【レポート】ペタコンピューティングの世界(2) - 脳の再構成とペタドーム

      [2002/01/01]

    ○脳の再構成:心の起源はどこに

    人間の脳は約1000億個の神経細胞からできている。神経細胞は、ニューロンモデルで数学的に表現されるとされている。ならば、ニューロンを1000億個集めれば、脳に近いものができるのかは興味ある問題として浮上してくる。

    脳全体もしくはその一部のシミュレーションがペタコンピューテングの実現で現実性を持ってくる。一つ一つの神経細胞の反応時間は、だいたい1ミリ秒程度である。その一つの反応の計算に1000演算必要だとしよう。したがって、神経細胞1個は、1メガフロップス(1秒間に100万演算)ぐらいの計算機に対応する。それが1000億個集まった脳は、100ペタフロップスぐらいの計算機で表現できることになる。人間の脳は、非常に高い冗長性を持っていることが知られている。

    で、そうなったときに何が生まれるのか? 人間の脳に存在する「心」は生まれてくるだろうか?

    脳の研究者は、「心」とか「意志」だとか「愛」とか行った脳くさい概念は、そんなシステムでは生まれてこないと思っているらしい。というのは、
    「こんなのやって見る価値ありますかねえ?」
    と聞くと言下に、
    「それはまったく無駄だ」
    と答える脳研究者がほとんどだ。で、
    「なぜ無駄なんですか。」
    と聞くと、どうも要領を得ない。いつもこのように会話が推移する。
    「脳の神経細胞全体を司るホルモンみたいなものがあるので簡単ではないんだよ。」
    「では、全体にシナプスの興奮の閾値を変えるパラメータみたいな変数を持たしておけばいいのでしょうか?」
    「いやいや、シナプスでは非常に複雑な化学反応が進んでいるんですよ。」
    「それって、結果だけをモデル化したら、1000演算ぐらいですむようなものではないでしょうか? 1000演算って結構すごいですよ。たいていのことはできると思うんですけど。その化学反応をどうモデル化したら良いんでしょう。」
    「いやいや、そうはいかないんだ。とにかく、本当の神経細胞はえらく複雑でね。それから、つながりニューロンのつながりは、生まれつき決まっているのもあってね。」
    「じゃあ、どうつながってるか教えてくださいよ。」
    「それがわかれば苦労しないよ。」

    ここまで来て、私ははたと気づく。この人は、心の奥底では、生物の生気論者なんだと。分子生物学の手法を縦横に駆使して、生物を切り刻み、分析的に生物を解析しているのに、機械論だけでは、生物は記述できないと考えたいらしい。

    実は最近、計算機もえらく進歩していて、脳研究者が指摘するような柔軟な処理は実に器用に実現することができる。何らかの言語でそのアルゴリズムさえ表現されれば。

    確かに、ニューロンどうしのつながりを決める学習課程は多大な時間がかかる。でも人間も10年以上かかって脳を形成することを考えると。それぐらいかかるのは当然だという考え方もある。ある部分は、学習によらず、生まれつきプログラムされているのかもしれない。どの部分がどの時期に遺伝子にプログラムされて形成されるのか、どの部分が学習によるのかなんかは、脳研究が進むにつれて詳しく分かるのではないか。それを、わが「脳エミュレータ」に反映させて行く。

    それで、人間の脳みたいなものはできるのか? できないとするならば、どんな要素を持ち込むべきなのか、明快に答えてくれた脳科学者はまだいない。私にはそれがとても不満である。

    2300年前のプラトンから始まる西洋哲学は、根本的には無から有を創造できる人間の心の不思議さについて、しつこくしつこくしつこく追求しているように思える。ペタコンピューティングにより、この哲学の根本原理を実験・実証主義的に検証できる可能性が出てきたのではないか。

    ○ペタドーム:研究・教育・娯楽の合体

    ペタマシンを使った双方向シミュレーションシステムは、教育や娯楽にも大きなインパクトを与える。私たちは北の丸公園にある科学技術館で毎週土曜日の午後に、双方向性を重視した科学ライブショーをこの6年間開催している。リアルタイムシミュレーションで銀河がぶつかり、地球が舞い、分子が踊る。その前で、私のような科学者がその意味をお客さんに説明するという趣向である。これらの体験で、私は人間にとって双方向性がもっとも大事であることを認識した。理化学研究所の情報基盤棟の一階には、シミュレーション結果を任意の時間で、任意の角度から、自由自在に立体視してみる4Dシアターを作った。公開日などでは、絶大なる人気を博している。これらは、前面の平面スクリーン投影する方式のものである。

    で次は、シミュレーション画像をプラネタリウムドーム全体に投影する仕組みを開発し、ここのペタコンピューティングの環境を実現する。ペタドームだ。ドームでは視野のすべてを支配できるので、没入感も臨場感もさらに格段に良くなる。シミュレーション空間を計算者自身、自由自在に動き回って、ドームいっぱいに広がって繰り広げられる分子機械の動きに介入するのである。

    ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館内にあるヘイデンプラネタリウム( http://www.amnh.org/rose/haydenplanetarium.html )は、このペタドームのプロトタイプとも考えられる施設である。グラフィックワークステーションがリアルタイムに作り出すコンピュータグラフィックス画像が、7つのプロジェクターで直径25メートルのドームに投影される。ここでは、ドーム内では地上の束縛を離れて、宇宙空間を自在に航行し、銀河円盤の中をつききりさらには、宇宙の大規模な泡構造を横目で見つつ宇宙の果てまで飛び出せる。これがペタコンピューティング環境と結合すれば、ミクロの世界から、宇宙の果てまで自由に飛びまわるスーパープラネタリウムとなる。

    ペタドームの科学研究、教育、娯楽に与える影響は計り知れない。

    (理化学研究所情報基盤研究部 戎崎俊一)

    理化学研究所
    http://www.riken.go.jp/

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