国立遺伝学研究所(遺伝研)は、理化学研究所(理研)の大型放射光施設「SPring-8」を用いてヒト染色体の構造を詳細に調べ、定説の「規則正しく束ねられたクロマチン線維」は存在せず、かなりいい加減で不規則に凝縮した状態で染色体内に収められていることを突き止めたと発表した。成果は遺伝研の前島一博教授らの研究グループによるもので、論文はヨーロッパ分子生物学機構雑誌「EMBO Journal」の2月17日号に掲載された。

ヒトの体は約60兆個の細胞からできている。その1個1個の細胞に、全長約2mにも達する、生命の設計図であるDNAが収められているのはサイエンスが好きな人なら、少なくとも一度は聞いたことのある話だろう。細胞が分裂する際、DNAは切れたり絡まったりするのを防ぐために凝縮し、染色体と呼ばれる46本のDNAの束になる(画像1)が、その存在は19世紀末から知られており、発見されて軽く100年以上にもなるというわけだ。

画像1。ヌクレオソーム線維(赤い線、画像2参照)が染色体の中に不規則に収納されている。染色体には、「コンデンシン」(青色)や「トポイソメラーゼII」というタンパク質が軸のように存在する(左)。コンデンシンは輪切りの中心付近(右)でヌクレオソーム線維をループ状に束ね、そのループは中心部分に向かって不規則に収納されていると考えられる

DNAは直径2nmの細い糸で、「ヒストン」と呼ばれる糸巻きに巻かれ、直径約11nmの「ヌクレオソーム線維」を作る(画像2)。1976年、イギリスのクルーグ(1982年ノーベル化学賞受賞者)らは、このヌクレオソーム線維がらせん状に規則正しく折り畳まれて、直径約30nmの「クロマチン線維」ができると提唱した。

現在広く受け入れられている染色体構造の定説では、染色体は、クロマチン線維がらせん状に巻かれて100nmの線維を作り、次に200~250nm、さらには500~750nmのように、規則正しいらせん状の階層構造(積み木構造)を形成するとされてきたのである(画像3)。実際、分子生物学の有名な教科書の一冊、「細胞の分子生物学」では、過去25年以上にわたって、この定説が掲載されてきた。また高等学校の生物IIの教科書にも記載されている状況である。

画像2。直径2nmの細い糸であるDNA(1段目)は糸巻きであるヒストンに巻かれて、直径約11nmのヌクレオソーム線維(2段目)を作る。このヌクレオソーム線維は規則正しく折り畳まれて、30nmクロマチン線維(3段目)を形成すると、長い間考えられていた

画像3。古くから提唱されているモデルでは、クロマチン線維が、らせん状に巻かれて100nmの線維を作り、次に200~250nm、さらには500~750nmのように、規則正しいらせん状の階層構造(積み木構造)を形成すると考えられてきた

遺伝研の前島教授は、DNAの束ねられ方や収納のされ方に着目して研究を続けてきた研究者だ。2008年、当時、理研・細胞核機能研究室にいた前島教授らは、ドイツEMBLのグループと共に、生きたままに近い状態の細胞を観察できる特殊な電子顕微鏡「クライオ電子顕微鏡」(真空中で観察する通常の電子顕微鏡とは異なり、細胞を高圧下で急速凍結し、凍結した細胞を極低温下(-150度)で薄く切り(切片化)、その切片を極低温下でそのまま観察するという顕微鏡)を用いて、ヒトの分裂している細胞を解析。

その結果、ヌクレオソーム線維の存在を示す「直径11nmの構造」を観察することはできたが、定説のクロマチン線維モデルにある「直径30nmの構造」を観察することはできなかったのである。しかしながら、クライオ電子顕微鏡観察は、70nm程度の薄い切片を観察するため、染色体のごく一部しか解析できないという弱点を持つ。また、得られた画像の濃淡が極めて薄いなど、いくつかの技術上の問題があったのである。

今回、前島教授らは、「もしかしたら、定説のようなクロマチン線維は存在していないのかもしれない」と考え、X線散乱を用いて、ヒト染色体の構造解析を実施した。タンパク質などが集まった構造体にX線を当てると、その構造体の規則性に応じた散乱パターンが得られることを利用した構造解析手法だ。

もし、このX線散乱で30nmのピークが観察されなければ、規則的な構造のクロマチン線維は存在しないということになる。また、X線散乱は染色体丸ごとの構造解析が可能で、クライオ電子顕微鏡の弱点を補うことができるというメリットもあった。

