慶應義塾大学の伊藤公平教授は、英University of OxfordのJohn Morton博士らとともに進めているSi半導体に基づく量子コンピュータの開発の一環として、Siに添加されたリン(P)不純物の電子スピンと原子核スピンの間で量子エンタングルメント状態を生成し、検出することに成功したことを明らかにした。Nature(オンライン版)に1月19日(英国時間)掲載された。

量子コンピュータは、従来のコンピュータ(古典コンピュータ)の不可能を可能とするものと言われており、その不可能を可能とする源が、量子重ね合わせ状態とエンタングルメント(量子もつれ)であるとされている。古典コンピュータは、2進数の0もしくは1のどちらかの状態しか利用しないが、量子コンピュータの最小単位である量子ビットでは、古典力学ではなく量子力学の法則に従うものであり、原子や電子、光子といった個々の量子からなり、0と1を同時に表すことが可能だ(量子重ね合わせ状態)。また、量子コンピュータで必要となるのが、2個以上の量子ビットのエンタングルメントであり、個々の量子ビットを分離して2進数の0や1として扱えない、時空を超えた絡み合いが量子ビットのエンタングル状態となる。

どんなに離れていても、片方が古典状態になると、もう片方異なる古典状態になってしまう時空を超えた相関状態が量子エンタングルメント

今回研究では、このエンタングルメントをSi半導体の中で実現して検出に成功した。一般的にSi半導体はSiにPを添加してn型を作製するが、そのSi中のP原子を絶対温度20K以下の低温におくと、電子を1つ捉えて水素原子のように振る舞うことから、同研究では、この性質を利用し、P原子核のスピンを1つの量子ビット、そこに捉えられている電子のスピンをもう1つの量子ビットとして扱い、この2つの量子ビットの間でのエンタングルメントを生成・検出することに成功した。これは、1つ2つというレベルではなく、試料中に存在する1010個のP不純物の個々において一気にエンタングルメントを生成できるというもの。ここでエンタングルメントを生成し検出するプロセスそのものが、量子コンピューティングに相当するという。

これまで、このような実験が報告されてこなかった理由の1つに、Si中の量子ビットの量子情報保持時間(コヒーレンス)が短すぎることが挙げられる。通常のSiではP不純物の量子情報がエンタングルメントを生成して検出されるまでに失われていた。こうした課題に対し、慶応大では、Siを構成する原子をすべて28Si安定同位体に揃えることで量子情報保持時間を充分に長くすること、またOxfordが有する絶対温度3K以下で磁場3.4Tを動作できる特別な磁気共鳴装置を用い、P電子スピンと原子核スピンの高い分極(一方向に揃えること)を得ることの双方に成功したことが、今回の成果に結びついたという。

最先端の量子コンピュータの例として取上げられるのが、15=3×5の素因数分解に成功した7量子ビットの分子核磁気共鳴(NMR)の成果(L. Vanersypen, et al., Nature Vol.414, 883 (2001))だが、NMRでは分子中の7つの量子ビットを一方向に揃えたかのように見せかけるために古典コンピュータと同じ数の計算ステップを費やし、エンタングルメントも得られておらず、素因数分解という量子アルゴリズムを古典コンピューティングでシミュレーションした成果にすぎなかった。

これに対し、低温・高磁場に加えて量子計算上の工夫を施すことで、わずかな計算ステップで量子ビットの初期化を得、エンタングルメントの生成と検出に成功したこと、ならびに半導体で一般的に用いられるSiに添加された大量のP原子においてエンタングルメント状態が達成できた今回の成果は、固体量子計算の実現に向けたブレークスルーとなると研究グループでは説明している。