日本原子力研究開発機構(JAEA)の研究グループは、独ヘルムホルツ研究センター・ドレスデン-ロッセンドルフと共同で、水溶液中における四価セリウム(Ce(IV))の溶存錯体の化学構造を解明したことを発表した。同成果は、JAEAの池田篤史博士研究員(現 ヘルムホルツ研究センター・ドレスデン-ロッセンドルフ 博士研究員)、矢板毅研究主幹、ヘルムホルツ研究センター・ドレスデン-ロッセンドルフ 津島悟研究員、Christoph Hennig上級研究員、Gert Bernhard教授らによるもので、3月8日に英国化学会の論文誌「Dalton Transactions」にcommunication論文としてオンライン掲載されたほか、同英国化学会の一般化学情報誌「Chemistry World」(電子版)においても注目研究として取り上げられた。

希土類元素、とりわけランタノイドは、その特異な電子配置のため特有の物理的性質を示すことが知られており、磁石、蛍光体、二次電池、光学ガラスといった高機能工業製品の材料として利用されている。また、近年では、次世代クリーンエネルギー候補の1つである水素エネルギーの貯蔵材料の構成元素としても利用されるようになってきた。

希土類元素の1つであるセリウム(Ce)は、希土類元素の中で唯一、溶液中において三価(Ce(III))と四価(Ce(IV))の2つの酸化状態を安定的に取る元素として知られている。水溶液中におけるCe(IV)→Ce(III)還元反応に関する還元電位は約1.6~1.7Vと大きく、このため、Ce(IV)の水溶液は強力な酸化試薬として、有機合成を始めとした様々な分野において必要不可欠なものとなっている。また、近年では、水分子から水素・酸素ガスを生成する触媒反応の研究において、金属触媒を活性化させるための強力な酸化剤としてもCe(IV)水溶液は多用されるようになってきた。

このように化学試薬として有益なCe(IV)水溶液だが、Ce(IV)がどのような化学状態で水溶液中に存在しているかについての知見はこれまでほとんど無いため、Ce(IV)水溶液が関係する酸化・還元反応における反応機構についても、その多くが未解明のままであった。

研究グループは、大型放射光施設SPring-8を始めとした放射光施設を用いたX線分光法を用いて、希土類元素を始めとした金属イオンが各種溶液中で形成する溶存錯体の構造を解明してきており、これらの経験を基に、今回の研究では、大型放射光施設SPring-8での放射光X線分光実験と密度汎関数法に基づく計算とを組み合わせて、Ce(IV)の水溶液中での溶存錯体の化学構造を調べ、その化学試薬としての特異な活性の起源の検討を行った。

具体的な実験としては、白金電極を用いてCe(IV)の過塩素酸(HClO4)水溶液を電気化学的に調製した。過塩素酸イオン(ClO4-)は金属イオンに対する配位能力が弱いことが知られているため、過塩素酸水溶液中に溶存している金属イオンは、純粋な水和錯体と考えられる。

調製された過塩素酸水溶液中のCe(IV)の溶存錯体構造を調べる方法として、今回の研究では、放射光X線を利用したX線吸収分光法を適用した。同分光法において、可能な限り良質なデータを取得するためには、高輝度かつ高エネルギーのX線を利用する必要があるため、大型放射光施設SPring-8に原子力機構が所有している高輝度・高エネルギービームラインBL11XUにて測定を実施した。

また、X線吸収分光法から得られる化学構造に関する情報をより信頼性の高いものとするため、密度汎関数(Density Functional Theory:DFT)法を用いた量子化学計算を導入し、Ce(IV)が水溶液中で形成し得る溶存錯体の三次元構造をシミュレーションし、X線吸収分光法から得られた情報との比較検討も行った。

図1は、過塩素酸水溶液中のCe(IV)について得られたX線吸収分光データと、そこから得られた動径構造関数だが、最上部の黒色データが過塩素酸水溶液中のCe(IV)のものとなる。横軸=1.8Å付近に水和水の酸素などに由来する大きなピークが確認出来る(ピークAおよびB)ほか、横軸=3.8Å付近にも明確なピークが確認出来る(ピークC)。

