アウトドアウオッチの定番ブランドとして完全に認知された感のあるカシオ「PRO TREK」(プロトレック)。そのプレステージラインが「MANASLU」(マナスル)だ。

MANASLUはネパールのヒマラヤ山脈にある標高8,163mの山。1956年5月9日に、日本の登山隊が世界で初めて登頂に成功した。それから60周年となる2016年、PRO TREK MANASLUの歴史もまた振り返るべく、取材班はカシオ計算機 羽村技術センターを訪れた。

PRO TREK MANASLUの代表的モデル、集結!

「MANASLU」というネーミングの由来は?

今回ご対応いただいたのは、カシオ計算機 時計事業部の牛山和人氏と、同じく小島健二氏。牛山氏はPRO TREKのエンジンともいえるモジュールの開発、小島氏は時計としてのデザインを担当。お二人とも、PRO TREKの歴史を牽引してきたキーパーソンだ。

カシオ計算機 時計事業部 モジュール開発部 牛山和人氏(左)と、カシオ計算機 時計事業部 デザイン開発部 小島健二氏(右)

さて、PRO TREK MANASLUは、どのような経緯で誕生したのだろうか。

牛山氏「PRO TREKを薄型化したPRW-1300を開発して以来、普段使いの時計として使っていただく方が増えました。こんな方々に向けてさらに上質なモデルを作ろうという話がありました。ビジネスシーンで使われていることが多かった、PRW-1300T-7JFが発売された2007年ごろの話です」

ちなみに、PRO TREK開発チームの自信作だったPRW-1000というモデルがあり、プロ登山家で現在はPRO TREKのアンバサダーを務める竹内洋岳氏が、ヒマラヤの8,000m峰カンチェンジュンガに登頂するときに携行した。ところが「腕に巻いてもらえなかった」という結果を知り、その経験をもとに大きく進化させた薄型モデルが、PRW-1300である。

PRW-1000を手首に巻かなかった理由について竹内氏は、「時計として厚すぎるだけでなく、見やすいともいえない」と述べている。このあたりのエピソードについては、過去記事『カシオのアウトドアウオッチ「PRO TREK」、20年の進化を紐解く』 をご参照いただきたい。

「マナスルという山には、不思議な縁を感じますね」

牛山氏「このときの竹内さんの意見を採り入れて作ったのが『PRW-1300』というモデルです。おかげで2007年、竹内さんが初めて腕時計として着用して、ヒマラヤの8,000m峰に登ってくれました。この山がマナスルだったのです。

さらに、そのフィードバックを受けて、我々としても新しくわかったことが色々とありました。たとえば、PRW-1300のワールドタイムにはネパールのカトマンズが入っていなかったため、ヒマラヤ登山でネパールの時差に合わせられませんでした」

ネパール(カトマンズ)と日本(東京)の時差は、3時間15分(日本が早い)。一般的な時計ではカトマンズの時差に合わせられなくても仕方ないが、ヒマラヤ登山で使うことを想定したPRO TREKでは「"不具合"でしたね」と牛山氏は語る。

牛山氏「その改善と同時に、薄型化のためにPRW-1300では搭載を諦めた二層液晶など、"置き忘れてきたもの"も取り返した上で、よりいいものを作ろうと企画したのが『PRX-2000T』。のちの初代MANASLUです」

時計として厚すぎると評価されたPRW-1000(左)、カトマンズの時差設定ができなかったPRW-1300(中)、これらを改善した初代MANASLU PRX-2000T(右)

初代MANASLU PRX-2000Tは、ケース厚を抑えながら二層液晶の搭載に成功

牛山氏「PRX-2000Tを社内プレゼンするにあたり、これはプロ登山家の竹内洋岳さんがネパールのマナスルという山に登って色々と気付いたことを反映したモデルだと説明するわけです。すると当然、マナスルって何? と聞かれる。

マナスルはヒマラヤの8,000m峰で、1956年、この山に世界初登頂を果たしたのは日本の登山隊なんですよ、と説明しました。すると、おぉ、それはカッコイイね、とすごく反応が良かったんです。それから、PRO TREKのプレステージラインにはMANASLUというサブネームが付くようになりました」