2016年1月、熊本県の天草へ行った。筆者は熊本出身であり、父方が天草、祖先の墓参とともに、憧れの宿を訪ねたのだ。訪問したのは下田温泉の「石山離宮 五足のくつ」(熊本県天草市)である。

この先に、憧れの宿がある

熊本地震、風評とも戦う

オーナーの山崎博文氏とは、東京にて業界関係の会合で何度かお会いしているものの、宿泊施設関連の仕事をし、同郷でありながら宿を訪ねていないことを気にかけていた。「日本でもない、九州でもない、アジアの中の天草」というコンセプト。ボーダレスなスケールを感じる山崎氏の話を東京で聞いていたためか、訪ねる前から大きな期待感が膨らんでいた。

訪問日は曇天、九州最西端に位置するというのにとても肌寒い日だった。宿正面に広がる天草灘はとても荒れていた。翌日、雹に見舞われる異常気象。思えば、何かの予兆だったのだろうか。その2カ月半後、思いもよらぬ熊本地震が発生。筆者の実家には両親が住む。避難所への往復が続く。親族も被災した。肉親への想いとともに、仕事柄、熊本の観光地の仲間の宿を按(あん)じずにはいられない。

東京で情報収集に躍起となり、もちろん五足のくつにも電話を入れたが、山崎オーナーは意外に落ち着いた声だった。「不幸中の幸い」と表現するのは不謹慎だろうか。天草地方は被災が軽微だったものの、観光地の場合、風評によるキャンセルを取り戻すのが至難である。誰もが憧れる宿とて厳しかったと思うが、「楽園を創る」というポリシーを持つオーナーゆえ、弱音ひとつなく営業を続けられた。

グラスを飲み干すのが先か、日が暮れるのが先か

ソファに合わせて客室を造る

この宿は2つのタイプに分かれている。「Villa A/B」棟と「villa C」棟である。C棟は後から完成した建物。棟によって出される看板料理が違う。日本列島の最西端の海景を望む別天地に2つの宿が存在すると考えた方がいい。どちらの棟も全室に専用露天風呂が付き、プライバシーを尊重する姿勢は共通している。そして、オーナーのスケールの大きさとセンスが垣間見られる佇(たたず)まいもしかりである。

「villa C」

一例を挙げると、ある時、山崎オーナーが気に入ったソファを見つけた。日本の家屋には不向きなそのソファはサイズがとても大きい。同氏はすかさず、このソファにふさわしい客室の絵図を描き始めるのだ。配置さえも考えて客室を造った。そして、その発想の結末にはソファまでオリジナルで造ってしまった。Villa Cに、その客室がある。宿にはオーナーの人間性がにじむ。山崎氏はそんな人だ。そして、五足のくつはそんな宿である。

全室に専用露天風呂が付いている

「天草大王」の肉の旨味

前置きが長くなってしまったが、スペシャリテ(看板料理)である。まずはvilla Cの名物料理からご紹介しよう。その名も「天草大王 石焼き蒸し鍋」。

「天草大王」は江戸時代から昭和にかけて存在した幻の鶏肉。大型の雄は背丈90cm、体重が7kgにも達したとされるが、雌雄の姿を描いた1枚の油絵とわずかな文献を残すのみで絶滅したとされている。

この幻の鶏肉、アメリカのランシャン種にシャモと熊本コーチンを交配させた後、選抜淘汰を繰り返し復元に成功したこと、ある食品展示会で知識を得ていた。復元後、筆者は一度しか食したことがなかった。大型の地鶏なのになんとも味が濃いのだ。一時期、あまりにも人気となり生産が追い付いていないと聞いていたが、五足のくつはこれを看板料理にしていた。

「天草大王 石焼き蒸し鍋」

客の目の前でスタッフが溶岩石で天草大王を焼く。軽く火が通ったところでカツオ出汁をかけて蒸し焼きにするという特殊な鍋である。溶岩石でジュウジュウと焼ける音と香ばしい匂いの演出、そして、中華のおこげ料理のように出汁をかける。客が注目する中、すぐに蓋をして蒸し焼きにする。ここで待たされる。聴覚と視覚と臭覚を刺激する演出の後に待たされるのである。じらされ方が嫌じゃない。

villa C棟のコース料理では、天草灘でとれる鮮度抜群の地魚や珍味のオンパレードなのだが、どうしてもこの演出にやられ、ほかの料理はおいしかったという感想しか残らない。「記憶に残る」とは、そういうことなのだ。

「せんだご鍋」ってなんだ!?

一方、villa A/B棟だが、こちらでもこの冬、ストーリー性と地域性を織り交ぜた創作料理が登場する。

天草では、16世紀に宣教師によって伝えられたジャガイモのことを「異人カラ芋」と呼ぶらしい。このジャガイモで一口サイズの団子を作る。とても手の込んだ調法だ。これを「せんだご」という。「だご」は熊本弁でだんごの意味。「せんだご」は天草地方の郷土料理なのだが、これをvilla A/B棟の冬季のスペシャリテ(看板料理)として、五足のくつ風にアレンジした一品、これが「せんだご鍋」だ。

「せんだご鍋」

生まれ故郷ゆえ、筆者は熊本に「だご汁」という郷土料理があることは知っているし、大好物である。しかし、これは小麦粉で「だご」を作る。こちらはジャガイモで「だご」を作る。同じ熊本でもアレンジが異なる。

「せんだご鍋」はカツオ出汁。とてもやさしい味なので、白菜、人参、南瓜、里芋、玉ねぎなど旬の野菜との相性がいい。この鍋で旬の寒ヒラメをしゃぶしゃぶでいただくのだから堪(たま)らない。この宿は、郷土料理を繊細な創作料理に高めている。

旬の寒ヒラメをしゃぶしゃぶ

天草は、隠れキリシタンの歴史を持つ。信者は単にカトリックとしてだけでなく、隠れながらでも信仰を遵守したことを誇りにしているという。この地には、表層には見えにくいが、こだわりや誇りを胸に生きる風土が根付いていると感じる。山崎オーナーと酒を酌み交わすと「哲学」と「覚悟」を感じずにはいられない。熊本地震の風評被害にも動じない強さを見せられた。ひょっとすると、この宿の真のスペシャリテは、オーナーの強い「心」なのかもしれない。

「がんばれ、熊本! 」と、遠くで故郷を想う。

●information
石山離宮 五足のくつ
熊本県天草市天草町下田北2237
アクセス: 天草空港からは車で40分。空港まで送迎あり
1泊2食料金: villa A/B棟ひとり税別2万5,000円~、villa C棟ひとり税別4万5,000円~

筆者プロフィール: 永本浩司

通信社編集局勤務、広告ディレクター、雑誌・ビジネス書の編集者を経て、観光経済新聞社に入社。編集委員、東日本支局長などを歴任。2004年に転職を決意、外食準大手・際コーポレーションに入社。全国に展開する和洋中華350店舗128業態のレストラン・旅館の販売促進を担当。リゾート事業も担当、日本初、公設民営型の公共事業、長崎県五島列島・新上五島町にリゾートホテル・マルゲリータを開業させた。2015年、宿のミカタプロジェクトを設立。1軒でも多くの旅館・ホテルを繁盛させ「地域の力」を呼び覚ますべく旅館ホテル支援事業を展開。宿泊した旅館の数は全国で数百軒以上、年間の出張回数は150日以上、国内を中心に飛び回る日々。地域デザイン学会会員。