高度経済成長期の余韻が残る昭和48年の春、甲子園を沸かした怪物ピッチャーがいました。今では気さくな野球解説をしている作新学院の江川卓です。一部の週刊誌では、江川が高校2年生の時から、栃木の作新学院に怪物ピッチャーがいると特集を組んでいました。公式戦で完全試合を2試合、ノーヒットノーランを9試合という実績を打ち立てた正に怪物と言うに相応しいピッチャーで、江川の投球を観た時に世の中にはこんな高校生がいるのかと鮮烈な感動を覚えました。

魔法のコントロール

江川の話に入る前に、なぜ私が野球を好きかについて背景を少し書きます。長崎の実家の隣がNHKの独身寮だったこともあり、独身寮の野球同好会の人たちに混ざって、私は幼少期から野球で遊んでもらっていました。そのお蔭で小学生の低学年では絶対に捕球できないような速い球もキャッチできたり、トスバッティングでバットの真っ芯にボールを捉えられるようになり、野球には密かに自信を持っていました。

例えばバットの芯(重心)の位置は、バットとバットを当てた時に手にしびれが来ない場所が芯、なんてことも小学校1年生の時には教わって知っていました。自分でも一番びっくりしたのは、NHKの人が教えてくれたアンダースローのコントロール法でした。その内容とはボールを投げ終えた時に、左右のつま先の向きを目標方向に向けること、そして一番効果があったのは左足と右足の着地点でのつま先を繋ぐ直線に直角方向に投球は進むと教えられて、それを意識して実践したら本当にストライク・ゾーンにボールが進んだのです。それが常にできるようになるために足場にタオルを敷いて、両足のつま先がタオルすれすれに着地するよう何度も練習させられた結果、左右のコントロールは見事に外さなくなりました。

高低のコントロールは、腕の振りの力加減とボールを投げ出す最後のタイミングでの手首の回転(ひねり)具合で調整するように言われました。特に人差し指に力を入れ気味に手首の回転を強めにすると、右バッターに対して外角高めに逃げていく変化球になり、凡打に打ち取るのに効果的でした。強打者も外角高めは腰が伸びきった体勢になるため飛距離は出ないのです。ましてや小学生レベルでは曲がって来る外角高めは当てるのがやっとで、ボテボテのセカンドゴロとなるのがせきの山でした。こうした経験から、小学校高学年では草野球の時も、学校代表チームの公式戦も、4番でサードという定位置を確保できるようになりました。教える人の理論が理に適っていて、教え方が分かりやすいと素質は開花するといった感じです。

こうして隠れた野球オタクとなった私が、大学進学で静岡から上京した時の正に入寮日に、寮のロビーの白黒テレビに春の選抜高校野球で江川のいる作新学院(栃木) 対 北陽(大阪)の試合が放送されていました。手続きを待っている間に江川の投球を観ていると、大会最高チーム打率を誇る北陽打線は、何とボールにかすりもせず、初回から2回の4番バッターまで呆気なく連続三振に打ち取られました。5番バッターが22球目を初めてバットに当てましたが、1塁スタンドへのファウルがやっとだったのです。それでも観客は「怪物の球によく当てた」とどよめきました。結局19奪三振という驚異的な記録で作新学院が完封勝利を収めました。2回戦以降も江川の剛腕は冴えまくり、マスコミもこぞって作新学院ではなく江川を倒すチームはどこだという論調で大会を煽りました。準々決勝の四国の今治西戦では20奪三振で8打者連続三振という記録まで打ち立てました。ここまで来ると判官びいきで江川を打ち負かすチームはないのかと私も思うようになったのは不思議です。

そして運命の準決勝を迎えます。対戦チームは古豪の広島商業です。後年の広島商業監督の回想で、広島商業は江川対策のため前年の秋に選抜出場が決まった段階から、これしかないという作戦を訓練したと語っていました。それは「江川の球は打たなくてよい(バットを短く持っても打てないから)」という指示の下に、打たなくて勝つ方法を徹底したのです。具体的にはまずベースに極力近づいて覆いかぶさるようにバッターボックスに立ち、江川に内角球を投げにくくさせました。次に投球数を1球でも増やすため、高めの球に絶対手を出さないようにバットを振らずただボールを見るだけの練習をさせました。それまでは相手チームが江川の球の速さに幻惑され、高めのボール球にも手を出したことで、江川は100球以内の投球で試合を完結させていたのです。

