液までは再現されていないのでヌメヌメしていたりはしないが、とにかくすごい(画像16~18)。

画像16。ロボティック気道管理シミュレータを別角度から

画像17。ロボティック気道管理シミュレータの内部構造

画像18。ロボティック気道管理シミュレータのサイズ。配付資料より抜粋

関節として、口の開閉、後ほど紹介するが下顎の前後、頸部(首)の屈曲の3種類があり、アクチュエータは後頭部側に3個搭載されている。口を無理に開かす時の感覚とか、あごを突き出す状態で首を曲げる際の感触もなんだかヒトみたいで、気持ち悪いほどだ(画像19)。

そしてセンサが多数搭載されているのも特徴だ。上あご切歯に力センサが2個、下顎前後方向、開閉口方向、頸部屈曲方向の前述した3カ所の関節に対応したセンサが後頭部にあり、のど元に力センサが4個、気管部分にチューブの進入センサ、食道部分にチューブの進入センサ(間違えて入ってしまったのを関知する)、空気流量センサは左右気管支個別にあり、また食道にもある(画像20)。

画像19。アクチュエータの配置と可動部分。配付資料より抜粋

画像20。センサの配置。配付資料より抜粋

空気流量センサとは、間違いなくチューブを気管に差し込み、それが左右どちらか片方に入ってしまっていないかを確認するためだ。ちゃんと差し込まれた状態でバッグバルブマスクを使って空気を送り込むと、胸部が左右どちらも膨らむ。これが片方の気管支の奥まで差し込んでしまっていると、片側だけしか膨らまないし、食道ならそもそも胸が上下しないというわけである。

なお、センサはすべてリアルタイムに制御用PCに情報を送っているので、もちろんモニター上でちゃんと気管支に差し込まれているかなどが確認できる仕組みだ(画像21)。

画像21。評価画面。左が項目別に点数が表示されるエリアで、右がセンサからの上方を表示する画面。チューブがどこまで差し込まれているか、間違っていないかなどがわかる

また、スペックは以下の通りである。

  • 製品仮称:手技評価と挿管困難症例の再現が可能な気道管理シミュレータ
  • 本体全高:290mm
  • 本体設置面積:355mm×675mm
  • 総重量:8.8kg
  • 自由度数:3(あご関節×2、頸部×1)
  • 原動機:ブラシ付きDCモータ
  • 減速機:遊星ギア C* PU:Intel Core系
  • OS:Windows7/XP
  • 内蔵コントローラ:STM32
  • 力センサ:12個(切歯×2、舌×4、気管×6)
  • エアフローセンサ:3個
  • 電圧:AC100-240V(PC)/AC100-240V(本体)
  • 容量:65W(PC)/45W(本体)

それで、実際に挑戦してみた感想だが、はっきりいって難しい! そもそも、喉頭鏡の使い方からして怖い。先はもちろん丸まっていて、刺さったりするわけではないのだが、ピッケルみたいな形なので、グサっとやってしまいそうで怖い。

が、慣れている研究室のメンバーの方が作業すると、きれいに舌を押しつけてその空いたスペースの奥に気道が見えるのである。しかし、自分でやってみると、これがなかなか見えない。「こんなに力を入れていいのか?」的な怖さがあって、うまくできないのだ。

少し見えたので差し込んでみたが、やはり中途半端な状態だったようで、ちゃんと差し込めておらず、空気を送っても肺がまったく動かない、という状況であった。ただし、シミュレータならではのPCの画面を見ながら行えば、チューブがどこまで差し込まれているかとか、両肺に空気が送り込まれているかと行ったことはすぐにわかる仕組みである。

結局、時間がかかりすぎたので、評価は非常に低かった。特に、時間に関しては0点。実際の医療現場だったら、もたもたしていたせいで助けられる命を助けられなかった、という状態である。

でも、もっとやればちゃんとできそうな気もしてきたので、シミュレータの力はすごい。人間の喉の奥ってこうなっているのか! というのはやはり衝撃があり、1度見ているのと、現場でいきなり見る(しかも、現場だったら血まみれとか、もっとショックが強い可能性が大きい)のとでは、まったく違うはずで、これで訓練できれば、絶対に効果はあるはずだ。

ちなみに、こちらは、研究室のメンバーによる挿管の様子の披露(画像22・23・動画1・2)。動画1は通常の挿管で、動画2は別角度からの開口障害での作業の様子。

画像22。チューブを差し込んだところ

画像23。バッグバルブマスクをチューブに取り付けて、プシュプシュと空気を送り込む

動画
動画1。通常の状態での挿管の様子
動画2。反対側からの開口障害の挿管の様子

以上が、ノーマルの状態での体験だが、設定を変えられるのが、ロボティック気道管理シミュレータの特徴だ。「開口障害」という口が開きにくい症状、「小顎症」(動画3)という下あごが上あごに対して小さくて後退している症例、「頭部後屈困難」という首の関節が硬くて頭部を後屈させられない症例などを再現できる。また、それらを組み合わせて再現することも可能だ。

