産業技術総合研究所(産総研) サステナブルマテリアル研究部門 高耐久性材料研究グループの穂積篤 研究グループ長、浦田千尋 研究員は、有機フッ素化合物を用いずに優れたはつ油性を示す表面処理技術を開発したことを発表した。同成果の詳細は、2012年3月13~14日に東京都市大学で開催された表面技術協会 第125回講演大会で発表された。

現在、はつ油処理は、フッ素樹脂に代表される有機フッ素化合物が使用されている。しかし、これらの物質群は人体や環境への影響が懸念され、規制も年々厳しくなっている。また、フッ素源となる原料(蛍石)の価格高騰もあって、有機フッ素化合物を用いない表面処理技術が求められている。

今回開発された表面処理技術では、まず、一般的なはっ水処理剤であるアルキルトリアルコキシシラン(有機シラン)と、ガラスの原料となるテトラアルコキシシラン(スペーサーシラン)を混合し、塗液を調製。この塗液を各種基板に塗装し、常温で乾燥させると透明な塗膜が得られる。なお、この処理技術の各工程で特殊な装置や条件は必要ない。

この処理技術により得られた表面上では、油滴は表面にピン留めされることなくスムーズに動き、優れたはつ油性を示す。また、有機フッ素化合物(パーフルオロアルキルトリアルコキシシラン(有機フッ素シラン))で処理された表面やフッ素樹脂表面よりもはつ油性に優れていたと言う。

各種基板表面に噴霧した油滴(着色したn-ヘキサデカン)の様子。(a)今回開発された技術による表面処理、(b)有機シランのみの表面処理、(c)有機フッ素シラン表面処理、(d)フッ素樹脂板 (a~cはガラス基板を使用。各基板は60°傾斜、噴霧後30秒経過)

背景として、エネルギー資源に乏しい日本では、省エネルギー・省資源に資する新しい材料/製造プロセスの開発が求められている。有機フッ素化合物は、表面エネルギーが低いため、優れたはっ水/はつ油性があり、様々な産業分野で表面改質剤として幅広く利用されてきた。 しかし、有機フッ素化合物の製造に必要な蛍石は地球上で偏在しており、その産出国の貿易統制などにより価格が変動しやすく、供給が不安定である。

また、有機フッ素化合物の焼却廃棄処分には高温が必要で、焼却時に腐食性の高いフッ化水素ガスが発生するため、多大なエネルギー・コストが必要であり、その処分施設も限定されている。

さらに、有機フッ素化合物の生体および環境に対する高い残留性・生物蓄積性が指摘されていることから、規制も年々厳しくなっている。有機フッ素化合物に依存しない材料/プロセス技術は、生体や環境にやさしい技術であり、省エネルギー・省資源・低環境負荷の観点からも、そのような材料/プロセス技術の開発が望まれている。

産総研では、各種機能性分子を利用して、液滴除去性能の高い表面改質技術の開発に取り組んできたと言う。特に、表面に露出する官能基の密度や運動性が、動的濡れ性に及ぼす影響に注目し、それを制御することで液滴と表面との相互作用を小さくする研究開発を行なってきた。

今回は、汎用性の高い非フッ素系表面改質剤である有機シランに注目し、アルキル鎖(CH3-(CH2)n-)の密度(鎖間の距離)を任意に調整できるゾル-ゲル法を用い、はつ油性に優れた表面処理の研究開発を行なった。

図1 今回の技術の処理工程

図1に示すように、はっ水処理剤として一般的に使用されている有機シランとガラスの原料となるスペーサーシランを混合して、塗液を調製。この塗液をガラス板や銅板などの各種基材表面に塗装した後、常温で乾燥させると、膜厚1μm程度の透明な塗膜が得られる。

この塗膜では表面に露出するアルキル鎖の密度が下がって駆動性が向上するため、はつ油性を示す。また、はっ水性も付与されている。なお、この表面処理技術は、図1に示すように、ガラス、樹脂、金属などの素材やガラス管などの曲面にも適用できる。

