提供:HUAWEI JAPAN

ファッションデザイナー/シューズアーティストの串野真也氏は、普段からノートとペンだけを持ち歩き、PCやタブレットは持ち運ばないというアナログ派の職人だ。その感性が生み出す靴は、まさにアートといえる幻想的な世界を体現し、あの世界的に有名な女性アーティストの足元をも彩ってきた。今回はそんな串野氏に、ファーウェイの2 in 1タブレットデバイス「HUAWEI MateBook」を使用してもらう機会を得ることができたので、インタビューの様子をお伝えしよう。

「時代を超越するファンタジー」をコンセプトにしたシューズデザイン

株式会社アトリエクシノ
代表取締役 串野真也氏
http://masayakushino.jp/

独創的な靴を作り続ける串野真也氏は、広島県尾道市に属する因島で生まれ育った。中学生のころにはすでに服飾デザインに興味を持っていたが、そのころは"作る"というよりも、"着る"ことへの興味が強かったという。そんな串野氏が、シューズアーティストへの道を歩み始めるきっかけとはなんだったのだろうか。そして、アーティストとして表現したいこととはなにか、詳しくお話を聞いてみた。

──シューズアーティストという道を選んだきっかけを教えてください。

中学生くらいのころには、将来服飾にかかわる仕事がしたいと思っていました。私は広島県の因島出身なのですが、この島にはファッションと呼べるものが非常に少なかったのです。みんなダサくて、身に着けているものといえばジャージやウィンドブレーカーでした。そういう環境がすごく嫌で、同じものを着たくないなという思いを強く持っていました。そして高校生になり、さまざまな情報が入ってくるようになると、パリ・コレクションという具体的な目標ができたのです。

──ずいぶん早くから、服飾の道を志していたのですね!

この道に進もうと決断した時期は、割と早かったかもしれませんね。そして高校を卒業後、京都芸術デザイン専門学校で服飾を学びました。京都を選んだのには理由があります。海外の方はすごく自分の国のことを愛していて、非常によく知っているのに、自分は思ったより日本のことを知らないなと思ったからです。ならば、まず海外に行く前に、一番日本の文化が残っている京都という場所に住み、自分で体感したいなと考えました。その後、イタリアの"Istituto MARANGONI"のファッションデザインマスターコースに入学したのです。「何か自分の感覚と違うな?」という違和感を感じつつ、1年ちょっと勉強をして京都へと戻ってきました。

──本格的な洋服のデザインを学びながら、なぜ靴のデザインという道に入ったのですか?

京都へ戻ってからは洋服をファッションコンペに出したりしていたのですが、なかなか芽が出ることがありませんでした。そんなとき、「ジャパン レザー アワード」という"革を使用していれば服でも靴でも鞄でもOK"というコンテストの存在を知りました。こちらで審査委員長を務めていたのが、パリや日本で活躍されていたデザイナーの三原康裕さんです。私が当時思い描いていた靴を思うままにデザインし、職人さんに制作してもらい応募したところ、色々大変だったのですが、グランプリを頂くことが出来ました。このコンテストをきっかけに、三原さんの下で働きたいとお願いしたのですが、就職は断られてしまいました(笑)。

──自分を表現しやすいものが靴だ、という思いが生まれたきっかけはなんですか?

今は変わった靴がたくさんありますが、私が靴を始めた2007年ごろは、世間にあるデザインは画一的で面白みがなかったと思うんですよ。いろいろとアイデアもありましたので、この世界なら新しいデザインに挑戦できるんじゃないかと考えました。僕が作品として作る靴にはコンセプトがあります。一つは「誰も見たことがないデザイン」、もう一つは三原さんからいただいた言葉で、「時代を超越するファンタジー」です。素晴らしいものや優れているものは、どの時代に見ても感動するものだと思うんですよ。僕もそういう靴を見るとインスピレーションが生まれますし、そういう作品を自分で作りたいと思います。