京都大学の研究グループは、分子の微妙な違いを発光色で区別できる多孔性物質を開発することに成功したことを明らかにした。2011年1月25日(英国時間)に英オンライン科学誌「Nature Communications 」で公開された。

大気汚染は地球環境、人の健康や生活環境へ悪影響を及ぼす公害の一種で、その主な発生源は、自動車からの排ガス、工場からの排煙であり、これらの主成分として、揮発性有害有機化合物(VOC)が含まれている。特にベンゼン、トルエン、エチルベンゼン、キシレンはBTEXと呼ばれ、大気、土壌、地下水汚染において分析対象とされており、これら分子を効率よく検出することは重要な課題とされているが、一般的なセンサ開発では特定の分子を高感度で検出することを目的としているため、ターゲットとする分子ごとにセンサを開発する必要があった。

また、その一方、nmサイズの細孔(ナノ細孔)を有した化合物は、環境汚染物質であるVOCや二酸化炭素、窒素酸化物、硫黄酸化物を分離し除去する目的で研究が各所で行われてきたが、これまで、その細孔中に効率的にターゲットとする分子を取り込むことが可能であるにも関わらず、どのような分子を捕捉したのかを"知らせる"機能に欠けていたため、センサとしての応用研究は行われこなかった。

今回、研究グループではナノ細孔材料へ効率的に分子を取り込む機能を加え、どのような分子を捕捉したのかを「光って知らせる」という新しいセンサ開発に成功した。ターゲットとした分子群はBTEXの中でも三大有害物として知られている、ベンゼン、トルエン、キシレンの3種類の化合物。これらは似通った分子構造を持っているため、識別することが難しい化合物であるほか、アニスの主成分であるアニソール、パラジウム触媒クロスカップリング反応の主な基質として知られているヨードベンゼンも、これらBTEXに非常に似た構造を有しており、これらの化合物を見分けることは至難の技であった。

今回ターゲットとした分子群。非常に似通った構造をしている

今回の研究では、ナノ細孔物質の中でも、金属イオンと有機分子との複合化によって作られる「多孔性金属錯体(PCP)」と呼ばれる多孔性材料を活用。PCPは分子レベルで、構造体の形、細孔の大きさや形状、化学的性質を精密に設計することができるため、注目を集めている物質で、その設計性の高さを利用して、VOCとの相互作用によって発光するという特徴を持つナフタレンジイミドという有機分子をPCPの骨格中に壁として埋め込んだ。ナフタレンジイミドは元々まったく発光しない化合物だが、ベンゼンなどのVOCと相互作用することで発光することが知られているものの、これらの光の強度は非常に弱いものであった。

研究当初は、ナフタレンジイミドを用いたジャングルジム型PCPを合成し、ナノ細孔の強い取り込み効果によるセンサ応答性を期待したが、実際には非常に弱い発光を確認するにとどまりまったという。これはナフタレンジイミドが比較的大きな分子であるため、細孔のサイズがVOCに比べて大きすぎ、VOCの取り込み効果が期待するほどにはなかったためであると考えられる。

こうした結果を受け研究グループでは、「ちえのわ」型構造体に注目、開発を行った。同構造体は1つのジャングルジム型PCPの細孔中にもう1つのジャングルジムがあるような構造で、「ちえのわ」のように完全に絡みあって2つを分けることができない構造をしている。この「ちえのわ」型構造体の特徴は、実際の「ちえのわ」のように、お互いの位置を変えながら柔軟に動くことが可能であるということで、同構造体でナノ細孔を持つ多孔体を合成した場合、その細孔内に取り込んだ分子のサイズ・形に応答して「ちえのわ」型構造体の絡み合いにより構造体が動き、細孔のサイズを変化させることができるようになる。

「ちえのわ」の動きと、「ちえのわ」型構造体の分子サイズ・形に応じた動き

研究グループでは、硝酸亜鉛、テレフタル酸とナフタレンジイミドをジメチルホルムアミドに溶解させ、95℃で3日間反応させることで、この「ちえのわ」型構造体を得ることに成功。単結晶X線回折を用いた構造解析により、(1)合成直後(ジメチルホルムアミドが取り込まれている)、(2)ジメチルホルムアミドを抜いた(分子を捕捉していない)状態、(3)BTEXの1つであるトルエンを取り込んだ状態のPCPの構造を決定することに成功した。その結果、同構造体はターゲット分子の大きさ、形に応じて動くことで効率的に細孔サイズを変化させていることが判明した。

「ちえのわ」型構造体の合成と分子応答性構造変化

また、同構造体の中に様々なVOCを取り込ませて紫外光を当てると、分子の形に応じて紫から赤までのすべての可視光領域で発光することが判明。VOCの微妙な構造の違いを認識して、ベンゼンは青、トルエンは青緑、キシレンは緑、アニソールは黄、ヨードベンゼンは赤に発光した。中でもトルエンの発光はこれまで報告されている値の10倍以上の強い発光を示すことが明らかになり、これは同構造体が柔軟に動くことでトルエンに対して強い取り込み効果を発揮し、ナフタレンジイミド-トルエン間の相互作用が強くなったためと考えられる。

「ちえのわ」型構造体の結晶をそれぞれのVOCに分散し紫外光照射下での発光色(上)。その発光スペクトル

これらの発光の主な原因は、ナフタレンジイミドとVOCの間の電子のやりとりによるものであると考えられる。ナフタレンジイミドは電子が欠乏した状態(電子受容体)であり、VOCは電子が豊富な状態(電子供与体)にあると考えられ、VOCの電子供与性と発光色(エネルギー)の間にエキシプレックス発光と呼ばれる相関が見られた。

一方、ヨードベンゼンの発光メカニズムはリン光と呼ばれる別の発光メカニズムであることが判明。これはヨウ素の様な重い原子がナフタレンジイミドに対して近接したところにあると起こる現象で、同構造体が柔軟に動くことにより、その細孔サイズがヨードベンゼン分子を取り込むのに適した大きさとなり、同構造体の細孔がヨードベンゼンをナフタレンジイミドの近傍に取り込んだために起こった現象であると考えられる。

加えて、センサ応答機能についても研究グループでは調査。同構造体は結晶であり、それによってできる細孔はそれぞれが連結されているため、1つの細孔の構造が変化すると同時多くの細孔の構造が変化する。実際にトルエンの濃度を徐々に増加させながら発光強度の変化を検出したところ、非線形的に発光強度が変化することが確認され、低濃度での発光強度が一気に増大するという増幅効果が得られた。これはメゾスコピック領域に存在する結晶ドメインにおいて、同構造体が協同的に動くことで、多くのトルエン分子を同時に取り込んだためであると考えられる。

「ちえのわ」型構造体は結晶なので多くの細孔の構造が同時に変化する(上)。光の三原色に分解したセンサ応答性(下)。トルエンは青緑発光なので赤色は含まれない。一方、青・緑ともに低濃度で鋭く立ち上がるセンサ応答性を示す。

今回研究グループが合成した多孔性物質はどの様な分子を取り込んだのかを光で知らせるというセンサ機能を発現することができるもので、安価な検出方法として用いることが可能となる。また、結晶性を利用したセンサ応答の低濃度での増幅効果により微量なVOCを高感度で検出することが可能となることから、簡単なシステムでVOCセンサの小型化を可能とすることから、新しい環境モニタリング技術に貢献できると期待されるほか、細孔内に取り込む分子を調整することで、可視光領域にある全ての色を発光させることができるため、新しい発光デバイスの創出も期待できるという。