SPring-8の放射光は強力なX線であり、通常のX線より詳細な構造解析を行うことが可能だ。SPring-8の構造生物学Iビームライン「BL45XU」で、ヒト染色体に放射光を照射したところ、30nmの散乱のピークが観察された。実は、25年以上も前、イギリスのグループが、X線散乱による染色体の構造解析を行い、30nm程度のピークが観察されていた。そして、このピークが染色体に30nmのクロマチン線維が存在する強力な根拠の1つとなっていたのである。

しかしながら、これらの結果は、クライオ電子顕微鏡での観察の結果と一致しないという矛盾があった。このため、前島教授らは「なぜクライオ顕微鏡での結果と一致しないのか」という疑問について詳細に検討し、X線散乱による30nmのピークが、染色体の本体ではなく、染色体の表面に付着した「リボソーム」によることを突き止めたのである。

リボソームはRNAとタンパク質からできている巨大な複合体で、細胞内に多量に存在するタンパク質合成工場だ。サイズは20nm以上にもなるため、多数のリボソームが染色体に付着すると、30nm程度の散乱ピークができる可能性がある。

そこで、リボソームを取り除いた染色体で解析した結果、30nmのピークが観察されなくなった。染色体の中に30nmのクロマチン線維が存在する根拠がなくなったのである。

さらに、定説(画像3)で提唱されているような染色体内の階層構造(積み木構造)の有無を調べるため、SPring-8の物理科学Iビームライン「BL29XUL」で染色体照射が行われた(画像4)。

画像4。(A)SPring-8の物理科学Iビームライン「BL29XUL」で染色体に放射光照射が行われた。染色体直径に相当する1μmまでの範囲を調べ、詳細に解析したところ、定説(画像2)に予想されていたような、約100nm、約200~250nmの散乱ピークは観察されなかった(B)

染色体直径に相当する1μmまでの範囲を詳細に解析したが、定説で予想されていたような、約100nm、約200~250nmの線維の存在を示す散乱ピークは観察されずじまい。観察できたのは、ヌクレオソーム線維の存在を示す11nmのピークだけだったというわけだ。

一連の結果は、定説のモデルにあるクロマチン線維も、クロマチン線維がさらに規則正しく束ねられた高次の構造も存在していないことを強く示している。このため、染色体にはヌクレオソーム線維がとても不規則に収納されていると考えるに至ったというわけだ(画像4)。

不規則な収納であるにもかかわらず、染色体はどうしてある決まった形を作れるのかという疑問点が浮かんでくるわけだが、それは、染色体の中心部に「コンデンシン」や「トポイソメラーゼII」と呼ばれるタンパク質が軸のようなものを作っているからだと考えられるという(画像1)。つまり、束ねられ方がいい加減でも、特定のタンパク質が軸となることで、決まった形の染色体を構成できるというわけだ。

コンデンシンもトポイソメラーゼIIも染色体形成に必須とされている巨大なタンパク質だ。コンデンシンは5つのタンパク質よりなる複合体で、トポイソメラーゼIIはDNAの絡まりをほどく酵素である。

今回、前島教授のグループは、全長2mにもおよぶヒトゲノムDNAが細胞の染色体の中にかなりいい加減に収納されていることを突き止めた。決まった染色体の形から考えると、意外に思う人もいるだろう。しかしながら、細胞にとって、クロマチン線維やより高次の構造を作るのは大きなエネルギーが必要だ。最低限の秩序を保つ構造を作り、後はいい加減に凝縮して、なるべくエネルギーを使わずに染色体を作る方が合理的といえ、真核生物はそのような戦略を採ったものと考えられる。

また、規則正しい階層構造を作っていると、いざ遺伝情報を検索し、使おうとする際、多くの部分が隠されてしまう。一方、ある程度のいい加減さを持って不規則に収納されていると、個々のヌクレオソームが動ける余地も増え、遺伝情報の検索にとっては便利なことが多いと思われる。

今回の研究は染色体について行われたが、同じような仕組みは分裂していない状態の細胞にも存在していると、前島教授らは考えているという。今回の成果は、必要な遺伝情報が細胞の中でどのように検索され、読み出されるのかについて検討するヒントにもなる。将来的には、まったく新しい概念によるメモリデバイスや情報検索システムの開発につながることが期待されると、前島教授らはコメントしている。