今やコンピュータに対する脅威がなくなることはないともいえる時代。…といっても、その“脅威”というモノはいったいいつからあるのか?…コンピュータウイルスの“初モノ”は、今からちょうど25年前、1986年の1月に登場した。その名を「Brain」という。今回はそのウイルスを作ったアルビ兄弟をキーマンとして紹介しよう。

 アムジャド・アルビとバシト・アルビは兄弟でパキスタンのラホールという街でパソコンショップ「Brain Computers Services」を経営し、パソコンの販売やメンテを行いながら自作のプログラムの販売を行っていた。時代としては、1984年位から本格的に普及し始めたMS-DOSバージョン3の全盛期だ。

 アルビ兄弟は、彼らが開発・販売したソフトウェアが世界中で簡単にコピーされ、不正に使われていることに我慢がならなかった。当時のソフト供給メディアはフロッピーディスク。強固なコピープロテクトが施されているわけでもなく、もちろんライセンス認証機能の搭載などはまだまだ先の話。

 そこで彼らは、販売したソフトにちょっとした工夫を凝らした。彼らのソフトをコピーすると、ボリュームラベルを「Brain」と変更しそのフロッピーディスクのブートセクタを改変してあるプログラムを埋め込む。そのプログラムとは、ソフトを起動しようとした時に「Beware of this VIRUS. Contact us for vaccination.(このウイルスに注意。ワクチンについては我々にお問い合わせを)」という様なメッセージとともに、そのソフトの著作権者であるアルビ兄弟の名前、Brain Computers Servicesの住所や電話番号などを表示するというもの。ユーザのデータを改変したりするような“悪さ”はしない。

 なんとも人を食ったようなプログラムだが、自分で「ウイルス」と名乗っているし、感染するとメモリに常駐することで、その後に挿入されたフロッピーディスクに次々と感染する、なかなかやっかいなモノだった。感染者はこれを「コンピュータウイルス」と認め、その名を彼らのショップ名からとって「Brain」と呼んだのだった。正確な統計は残っていないが、アメリカだけでも10万枚のフロッピーディスクがBrainに感染したといわれている。特にマスコミを中心として被害が拡大したため、メディアでも大きく取り上げられることとなった。

 実際にはBrain以前にもマイナーなコンピュータウイルス的なプログラムは存在していた。しかしこれほど爆発的に感染して被害者を増やしたのはこのBrainが初めてだった。ゆえに「世界初のウイルス」なのである。

 アルビ兄弟が産み落としたこのBrainには功罪がある。「罪」はもちろんウイルスとして感染を広げたこと。しかし「功」は、「不正コピー」が横行していることを世に示したこと。さらにBrainの脅威によって、「ウイルス対策」の必要があるという意識を広めたこと。ウイルス対策ソフトの多くは、このBrainをキッカケとして開発が始められている。

 Brainの公開後、アルビ兄弟は特に変わることなくショップの経営を続けた。それどころか、Brain Computer Servicesは現在ではBrainNETと名を変えてパキスタンの大手プロバイダとして存続している。

 アルビ兄弟がBrainウイルスを放ったこと、それは必ずしも手放しで賞賛できることではない。しかしその後のITの歴史を大きく変えるある1つの大きなターニングポイントとなったことは確かである。

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この記事はキーマンズネットで連載された過去記事を転載しています。