ソニーおよび東京医科歯科大学、科学技術振興機構(JST)は10月3日、共同で細胞の電気的性質の違いを利用して、個々の細胞を標識物質なしに識別する技術を開発したと発表した。ソニー先端マテリアル研究所 ライフサイエンス研究部の大森真二チームリーダーらによる研究で、10月5日(水)からパシフィコ横浜で開催される「Bio Japan 2011」でプロトタイプ(画像1)の装置が展示される。

画像1。誘電スペクトロサイトメーターのプロトタイプ1号機の外観

再生医学や細胞治療、遺伝子診断などの最先端の医学・生物学分野での、細胞や遺伝子を基にした研究や診断を行うには、細胞を分析して得られる情報が重要だ。医学や生物学の研究現場でこれまで使用されてきた細胞分析装置の1つに「フローサイトメーター」がある。同装置は、細い経路を流れる細胞にレーザー光を当て、蛍光色素で色をつけた細胞を梗塞に分析する装置だ。しかし、分析する細胞の種類において、あらかじめ色素で標識する必要があり、細胞をそのままの状態で分析・採取することはできないという弱点を持つ。さらに、細胞の中には色分けできる試薬がない種類も多い。

そのほか、個々の細胞のインピーダンス(交流電圧を物質に加え、流れる電流を測定し、電圧を電流で割って得られる値のことで、直流の場合は電気抵抗とも呼ぶ)を分析して細胞を区別する装置も開発が進められている。しかし、この方式にも大きな弱点があり、従来の技術では分析できるインピーダンスの周波数が2種類に限られており、細胞の大きさや密度の情報しか得られなかったのである。

そこでソニーでは、蛍光色素などの標識物質なしで個々の細胞を分析し、電気的性質の違いに応じて採取する医療研究用途の「誘電スペクトロサイトメーター」という新しい分析装置の開発を東京医科歯科大学と共同で2009年にスタートしていた(画像2・3)。

画像2。誘電スペクトロサイトメーターの原理イメージ。種類の異なる細胞を含む溶液を流路に流し、2個の電極間を通過する細胞の誘電スペクトルを、インピーダンス分析器(画像中で「AC」と記した部分)で分析。分析結果に基づいて、必要な細胞か不要な細胞か判定され、別々の場所に仕分けられる(画像中「ソーター」右側の分岐した部分)

画像3。細胞分析機能(アナライザ)と仕分け機能(ソーター)を一体化したマイクロ流路チップ。髪の毛と同じ程度、あるいはそれよりも細い流路を組み合わせて、細胞の通り道が作られており、流路の途中には細胞のインピーダンスの測定検出器がある(2個の電極)。検出器の後ろ側には、細胞を仕分けるための電極があり、細胞の種類ごとにAあるいはBに流れる仕組みだ。電子機器回路用のフレキシブル基板のための材料と製造プロセスを利用することで、安価に大量生産できるので、測定のたびに使い捨てにすることが可能で、試料を以前の試料で汚染してしまうといった心配がなくなる

誘電スペクトロサイトメーターは、個々の細胞のインピーダンスを多点周波数で測定を行う。それにより、単一細胞の「誘電スペクトル」を分析に成功することに成功したという次第だ。電場中に置かれた物質は電気力によって正負両電荷が分離または移動するが、その電荷の分離または移動のしやすさを表したのが物質の「誘電率」である。低周波から高周波までの広い周波数範囲にわたって測定すると、誘電率はさまざまな変化を示し、その変化のことを誘電スペクトルと呼ぶ。誘電スペクトルはいわば細胞の個性の1つで、細胞の大きさ、構造、細胞を構成する成分の電気的性質などによって決まることから、各細胞から誘電スペクトルを得ることで、それを基にして異なる2種類のがん細胞を識別することも可能となる(画像4)。