このピークは、複数のセリウム原子が近接して配置されていることを意味しており、このことから過塩素酸水溶液中においてCe(IV)は単核では無く、複核錯体を形成していることが示唆された。

図1 Ce K殻における放射光X線吸収分光により得られたCe(IV)の過塩素酸溶液(2mol/L-HClO4)中における動径構造関数(黒線データ)および密度汎関数(DFT)法により最適化されたCe(IV)の二核・三核錯体の動径構造関数のシミュレーション結果(図中のDimer1~Trimer)。黒色で示した最上部のデータがCe(IV)の過塩素酸水溶液中の動径構造関数。図中のピーク"C"は、溶存錯体中では複数のCe原子が近接していることを示しており、Ce(IV)が単核では無く、福核の溶存錯体を形成していることが分かる。この黒色データとDFT法により最適化された二核錯体(Dimer1、Dimer2、Dimer3)および三核錯体(Trimer)の動径構造関数を比較すると、オキソ基による架橋構造を有する二核錯体"Dimer3"が、黒色データで確認されたピークA~Cの強度や位置をもっとも良く再現していることがわかる

Ce(IV)が形成している複核錯体の構造をより詳細に解明するため、Ce(IV)が水溶液中で形成し得る複核錯体の構造を、DFT法を用いて計算。得られた二核・三核錯体の化学構造が図2となる。

図2 密度汎関数(DFT)法により水溶液中で最適化されたCe(IV)の二核・三核錯体の化学構造。図中の各構造の名称(Dimer1、Dimer2、Dimer3およびTrimer)は図1中の名称に対応。今回の研究では、量子化学計算により得られたこれらの錯体構造から動径構造関数をシミュレーションすることで、X線吸収分光実験の結果のみでは困難であった3次元的な錯体構造の同定に成功した

計算の結果、二核錯体の構造としては、オキソ基または水酸基による架橋構造を持つものが複数考えられ、一方、三核錯体としては、複数のオキソ基による架橋構造を持つ構造が1つ得られた。このDFT法によって得られた二核・三核錯体の動径構造関数をシミュレーションし、その結果を過塩素酸水溶液中のCe(IV)の動径構造関数と比較した結果、オキソ基1つによる架橋構造を有する二核錯体構造(図1および2のDimer3)が、過塩素酸水溶液中のCe(IV)の動径構造関数を最も良く再現する事が判明した。また、水酸基2つによる架橋構造を有する二核錯体(図1および2のDimer2)も、Ce(IV)の実験データを部分的に再現し得ることも判明した。

これまで、Ce(IV)の溶存状態は単核錯体と考えられており、Ce(IV)水溶液によって引き起こされる種々の酸化反応は、単核Ce(IV)錯体の酸化作用に起因するものとされていた。しかし、これらの結果により、Ce(IV)は過塩素酸水溶液中において、主にオキソ基により架橋された二核錯体として溶存するほか、存在割合は少ないが、一部は水酸基2つによる架橋構造を有する二核錯体としても存在し得ることが示された。架橋構造部位であるオキソ基/水酸基は化学的に活性であることが知られているため、この架橋構造部位がCe(IV)水溶液の化学活性を生み出し得る要因の1つとして考えられるという。

なお、この成果は、金属触媒による水分子の分解反応を始めとした、Ce(IV)水溶液が関係する様々な化学反応の反応機構を理解する上での根源的な知見となるとのことで、研究ループでは今後、時間分解測定を始めとした、より高度なX線分光法を用いてCe(IV)溶存錯体が関係する化学反応の素過程を詳細に解明する事により、Ce(IV)水溶液の化学試薬としての機能の理解、ならびにCe(IV)試薬のより効率的な利用や新たな利用法の開発が進められるようになるとしている。