東京から南西へ5400km。人口554万人、国内総生産2979億米ドル。赤道直下に位置する、東京23区と同じ大きさの国―――シンガポール。

ニューヨーク、ロンドン、香港に次ぐ、世界有数の金融センターであり、国際物流のハブ拠点でもある。年間1500万人以上の観光客が世界から訪れる、東南アジアの経済大国だ。だが、1965年にマレーシアから独立し、シンガポール共和国として歩みだしたころの姿は、今日の摩天楼きらめく姿からは想像できないほど、かけ離れたものだった。

独立直後(左)と現在(右)のシンガポール共和国

国策としてのインフラ事業に日本企業が貢献

いかにして、シンガポールが華麗なる発展を遂げたか。この国の「いま」をつくった"礎の一つ"に、国策として取り組んだインフラ事業が挙げられる。経済開発庁のLIM Kok Kiang氏は、シンガポールが目覚ましい経済発展を遂げてきたファクターのひとつに「よいインフラや、よいビジネス環境、よい技術者を提供すること」をあげている。

シンガポールの産業や生活基盤となる、インフラストラクチャー(infrastructure)はいかにしてつくられていったか。実は、そこには数多くの日本企業が貢献し、現在もこの国の発展を思い描きながら、日本人が現地で暮らし、働いている。

明治時代に創業し、社会インフラ事業・産業システム事業・保守サービス事業などを主事業とする重電メーカー、明電舎もそのひとつだ。

日本企業が赤道直下に位置する小さな国の発展を、いかにして支えてきたのか。明電舎が現地で手がける「電力」「鉄道」「水」にフォーカスし、現地で働く彼らの仕事から、この国の成長を見ていこう。

暮らしやすさ、経済を加速させるための「電力網整備」

シンガポールが自らの足で歩み始めるための、原動力として欠かせなかったのが電力だ。この国のインフラ整備は、まず安定的な電力の供給から始まった。

電力を安定的に供給するためには、発電システムだけでなく、ビル・一般家庭などに送電するための変電システムが必須だ。明電舎は、シンガポール建国当時から、変電システムを提供し、国内の隅々まで滞りなく電気を供給することに尽力した。

シンガポールではいま、約1万4000基を超える明電舎の変圧器が、各地の変電所におさめられ、そこで暮らす人たちの、なくてはならないライフラインを支えている。東京から5千キロ以上離れた赤道の地で働くMEIDEN SINGAPORE PTE.LTD.(以下、MEIDEN SINGAPORE) Sales Divisionの内田 裕之氏は、いま取り組んでいる仕事についてこう語る。

「シンガポールと日本で製造している変圧器・開閉装置をメインに、東南アジア・中東などに営業・販売を行うセクションに所属しています。このなかでわたしは、シンガポール電力様(SP PowerGrid Ltd)向けの電力機器の入札を担当し、受注前の提案活動から、納入業務、アフターサービスまでを対応しています」

シンガポールへ赴任し、6年が経った内田氏はいま、良いプレッシャーを感じながら、日々、受注に向けた営業活動を続けている。

MEIDEN SINGAPORE Sales Divisionの
内田 裕之氏

「シンガポールは、電力設備への堅調な投資が続き、入札金額の規模が大きいことから、いつも大型受注の期待とプレッシャーを一身に背負っています。そのぶん、受注できた時のよろこびはひとしお。もちろん、国際入札なので、欧州や中国、韓国などの大手サプライヤーとの価格競争は避けられません。いかにその価格競争に立ち向かうか、とことん議論を重ねたうえで、入札に臨んでいます」

各国の競合他社がせめぎ合うシンガポールで、海外メーカーと日本メーカーの決定的な違いで、ひと一倍努力したと内田氏はいう。

「日本と異なり、海外の電機メーカーの営業は技術部門の出身が多い。そこへきてわたしは事務系の出身。しかし、当然ながら、クライアントは当社製品についてわたしになんでも聞いてきます。いつも日本から技術者を出張させるわけにはいきませんから、腑に落ちるまで技術担当者に何度も聞いて、理解して、得意先にシンプルに説明できるよう、準備しています。その結果、クライアントとの信頼関係が構築できたと感じたときはうれしいですよね。相手の期待に応えられなければ、その場で会話は終わってしまいます。営業として、相手がいつも何を考えているのかを把握できるように努めています」

そこに住む人たちの暮らしになくてはならない設備を届ける仕事。うれしい瞬間については、「やはり大型の入札を落札したときですよね。また納入後、当社設備が何台もシンガポールの変電所で稼働しているのを見ると、やっぱり士気が高まります。明電舎の仕事が、人々の生活・経済活動を支える根幹となるインフラに関わっているんだと。そこに大きなやりがいを感じます」と内田氏。また、この国で明電舎ブランドを継承させる想いをこう話していた。

建国当時、明電舎が初めて変圧器を納入した変電所の一つ

「明電舎は、ここシンガポールで50年以上の実績があり、日系メーカーとしての信頼と実績がある。ですが近年、中国・台湾・韓国などが積極的に応札し、我々を取り巻く競争環境はさらに厳しくなってきました。シンガポールの状況だけではなく、一段上の視点、海外変電マーケットの視点でとらえ、どのような手を打つべきかを、社内に発信できるような人材になっていきたい。シンガポールでの明電舎ブランドを、次世代に継承できるよう、がんばりたいですね」