画像4。種類の違うがん細胞の識別。(A)は、典型的な細胞の誘導スペクトルを示す。誘電スペクトルは、変化の大きさや変化が起こる周波数などのパラメータで特徴づけられる。個々の細胞の誘電スペクトルからこれらのパラメータを抽出し、その分布を分析することで、種類の違う細胞を識別することができるというわけだ。(B)は、種類の違うがん細胞(赤と青で表示)の2個のパラメータの分布を示したもの。(C)は、スペクトル変化の大きさの分布を示すヒストグラム。細胞の種類によって、分布が異なっているのがわかる

この成果は、2つの独自技術の組み合わせにより実現したという。1つが、「多点周波数のインピーダンスの同時測定・分析の実現」だ。従来技術では、細胞が検出器を通過する1000分の1秒の間に、細胞1個について最大2種類の周波数でしかインピーダンスを分析できなかった。しかし、今回、独自の分析器を開発し、最大16種類の周波数でのインピーダンスを同時にかつ梗塞・高精度で測定・分析することを可能にした。

これにより、従来法で得られる細胞の大きさと密度に関する情報に加えて、細胞の電気的性質(細胞を包む膜や細胞内部の性質)の違いや変化などに関する情報を得られるようになったのである。

そして2つ目が、「マイクロ流路構造と電極配置の最適化」だ。従来技術では細胞溶液に含まれるイオンからの信号が大きいために、細胞の誘電率を正確に計算することができていなかった。今回、イオンからの信号を抑え、細胞の誘電率の決定精度を高めるように「マイクロ流路チップ」の検出器の小周防と電極配置を最適化したのである(画像3)。マイクロ流路チップとは、髪の毛と同程度かそれ以上に細い管路を組み合わせて、その中でごく微量の物質を反応させたり、分析したりする部品だ。

これらの技術を組み合わせて製作された全自動分析装置のプロトタイプ(画像1)が開発され、今回開発されたマイクロ流路チップには、電気機器回路用のフレキシブル基板を応用したフィルムを利用。理由は、回路基板の製造プロセスを利用して安くて大量に製造することを目指しているからである。チップの単価を安くして使い捨てにすることで、試料による汚染などの問題を回避することも考えられている(画像2・3)。

また、新規細胞仕分け機構「セルソーター」の開発もポイントだ。各種細胞の電気的性質の違いや変化に応じて、細胞を1個ずつ仕分けるための技術である(画像2・3)。ある特定の細胞が通過したら、電圧を加えて細胞の動きを変え、流れる方向を制御するという技術だ。セルソーターの設計には、流路の構造、液の流れ、電極から発生する電気力と熱などのさまざまな要因を考慮したシミュレーションを行う必要があるという。

ソニーでは、京都大学の中部主敬教授らとの共同研究によって、細胞の動きを精度よく予測できるシミュレーターを開発し、計算結果が実験と一致することを確認した(画像5)。これにより、検出器とセルソーターを1個のマイクロ流路チップ上に結合する設計が実現したというわけである(画像3)。

画像5。細胞仕分け機構(ソーター)を設計するためのシミュレータ。(A)は、流路中を流れる細胞に対して、仕分け用の電極から発生する電気力が加わって細胞が動いている様子をカメラで撮影したもの。(B)は、細胞の動きをカメラで測ったデータを、シミュレーションの結果と比較したグラフ。実際の細胞の動きがシミュレーションではよく再現できていることがわかる

今後は、細胞の分析機能と仕分け機能を統合した新たなプロトタイプ2号機の完成を目指す予定だ。同装置は、標識物質なしに生きたままの細胞を分析し、必要な細胞だけを仕分けることができるという利点を活かすことで、低コストの細胞検査、あるいは再生医学、免疫などを含む幅広い分野の医学・生物学研究に応用できると考えられている。

また、今回の開発では、装置を開発するソニーの拠点を、プログラムへの参画機関である東京医科歯科大学内のオープンラボに設けることで、緊密な産学・医工連携体制を構築することに成功したという。今後は、この体制の中で装置の開発だけでなく、誘電スペクトロサイトメーターならではの応用事例を探索していくとしている。