とにかく江川を疲れさせ、試合の中で訪れるであろう1回か2回のワンチャンスに賭けるというギリギリの試合に持ちこむのが広島商業の戦略でした。この高めの球を捨てるという作戦が功を奏したことと、ラッキーなテキサスヒットが生まれたこともあり、唯一江川から初得点を挙げたのです。そして打たなくて勝つという究極の作戦が運命を分けます。それは8回裏の広島商業攻撃での2アウト1塁2塁の場面でダブルスチールを慣行したのです。作新学院のキャッチャーも絶対盗塁してくると予想(回想談)していましたが、3塁への送球が高くそれてレフトに達する間に作新学院にとっては痛恨の失点となりました。こうして江川の快進撃は準決勝で止まったのです。今思うと江川の史上最多の奪三振記録で優勝する姿も観たかった気もしますが、野球の神様は怪物と言われた江川にも非情でした。

そして私はその2年後に生の江川を神宮球場の法政大学 対 慶応大学戦で見ることになります。「バックネット裏から実際に見る江川の球は実に速かった」というのが偽らざる感想です。六大学野球は一発勝負のトーナメント制ではないので、江川も80%程度の力で投げていました。それでも速いのです。江川は相手が打てないと確信すると、時折気を抜いた超スローカーブともチェンジアップとも判別のつかない球を投げる癖がありました。ただしヒットを打たれた後は、頭に血が上るようで100%の力で剛速球で三振に打ち取り、バッターを威圧するというパターンが多いように感じました。一点、江川の投球フォームを見て気づいたのは左足を少し跳ね上げて勢いを付けるせいか、若干腰高状態(手投げ)に陥り高めの球になる傾向があることです。多分地肩が強いと思うので、それでも速い球が投げられるのでしょうが、投げ終わった時にあと足半分踏み出して腰を落として前傾姿勢をとれば、低めにも球が投げられ更に球速は増したのではないかと思います。YouTubeで巨人時代の江川の投球映像を見ると、球速表示が145km前後なのは本当かなと思ってしまいます。体感的には155km程度ではないかと思うのですが、目の錯覚なのでしょうか。いずれにせよ甲子園を沸かせた偉大なピッチャーは私を大いに感動させました。

【おまけの話】恐るべし理数科出身の銀座ホステス

クラブでの余興に数学のちょっとした技を使ったゲームがあります。2人で交互に1から始めて5個以内で連続する数字を言っていき、相手に30を言わせた方が勝ちという単純なゲームです。例えば、客「1、2、3、4」、ホステス「5、6」、客「7、8、9、10、11」と言った感じで繰り返していきます。このゲーム、実は勝つロジックが決まっていますので、それさえ知っていればホステスから思わぬプレゼントなんてこともあります(決して悪用しないでくださいね)。

まさか銀座のクラブのホステスは、このゲームのからくりは知るまいとゲームをしようと言ったところ、その知的で妖艶なホステスは「ちょっと待ってね」と暫し考えた後、「えっと、あたしが先攻で良い?」と言うのです。まあ途中で逆転できると「良いですよ」と答えてゲームしたところ、勝負の結果は見事に妖艶な女性にやられました。後で聞くと、その女性は地方の進学校の理数科出身で、有名大学の数学科在籍でした。

結論を言うと、このゲーム、5、11、17、23、29を押さえるように数字を続ければ必勝なのです。従って最初の5を押さえれば、先攻がミスをしない限り勝ちます。この女性はそれを10秒ぐらいで突き止め、ゲームに応じたのでした。いやはや世の中、隠れたところに才能の持ち主はいるものだと痛感させられました。原理→ (最終ゴールの数値G=30) - 1 - ((最大連続数M=5) + 1) x n(整数) の数をそれぞれ押さえていけば勝つ仕組みです。GとMが変更しても原理は一緒なので応用可能です。

本記事は、アイ・ユー・ケイが運営するブログ「つぶやきの部屋」を転載したものになります。

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