写真A 表面処理した基板に噴霧した油滴の様子。(a)今回開発した技術による表面処理、(b)有機シランのみの表面処理、(c)有機フッ素シラン表面処理、(d)フッ素樹脂板 (a~cはガラス基板を使用。各基板は60°傾斜、油滴噴霧後30秒経過)

写真B 表面処理したガラス管内に滴下した油滴の様子。(e)今回開発した技術による表面処理、(f)有機シランのみの表面処理、(g)有機フッ素シラン表面処理

今回開発した表面処理後の基板表面は、有機シランへのスペーサーシランの添加効果によって、優れたはつ油性表面となっている(写真A-a、B-e)。油滴(n-ヘキサデカン)に対する動的接触角を測定すると、前進接触角(θ前)が30°で後退接触角(θ後)が27°であり、前進接触角と後退接触角の差である接触角ヒステリシス(Δθ)が3°と極めて小さく、油滴は表面にピン留めされることなくスムーズに滑落していく。

(液体を水平な固体表面上に静置すると、一定の形を保った液滴になる場合がある。液滴の表面は曲面になるが、固体表面との接触部で、固体と液滴は一定の角度(θ)をなす。この角度を「静的接触角」と言う。「動的濡れ性」は静的状態とは反対に、液滴が固体表面上で動いているときの濡れ性。その際に形成される接触角を「動的接触角」と言い、通常、「前進接触角(θ前)」と「後退接触角(θ後)」で表される。「接触角ヒステリシス」は、前進接触角と後退接触角の差。接触角ヒステリシスは分子の表面被覆率や表面の粗さと密接に関連している。この値が小さいと液滴は表面を容易に動き、逆に大きいと液滴は表面に留まりやすい。(図2))

図2 「動的濡れ性」、「動的接触角」、「前進接触角(θ前)」、「後退接触角(θ後)」、「接触角ヒステリシス(Δθ)」の関係

一方、有機シラン単独で表面処理を行なった基板(θ前/θ後/Δθ=21°/8°/13°)や、フッ素樹脂板(θ前/θ後/Δθ=35°/27°/8°)では油滴は濡れ広がり(写真A-b、A-d、B-f)、有機フッ素化合物である有機フッ素シランで表面処理を行なった基板(θ前/θ後/Δθ=74°/55°/19°)では油滴は表面に留まったままであった(写真A-c、B-g)。

なお、今回開発した表面処理を行なった表面は、水やn-ヘキサデカンだけでなく、動物油(馬油など)、植物油(大豆油など)などの多種多様な油滴の除去性能にも優れている。

表面に露出する官能基の運動性が高いほど、動的濡れ性が向上することがいくつかの研究グループによって提唱されており、そのためには、表面に露出する官能基の密度を適度に低下させることが有効であると、産総研では報告してきた。

通常、有機シランを用いて表面を処理した場合、これらの分子は互いに密に集合する性質があるため、表面に露出するアルキル鎖の運動は抑制されている(図3左)。

一方、今回開発した表面処理技術では、溶液の調製工程で、有機シランとスペーサーシランが、加水分解を経て図3に示すような共縮重合体を形成する。 スペーサーシランの加水分解によって生成したシリカ(SiO2)が、アルキル鎖間の距離を広げるため、アルキル鎖の集合が抑制される。 その結果、アルキル鎖が自由に運動できるスペースが生じ、油滴と表面との相互作用が小さくなり、優れたはつ油性が得られたと考えられると言う(図3右)。

この技術により、各種の基材表面に、優れたはつ油性が付与できるため、液体と表面との流動抵抗の減少による省エネルギー化が期待できる。また、この技術による表面塗膜は、はつ油性に加えて透明性にも優れるため、各種基材の油汚れ防止への応用が期待できる。

図3 分子レベルでみた従来技術と開発した技術の相違点(最表面の模式図)

産総研では今後、タッチパネルディスプレーや窓ガラスの油汚れ(指紋付着)防止、繊維への油汚れしみ込み防止、建物内配管・化学プラントなどにおける流体搬送用動力の低減などへの応用展開を目指して、実使用環境下での性能・耐久性を評価していく予定。