第139回芥川賞・直木賞の選考委員会が15日、東京・築地の新喜楽で開かれ、直木賞に井上荒野(あれの)さんの『切羽(きりは)へ』が選ばれた。東京會舘(東京都千代田区)にて行われた記者発表会で井上さんは、受賞の喜びや亡き父への思いなどを語った。

記者会見の模様。写真右から直木賞受賞の井上荒野さん、芥川賞受賞の楊逸さん

直木賞を受賞した井上荒野さんは小説家・井上光晴の長女として1961年に生まれる。89年、『わたしのヌレエフ』で第1回フェミナ賞受賞。2003年、『潤一』(マガジンハウス刊)で第11回島清恋愛文学賞受賞。04年、『だりや荘』(文藝春秋刊)で第26回吉川英治文学新人賞候補。05年、『誰よりも美しい妻』(マガジンハウス刊)で第27回吉川英治文学新人賞候補。そして07年、『ベーコン』(集英社刊)で第138回直木賞候補となったが、落選している。

直木賞選考委員の平枝弓枝氏は総評として「どの作品も好感がありました。また今回の作品は"方言"を巧みに利用していました。山本さんの『千両花嫁』の京都弁も、荻原さんの『愛しの座敷わらし』の東北弁もいい雰囲気でした。なかでも井上さんの作品は標準語と方言を使い分けていて、技術的にうまいと思いました」とした。受賞作『切羽へ』については「選考委員全員から非常に好感を持った上質な作品。個人的には官能的な小説の良さを感じました。人物の良さがしっかりと描かれており、きちんとした文体、構成がしっかりしていることといった"文学のいろは"がほぼ完璧でした」。

決選投票で『切羽へ』『千両花嫁』『のぼうの城』3作品が残ったが、満票での決定となった。時代小説2作品の落選については「時代小説というのは文体、構成のよさ以外に、歴史的な制約、条件、扱い方などの基準がありますよね。2作品ともそれを逸脱してはいなかったのですが、難はありました。また『満票』の作品という"優れた作品"があるために止むを得ないという感じでした」と平岩氏。また、三崎亜記『鼓笛隊の襲来』の落選については「着想の面白さ、若い感性には高い評価がありました。その着想についていけるだけの熟成が未完成という意見がありました。読者を満足させるためにはいかに熟成させるかがポイントだと思います」とした。

井上さんは会見上で「私がデビューしたのは江國香織さんと同時期。それからしばらく作品が書けない時期が続きました。そんな根性なし人間なので、あんな風に書けない時期を過ぎて、今でも小説を書いているというのが信じられない。そしてこうやって賞をいただいてそれはもうなんだかすごく嬉しいことです。小説を書いてきて良かった。書くのをやめないでよかったなと思います」と率直な喜びを語った。

小説家だった父、井上光晴氏に対しては「うちの父はずっと昔に、芥川賞候補になったことがあって、もう新人じゃないという選評で落選したと聞きました。それ以降、大きな賞を受けないと言っていたので、私が賞をとることについては、どういう態度をとったらいいかものすごく困るだろうのではないでしょうか。でもきっと、狂ったように喜ぶでしょう。ただし、そういう立場をとっていたのでどうしていいのか分からなくて言動が怪しくなったかもしれない(笑)」と笑顔を見せた。

受賞作『切羽(きりは)へ』は静かな島を舞台に、宿命の出会いに揺れる女と男を、緻密な筆に描ききった美しい切なさに満ちた恋愛小説。「切羽」とはそれ以上先へは進めない場所のことを指すという。「受賞作は父の故郷である島を舞台にしております。父もまた、島を舞台に『妊婦たちの明日』という作品を書いているのですが、それが暗くて怖い。そのイメージを島に抱いていたので、最初は島の小説書こうとは思いませんでした。生前、父は島へ私たちを連れて行くことはなかったのですが父が死んだ翌年か次の年に島に行き、その時には炭鉱もなくなっていて、陽光の下に廃墟がポツポツ残っている島を目の当たりにした時、黒いイメージがぱーっと白くなる感じがして、私なりに書けるのではないかと感じました」。

平岩氏から「官能的な小説の良さを感じました」との評価を受けた井上さん。「井上さんにとって官能的なこととは?」との記者の質問に、しばし考えた後「それはやっぱり、愛するということ。行為がなくても、誰かを愛しいと思うだけで官能的ではないでしょうか」と答えた。人を見る目がしっかりしているという評価については「書けない時、どうしたら書けるようになるだろうと考え、書かないと書けるようにならないという結論に達しました。人を見る目というのは、自分と小説を書くこととの関係だと思うのです。人を見る目が出来ているという評価は、何作も書くことで可能になりました」。

今後の作品については「具体的には分からないが、ずっと私は自分が退屈させない小説を書こうと思ってます。読者には失礼かもしれませんが、たとえ読者が面白いと思っても、自分が退屈なら書きたくない。こういう書き方だけはずっと貫きたい」と話した。