東北大学 多元物質科学研究所の米田忠弘教授および同大大学院理学研究科の山下正廣教授らの研究チームは、1つの分子で磁石の性質を示す単分子磁石を用いて、単分子の単位で磁石をオン・オフすることに成功した。同成果は、2011年3月1日(英国時間)に英国オンライン科学雑誌「Nature Communications」で公開された。

磁石は日常的になじみの深い材料で、磁気ディスクなどで情報記録媒体として用いられているが、磁気ディスクの集積化が進行しており、磁気記録中に含まれるスピンの個数が減少、単一のスピンでの制御が求められるようになっており、各地でスピントロニクスの研究が進められている。

こうした研究において、従来のFeやCoなどの古典磁石(バルク磁石)に代わり、1つの分子が磁石として働く単一分子磁石が注目されている。バルク磁石は、スピンが3次元・強磁性的に相互作用することで磁石の性質が現れるが、単一分子磁石は機構がまったく異なり、1個のクラスタ分子や1本の鎖が磁石のように振る舞うことから、次世代技術として開発が進められている分子エレクトロニクスに取り入れられ、分子スピントロニクスとして発展していくことが期待されている。

分子を用いる利点としては、コストの低減や材料の柔軟さだけではなく、分子の構造の多様性・電子状態の制御性、また分子の部位を修飾可能などの自由度が上げられ、従来のバルク磁石では出せない特性や新たな制御手法が期待されている。しかし、これらの研究は始まったばかりで、単分子単位でのスピンの操作の可能性の実証がなされていなかったほか、単一スピンの操作には高い空間分解能が求められることから、磁場を使用して磁石の向きを反転させる従来の手法では必要な空間分解能は得られないため新たな磁石の制御方法の開発が求められていた。

研究チームでは単分子磁石であるテルビウム・フタロシアニン錯体分子を用いて、1つの分子単位での磁石のオン・オフを行った。この物質の単分子磁石としての動作温度は、絶対温度で数十度という従来の材料にない高い値が報告されており、実験では、従来の磁石の制御方法とは異なる分子を回転させることで磁石をオン/オフさせる手法を採用した。

同手法を実現するためには、分子の構造が重要となる。図1に走査トンネル顕微鏡(STM)を用いて1つの分子像を撮影したものが示されているが、同分子内部は、平面型のPc2枚が向かい合うように重なって、1つの金属原子Tbを挟む構造となっており、構造モデルを横から見た場合、2段重ね分子構造になっていることが見て取れる。

図1 TbPc2分子の構造と金表面上の薄膜形成。

(a)、(b):Pcが2層になってランタノイド金属であるTbをサンドイッチした構造を持つ錯体分子(TbPc2)。(a) STM像、白線は1nmに相当。(b) 横から見た分子模型図。

(c):分子がAu(111)基板に吸着した時に形成する単層膜のSTM像。白線は1nmに相当。明るい分子と暗い分子が交互に現れているが、その明暗の区別は右の模式図で示されている。

(d):分子モデルの俯瞰図。Au表面上で分子は平たい吸着構造を取るが、基板側のPcは銀色、真空側のPcが青で示している。2層のPcの相対回転角度(θ)が45度または30度の分子が2種類存在し、それぞれ明るい分子と暗い分子に相当する

実際の実験はこの分子がAu(111)表面上で形成する1層の分子薄膜で行うが、STM像を見ると、9個の分子が確認され、チェッカーボードのように明暗が交互に変化するパターンが確認された。これは上下2層の相対回転角度(θ)が45度の場合に明るく、30度の場合に暗く観察されることで説明され、このθの違いが磁石のオン・オフに利用されることとなるという。

テルビウム・フタロシアニン錯体分子の磁石としての働きは、中央の金属原子と配位子の両方から生じている。フタロシアニン配位子にはπ軌道に電子が1つだけ入っている不対電子があり、この安定なラジカル状態から磁石の性質が生じている。

磁石最小単位である単一のスピンの検出方法として、研究チームでは分子にスピンが存在すること、すなわち磁石の状態となっていることを「近藤状態」があるかどうかで検知を行った。

