先日、表千家茶道家元へ行ってまいりました。宿泊したのは、家元まで徒歩圏内の京都ブライトンホテル。とても気持ちのよいホテルでした。ロビーラウンジには自然光が明るく入り、どの部屋へ入る通路からもロビー階が見下ろせます。華美な装飾がなく、資源を無駄にするような過剰なサービスもなく、必要なものを気持ちよく提供してくださるように感じました。

京都 表千家家元

京都ブライトンホテルのロビー。ロビーから見える紅葉と還暦雛

「いってらっしゃいませ」「おかえりなさいませ」と、まるで何年も通っているかのような自然な挨拶です。着物のための衣紋かけもすぐに用意してくださいました。

人は不思議なもので、過剰に与えられると邪見にしたり、丁寧に受け取らなかったりしがちです。大事にされすぎるホテルの接客はかえって居心地の悪い照れくささから、つい横柄になってしまうのかもしれません。最高のもてなしには、適度な距離感が大切であるということを、京都の人たちは昔から、知っていたのでしょう。

朝は、お部屋の清掃サービスの方が、手をとめて目を合わせて「おはようございます」と声をかけてくださいます。その方がホテルスタッフの一員としてお仕事に誇りを持っていらっしゃるように感じました。

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少し前に、ある大手企業の部長M氏とお話する機会がありました。職場で、シュレッダーのゴミがいっぱいになり、たまたま自分がいたのでゴミを捨てようとしていたのだそうです。その時に、中の細かいゴミが散らかってしまい、「コロコロを持ってきてほしい」と部下に声をかけた。すると若い職員は「どうぞ」と持ってきた。「部長、私がやります」ではなかったのだと言うのです。

M氏は言います。「今の時代、若い者がお茶くみ、ゴミ捨てをするもの、と教育する気はない。気が付いたなら部長でも誰でもやればいい。でも、目上のものが床に手をついてゴミを拾っている時に「私がやります」と声を掛けられないことは、お客様に対しても同じなのではないかと危惧している。本当にそんなことで、お客様にとって嬉しいサービスを提供できるのだろうか」というお話でした。

そして、ローラー式の掃除道具では時間がかかるので、掃除機はないのかと尋ねると、「掃除機は音が出て、仕事している人の邪魔になるのでうちの会社は置いていません」と。「たしかに、一緒に働く人の立場になれば、音の問題に配慮するのは大切かもしれない。でも、毎回シュレッダーのゴミ掃除に10分以上誰かが這いつくばるくらいなら、2分掃除機をかける方が早くきれいになるのだから、職場の生産性としてはその方がずっとよいはず。前例を何も疑わず、自分の頭で考え直すことをしないまま答えていることに気づいてほしい」ともお話されていました。

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茶室では、客も亭主も水屋の係も、上下はなく、それぞれに役割があります。その役割は過不足なく果たすことが大切で、それはとても難しいことです。人間関係も同じです。対等に、相手やその場のために、自主的に、自らの役割を果たそうとする心が、もてなしです。

一方的に与えることでも、無理に犠牲になることでも、媚びへつらうことでもありません。相手を信頼していると、過剰なサービスは案外できなくなるものです。社会の中で、どちらの役割も繰り返し経験することで、相手の立場や気持ちが少しずつわかるようになります。

昨今では、パワーハラスメントなどの視点から、上下関係の教育は神経を使うようですが、役割を与えられているという客観性を持つとよいのではないでしょうか。生まれた時から先輩で上司である人はなく、下の立場も上の立場も、サービスを提供する立場もお客の立場も、どちらも私たちは経験します。茶道は、お互いに対等でありながら、常にその立場にふさわしい振る舞いを考える習慣を身に着けることができ、ビジネスパーソンにもおすすめです。研修などにも茶道の体験は適していると考えています。

■ 竹有上下節

「松無古今色 竹有上下節(まつにここんのいろなし たけじょうげのふしあり)」

世界は、古今変わることのない松の緑に象徴される平等相と、竹の節に象徴される差別相と、で構成されている。平等な世界の中で、男女、親子、師弟など状況に応じた差異性が生じる。様々な事象の中にある差別は平等を起点としており、平等も差別のあることを前提として成り立つという表現。

(出典:五灯会元)

プロフィール : 水上 繭子(みずかみ まゆこ)


大学時代に表千家茶道の師と出会い、入門。京都家元での短期講習会に参加し、茶道の奥深さに惹かれ、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)勤務や結婚、子育ての中で、茶の湯の稽古を継続する。その後、茶道の豊かさ、楽しさ、奥深さを伝えるべく、茶道教室を主宰。近年はコミュニケーション力や新しい発想力を養う人間力道場としての茶道を提案している。