理化学研究所(理研)と東京大学(東大)は6月15日、スピン軌道相互作用下で消失すると考えられていた電子スピンの情報が、消失したのではなく、単に見かけの形が変わっただけで失われていないことを理論的に導き出し、コンピュータを使って数値的に証明したと発表した。

成果は、理研 基幹研究所 強相関量子科学研究グループ 強相関理論研究チーム 杉本直之 特別研究員、東大 大学院工学系研究科 教授 永長直人 チームリーダーにより、最先端開発支援プログラム(FIRST)の課題名「強相関量子科学」の事業の一環として得られたもの。

半導体はムーアの法則によりプロセスの微細化が推進されてきたが、10~20年後には半導体プロセスが原子サイズにまで到達すると予想され、物理的な限界点が見えるようになってきた。そこで、従来の半導体技術と異なる原理に基づいたデバイスを開発し性能を向上させることが、技術革新の1つの流れになっている。例えば、アップスピン状態とダウンスピン状態の2通りの向きを情報として利用するスピントロニクス技術が注目されている。同技術はHDDの記録密度の向上にすでに応用されているほか、近年、スピン軌道相互作用により、電場を使って電子のスピン流を作る「電場駆動スピントロニクス」が発見され、応用に向けた研究も進められている。

しかし、電子スピンの向きは、スピン軌道相互作用そのものの影響や、固体中の不純物と電子との衝突により、容易に変わってしまう。衝突が起きるとそれぞれのスピンは、バラバラな方向を向いて互いに打ち消し合ってしまうので、固体全体ではその平均値が0になり、スピン情報は消失していると考えられていた。このため、電子スピンの寿命を延ばすことやできるだけ大きなスピンを作ることなどが、電場駆動スピントロニクスの実用化に向けた課題であった。

図1 スピン軌道相互作用下で、電子のスピン(赤色)は不純物(×)に当たって弾性散乱され、向きが次々に変っていく様子。多数の電子の集団を考えると、スピン軌道相互作用そのものの影響や、固体中の不純物と電子との衝突により、電子スピン(赤矢印)はバラバラの向きを向くので集団全体で見ると平均値は0になる(スピン緩和)。一方、スピン緩和を受ける前の情報は、「隠れた保存量」(青矢印)として保存される。大きな水色の矢印は電子の動きを表す。弾性散乱は、散乱の前後でエネルギーが変わらない散乱のことを指す

研究チームは、消失したとされる電子スピンの情報は、「実は失われたように見えているだけで、どこかにあるのではないか」と推測。そこで、SU(2)ゲージ場と呼ばれる複数種の磁場の概念を用いてスピン軌道相互作用を表現し、手計算で理論的に解析したところ、消失したと考えられていた電子スピンの情報は、「隠れた保存量」として保存されている可能性を見いだした。

次に、このSU(2)ゲージ場を導入したスピン軌道相互作用をコンピュータ上で再現し、スピン軌道相互作用の強さと電子スピンの情報を詳細に調べたところ、相互作用の強さにかかわらず、はじめにあったスピン情報(スピンの向き)は「隠れた保存量」として保存されていることを確認した。

さらに、この「隠れた保存量」が持つ特徴について理論的に調べた結果、「隠れた保存量」に移動した情報は、スピン軌道相互作用がなくなると元のスピンに戻ること、また「隠れた保存量」は、スピン軌道相互作用の変化に対して変化しにくいことが分かった。加えて、固体中の不純物と電子が衝突しても、スピン軌道相互作用を緩やかに弱くすると、失われた情報は、元の電子スピンに緩やかに復元することも明らかにした。

図2 スピン軌道エコーの概念図。赤矢印が見かけの電子スピン、青矢印が「隠れた保存量」、λはスピン軌道相互作用の強さを表す。(i)、(ii)、(iii)、(iv)では、スピン軌道相互作用の強さは一定。この時、スピン(赤矢印)は互いに打ち消し合って(緩和して)なくなっていくが、「隠れた保存量」は変わらない。その後、スピン軌道相互作用を無限の時間をかけて小さくすれば、「隠れた保存量」は変化しない((v)、(vi)、(vii))。スピン軌道相互作用が0になると、電子スピンの情報の和が隠れた保存量と一致するように回復する。この一連の現象を研究チームは「スピン軌道エコー」と名付けた

研究チームは、この電子スピンの情報が復元する現象を「スピン軌道エコー」と名付け、GaAs系などの2次元のn型半導体を表す模型(ラシュバ-ドレッセルハウス模型)をコンピュータ上に再現し、数値シミュレーションでも確認した。

図3 スピン軌道エコーの数値シミュレーション。横軸は時間(ピコ秒)。赤線が見かけの電子スピンの平均値、青線が「隠れた保存量」を表す。スピンが緩和した後(time=20.0以後(100ps以後に相当))スピン軌道相互作用の強さ(茶色と緑の差)をゆっくり小さくしていくと、「隠れた保存量」も小さくなるが有限に残っている。このとき、電子スピンは0から有限の値へ回復している(スピン軌道エコー)

今回発見した「隠れた保存量」は、スピン軌道相互作用の影響や不純物と電子が衝突しても、電子スピンの情報が失われないことを保証している。また、「スピン軌道エコー」は、隠れた保存量からスピン情報を戻すことができることを示している。今まで、電子スピンは簡単に向きを変え、全体で打ち消し合って消失すると考えられていたスピン情報が、姿を変えて生き残っていたことは、電場駆動スピントロニクスのデバイス設計の指針を根底からくつがえす発見だという。

スピントロニクスデバイスの性能は、電子スピンやスピン流を効率よく作り、それをどのくらい長い距離まで運ぶことができるかで決まる。大きなスピン軌道相互作用を使うことで、巨大なスピン流が作れることはすでに分かっており、スピン軌道相互作用が強く働く半導体と弱い半導体をスムースに接合することで、電子の感じるスピン軌道相互作用をゆっくり小さくし、その時生じるエコー現象を使うことで、大きなスピン流を効率よく長い距離まで運べると考えられる。さらに、電子の電荷にスピンの情報が加わると、より多くの情報を担うため、デバイスの省電力化につながり、小型化、高速化にも道を開くことになると説明している。