近藤状態は、孤立した上向きスピンがあるとその周辺に下向きスピンの電子が集まって、上向きスピンを打ち消そうと集合している状態で、この状態が形成されると狭いエネルギー領域に高い電子状態密度が作られるため、それを検出することで、分子に存在する孤立スピンを計測することが可能になるというもの。

同方法によりテルビウム・フタロシアニン錯体分子を調べた結果、エネルギーの関数として電子状態密度をプロットしたグラフを見ると、配位子上で計測されたグラフには、シャープなピークが観察された。これは上述した、狭いエネルギー領域に高い電子状態密度に相当し、近藤状態であると考えられるとのことで、強い近藤状態が配位子で観察されたことは、フタロシアニン配位子にスピンが存在し、それがAuの伝導電子と有効に近藤状態を作ったことによるものであるとする。

図2 単分子量子磁石である錯体分子(TbPc2)の、磁石としての特性。

(a)(b):ヘリウム温度で測定したトンネル電子の分光(STS:走査トンネル分光)によって検出された近藤状態。(a)は測定箇所、(b)はSTSスペクトル。近藤状態は、狭いエネルギーに高い電子状態密度が作られるので、エネルギーの関数として電子状態密度を求めた(b)において鋭いピークとして観察される。

(c):近藤状態の空間分布。青い線に沿って測定した場合、像の明るい8つの点の上で近藤状態が強く観察される。明瞭な近藤状態は、配位子の部分でのみ検知され中心の金属部分では観測されない。配位子のスピンが金の伝導電子と近藤状態を作ったことによる

次に、2枚重ねた分子の上下層の相対的な回転角度を、分子に流れるトンネル電流で変化させたところ、走査トンネル顕微鏡で用いるトンネル電流の量は1nAと小さいが、ほぼ全ての電流が分子を流れることから、これを制御することで分子にエネルギーを与え、向かい合う配位子の回転角度を変化させる手法を開発した。

今回、トンネル電流で配位子をくるりと回転させる前後で、磁石としての性質を測定。図3はトンネル電流注入前後のSTM像で、矢印で示された分子がターゲット分子となる。ターゲット分子にトンネル電流を集中して注入することで2枚の配位子の相対角度を回転させ、STM像でターゲット分子を比較した場合、注入前に明るく観測された分子は、トンネル電子の注入で暗い分子に変化している。これは2枚の配位子の相対回転角度(θ)が45度から30度に変化したことによって説明できるという。

図3 電流を用いて分子をぐるりと回す操作と、その前後での磁石としての特性。

(a):トンネル電流による分子の2枚の配位子の回転と近藤状態の変化。トンネル電子注入の前と後の像の変化。明るい、暗い分子はそれぞれθが45度または30度の状態に相当する。

(b):電子注入前後での近藤状態。注入前にはIに示すように明瞭な近藤ピークが見えるが、注入後には消失する

また、配位子を回転させる前(θ=45度)では明瞭な近藤状態が観測されたが、配位子を回転させた後(θ=30度)では近藤状態は出現しなかった。これは電流で分子の配位子の相対角度を回転させることで、磁石がオンの状態からオフの状態へ操作可能であることを示唆していると研究チームでは指摘している。

これらの実験と理論計算との比較により、θの変化で磁石としての強度が変化することが判明した。θ=45度とθ=0度では強い磁石だが、その中間部分で磁石が消滅すると計算された。分子の構造の微妙な変化で電子状態が変わり、それが不対電子の有無を決定したことによるものという。

図4 単分子磁石の2枚の配位子の回転と磁石としての特性。

分子の配位子2枚の相対回転角度θと、分子磁石としての強度の関係。θが45度、または0度の場合には強い磁石として働くが、その中間の部分では磁石としての性質を失う。図3でθが30度の場合には磁石としての特性が生じなかったことが説明できる

今回の研究結果により、電流による分子の構造変化を利用した、単一分子のスピンを操作する手法ができたこととなる。このスピン操作方法を用いることで、単一分子磁石を用いた単一分子メモリが開発されることが期待できるようになり、将来的には高密度記録への応用につながっていくことが期待できるという。なお、単分子磁石は、1分子が1個のメモリとして働くとすると、1molで6×1023ビットのメモリ(片面1層DVDディスクの15兆倍)となるという。