動画
動画3。小顎症を再現するため、あごが下に下がる様子

開口障害や頭部後屈困難(頸部可動制限)などの関節の柔らかさ・硬さは、「仮想コンプライアンス制御」を行っており、ソフトウェアによって仮想的に関節の柔らかさを実現している(画像24)。なお、画像中で仮想コンプライアンス制御を「要素技術2」として紹介されているが、その1については画像は割愛させていただくが、3次元デジタルモデリングで製作されたということが説明された。

これらの症例のモードで挑戦すると、さらに難しい。口を開けにくかったり、首を動かしにくいというだけで、一気に難易度が上がる感じだ。もし実戦でいきなりこんな難しい症例に当たったら、慌ててしまうのではないだろうか? ベテランの医者でもこれらの症例はちゃんと成功させるのが難しいそうで、そうした意味では、医学生や経験の浅い医者だけでなく、熟練医にとってもシミュレータはプラスになるはずである。なお、評価関数としては、熟練医や医学生から収集したデータに基づいて手技を評価している(画像25)。

画像24。仮想コンプライアンス制御について

画像25。評価関数について

また、今回の年内に発売予定のバージョンには搭載されていないのだが、今後のアップデートで搭載する予定の機能として、舌の状態を変えられる機能を開発中だ。これにより、喉頭鏡で喉の奥を見えるようにするのが困難な「舌肥大」、舌根が筋肉の弛緩で気道まで落ち込んでしまった「舌根沈下」なども再現できるようになる。要は、挿管が困難な症例を再現できるパターンが増えるというわけだ。舌の状況を変えられる様子は、開発中バージョンの外装を外した状態で披露された(動画4・画像24)。

動画4。あごの部分が動いているのがわかるだろうか。これで、舌の状態を変化させている
画像26。舌の変化のパターン

なお、この舌に関する機能に関しては、かなりハードウェア的に追加する形になるそうなので、希望する場合は一度ロボティック気道管理シミュレータ本体を回収してのアップデートにするか、別の方法を採るか、現在検討中ということである。

ロボティック気道管理シミュレータの使用目的として、経験の少ない医学生の訓練や評価ということを紹介したが、そのほかすでに活躍中の医者のスキルアップにも使える。

喉頭鏡を差し込んでの舌に加えた加重、差し込んだ位置なども前述したようにすぐわかるので、おおよそ70名の医学生、研修医、熟練医に協力を得てデータを取ったところ、舌への加重の場合は熟練医→研修医→医学生の順で、平均値で見て強くなる。つまり、熟練医はそれほど力をかけずに作業を行っており、患者の体に対して優しいのがわかる(画像27)。

また、ノーマルな状態、開口障害、小顎症の3モードに対して、熟練医に試してもらったところ、開口障害はそれほどでもないが、小顎症になると非常に難しいことが確認された(画像28)。この点からも、熟練医にとっても普段の訓練は決して無用ではないということがわかる。結論として、開発陣は臨床医による実証実験から、ロボティック気道管理シミュレータの有用性を確認したとしたとした。

画像27。舌への加重。慣れていないと舌に加重をかけ過ぎてしまう

画像28。小顎症は、熟練医にとっても非常に難しい症例であることがわかる

ただし、その70名の反応はまちまちだそうで、現場で活躍している熟練医などは、「シミュレータでは限界がある」という、実際に経験することこそ重要、というスタンスの人もいれば、大学などで医学生を教育する立場にある人の場合は、非常にシミュレータは有効と評価しているという。

自分が体験させてもらっての感想は前述した通りだが、いきなり患者相手とかは何かあったらやっぱり大変なので、シミュレータで体験しておくのはマイナスということはないはずだ。

もちろん、患者はひとりひとり状況が異なるだろうから、「シミュレータと違う」ということはいくらでもあるだろうが、同じ人間なのだから、口内や喉の構造がまったく異なるなんてことはないはずで、そうした特異な(困難な)症状も体験できるので、ロボティック気道管理シミュレータはまず間違いなく有効だと思う。

なお、余談だが、現状でなかなかサービスロボットのニーズが掃除ロボットなどわずかしかなく、家庭など一般への普及が進まない状況に対し、医療シミュレータへのロボット技術の応用というのは、非常に将来性があると、高西教授は語っている。

ちなみに、年内に発売されるバージョンの価格は、200~300万円を予定。アップデートに関しては、前述したようにその手順はまだ決まっておらず、料金なども未定。また事前に舌の機能を搭載したバージョンも開発にはもうしばらくかかるようである。

ロボティック気道管理シミュレータが普及すれば、間違いなく医療現場の、特に医学生や経験の少ない若手の医者などのスキルが向上するのは確実で、救える命が絶対に増えるだろうことを強く感じた。将来、間接的にお世話になるかも知れないので、ロボティック気道管理シミュレータの世界的な普及を期待したい。