2017年3月にデビューシングル『Best Part of Us』をリリースし、わずか半年でSpotify での再生回数は全世界で700万回を突破。アーティストとしての総再生回数も既に1,000万を超え、覆面アーティストAmPm(アムパム)のブレイクは、国内外で注目されている。8月9日にはジャカルタで行われた音楽ライブイベント「Spotify on Stage」にも出演し、今後の活躍にもますます期待が高まる。謎の多い彼らに、ブレイクした"今"を聞いた。

謎多きユニット AmPm

――突然Spotifyに現れて、驚異的な再生回数をたたき出しましたが、AmPmはまだまだ謎に包まれている印象です。AmPmはどういう形で始まったんでしょうか?

AmPm右「実は私たち、仮面を脱いでいる間は会社を一緒で立ち上げた共同経営者なんです。ふたりでデザインと音楽の会社を立ち上げたんですが、普段はそれぞれデザインの仕事、音楽の仕事を別々にやっていて。このふたつは、融合しそうでなかなか合わさらないものだったので、せっかくなら一緒にできる共同事業もやりたいよね、と話し始めたのがAmPmの原点なんです。でも、AmPmのコンセプトなどを決める前に曲のほうが先にできあがっていて。だから、曲はできたけどどうしようか、と(笑)。当初は別の名義でいくとか、この2人の組み合わせじゃなくするかとか、いろいろな案があったのですが、結局この2人でやる方が話が早いよねということで、今の形になりました」

AmPm左「音楽事業の仕事としてはミュージシャンのプロデュースなどを行っており、その関係で、いろいろな場所に行く機会があったんですね。ニューヨークなどいろんな街に行って感じたことや、心地よかった音楽を形にしたいという想いがあって。そういうものをあまり色を付けずにそのまま聴いてもらいたい。そう想いでできたのが、デビュー曲『Best Part of Us』です。この曲に関しては、作るぞ!と意気込んで作ったというよりも、こういうのイイよね、あれもイイよねとアーティストやミュージシャン、プロデューサーと話し合っていたら出来上がった、って感じですね」

AMPMというユニットでは、個人にお名前はないそうです

――ちょっと自然発生的な感じだったんですね。先に曲ができたとのことですが、その後コンセプトは決まったのでしょうか。

AmPm右「その時々で好きなものも変わるので、個々の好みは大事にしています」

AmPm左「共通の部分で言えば、ボーカルものが僕らは好きなので、そういう楽曲を作っていきたいし、あとは生音もできれば入れていきたい。もちろん今っぽい楽曲の中でということにはなるんですけど、生音の持っているヴァイヴスは入れつつやりたいですね。変わるかもしれないですけど(笑)」

AmPm右「今、リリースされている楽曲についても、生音をけっこう入れているんですよ。楽曲としては、いわゆるダンスミュージックのアーティストという括りになりがちなんですけど、ライブの中ではバンド編成でもできるような楽曲になっています。あと、サビは口ずさめるようなメロディにしていますね」

AmPm左「うん、現状はそんな感じだね。外国人目線で見ても、そう感じてもらえるようなものにしています。」

AmPm右「あと気にしているのは"頑張りすぎない"こと。あくまで自分たちの価値観の中でイイなと思うものを優先したいと思っています。マーケティング的な要素や、アーティストとしての固定概念が強くなりすぎてしまうと、長く活動できなくなると思うんです。リラックスとまではいかないですけど、いい意味で力が抜けた状態で活動していかないと、本当にいいものにならないと思っています。

――いちリスナーとしては、どんな音楽が好みなのですか?

AmPm右「僕はビートルズがずっと好きです。誰かの影響を受けたわけでもないんですが、毎年ジョン・レノンの命日にはジョン・レノンミュージアムに献花に行きます。初めての海外もロンドンだったのですが、それもビートルズの影響でした。ビートルズって、当時、前例の無いようなことをどんどんやっていて。フロントに立っていたメンバーだけじゃなくて、周りのスタッフも含めて、攻めのアイディアとメンタリティがものすごかったと思うんですよ。あの時代のサイケデリック・ロックは今も変わらず好きですね」

AmPm左「初めて買ったCDはKANさんの『愛は勝つ』でしたね。いろんなジャンルのJ-POPを聴いていましたが、ある時にマイケル・ジャクソンを入り口にしてブラックミュージックにハマっていき、ヒップホップを掘り起こして聴いたりしていました。その後、クラブカルチャーのほうに傾倒していって、DJなんかもやって、ハウスミュージックに流れていって。当時はフランキー・ナックルズとか、ディスコの逆襲のような時代でした。ハウスはまだアンダーグラウンドだったゲイやレズビアンの人たちが、自分たちが良いと思った音楽を主張して出来上がってきた部分があります。僕は彼らのような差別を受けたことはないんですけど、いいと思ったものは国籍や人種を問わず楽しもうというマインドには共感しますね」

AmPm右「音楽の好みは、全然違うんですよ(笑)。でも、同じである必要はないし、むしろ違いが歯車のようにうまくかみ合っているんです」

――デビュー曲は2015年の末には出来上がっていたそうですが、リリースは2017年3月でした。何かプロジェクトとしての戦略があったのでしょうか?

AmPm左「もちろん、戦略的理由も無かったわけじゃないんですが……。単純に忙しかったというのも大きな理由です(笑)。そろそろ手が空きそうだからやろうかな、と思うと別の仕事が入って来て、みたいな感じで。あとは、楽曲の季節感とかを意識して、楽曲のイメージや空気感から2017年3月がベストかなと思いリリースになりました」

――Spotifyでは2017年9月現在、アーティストとして総再生回数は1,000万回を超えています。このような反響は想定していらっしゃいましたか?

AmPm左「全然してなかったですね」

AmPm右「でも、もっと来てくれてもいいとも思っています(笑)。というのも、おかげさまで海外からの反響というのは数多くいただいているんですが、日本国内では、業界内でも認知はまだまだ。このように取材などの機会をいただくのも、ここ1-2カ月の話なんです。そういう意味では、もっと頑張らなければと思いますね」

――これだけの反響を得られた理由は何だと思いますか?

AmPm右「海外からの反響があった理由に一つは、デビュー曲のボーカルがネイティブに近い発音だったことは大きいと思います。実際にプロモーションも、国内よりも海外向けにいくつか展開しました。その成果か、Spotifyのアメリカとグローバルのバイラルチャートにチャートインでき、日本でも人気プレイリストなどで取り上げていただいて、そこから火がつきました。」

AmPm左「日本のチャートは気にしていましたけど、海外チャートはそこまで意識していなかったんです。なので最初は海外での反響にも気づいてなくて。しばらく経ってから“あれ?チャートに入ってる”って気が付いて(笑)」

AmPm右「アメリカのバイラルチャートに1週間くらい入ったのですが、なぜチャートインしたのかと逆算して調べ始めました。チーム内でも、なんでこうなったの?と話し合ったりして(笑)。そこからプロモーションにおける仮説ができ、2曲目の『Life is』、3曲目の『I don’t wanna talk』でそれを実践してみて、これらの結果検証をしたという感じです。そうこうしているうちに色々な国のバイラルチャートに入るようになってきて、毎日チーム内の連絡チャットで“このランキングに入った”“このチャートにも取り上げられた”ってやりとりして。……すごいな、これ、って見てました」

AmPm左「もう、どうなっていくんだろう……って感じですよね。一般の方と同じくらいのタイミングで(様々なチャートに入っていることを)僕らも知ったので。Spotifyのチャート画面を開いて、あれ?って。知ってるアーティストがいる、と(笑)」

――アーティスト側もそんなふうにチェックしていたんですね(笑)。普段、曲作りはどのように行っているんですか?

AmPm右「先日リリースした『Darling Break Free』と『Sunset Breeze』はどちらも夏の曲ですが、いずれも曲でも、主人公は男性なのか女性なのか、情景は朝日なのか夕日なのか、温度はどれくらいで湿度はどのくらいか、みたいなことを企画書に起こして、じゃあそれはどんな音で表現できるのか……と考えていきました。こうしたやり方は、普段の仕事の影響もあるかもしれません(笑)。もちろん、それだけじゃいい楽曲にはならないので、試行錯誤をしています。同時に、自分たちにとって本当にそれが心地いいかどうかも、検証します」


企画書に作成するユニークなスタイルで、音楽を生み出していくAmPm。Spotifyにて、様々な国のバイラルチャートにもランクインしたその楽曲を、是非この機会に聴いてみてほしい。インタビュー後編では、AmPmとして、「今後、挑戦してみたいこと」などについて紹介していく。

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