配車サービスというと、これまでUberが圧倒的な存在だったが、最近は近所でLyftの車をよく目にする。このあたりではUberとLyftの両方に登録してリクエストのある方の看板を出して走っているドライバーが多いので、Uberを避けてLyftを使う人が増え、それでLyftが目立つのだろう。

Uberを敬遠しているのは利用者やドライバーだけではない。Buisness Insiderのレポートによると「シリコンバレーのプログラマーはUberに務める友人に退職を促している」そうだ。

スマートフォンを活用したオンデマンド型サービスの開拓者であり、同様のサービスが「Uber for X」と表現されるほど高く評価されていたUberが、なぜ今これほど嫌われているのか?

「U」マークを貼って走っているuberXの車、サンフランシスコのダウンタウンを走る車をよくチェックするとたくさんの車が「U」マークを付けている。

トラブルが絶えなくても、Uberは「やんちゃなスタートアップ」と大目に見られていた。ところが、今年1月のジョン・F・ケネディ(JFK)国際空港でのトラブルで風向きが変わってしまった。トランプ大統領が7カ国の国籍保持者の入国を制限する大統領令を発した時に、JFK空港においてタクシー運転手も参加する大規模な抗議活動が行われた。タクシー運転手のストライキで空港は大混雑だ。その最中に、UberはJFK空港において混雑時の割り増し料金を課さずに通常料金で配車するとツイートしたのだ。後に「ストライキを妨害しようとしたのではない」と謝罪したが、Uberドライバーにも移民がたくさんいるにも関わらず、タクシーのストライキを商機と見なしたUberに人々は失望。UberのCEOであるTravis Kalanick氏が当時トランプ大統領の経済諮問委員会のメンバーだったこともあって(後に辞任)、Uberボイコットが瞬く間に広がり、20万人以上がUberアプリを削除した。

さらに2月、Uberの元社員の女性がUber在籍時に受けたセクハラやパワハラ、そして抗議を受け付けなかった人事部について自身のブログで告発。それをきっかけに、同様の暴露が続々と出てきた。Uberの社内調査を経てエンジニアリング担当のシニアバイスプレジデントが辞任し、一段落となったが、同じ時期に営業秘密保護法違反および特許侵害で訴えられるという問題も起きた。提訴したのは、Alphabet傘下で自動運転技術を開発するWaymo。Uberが買収したOtto(自動運転トラックを開発)の創業メンバーが、Google時代にGoogleから自動運転技術に関するデータや資料を持ち出した疑いが持たれている。

そして3月、Greyball疑惑が持ち上がった。これは3月3日にNew York Timesが報じたもので、Uberが「Greyball」というプログラムを用いて、配車サービスが認可されていない地域において取り締まりや調査を回避していたという。Uberによると、Greyballは同社のサービス規約に違反するユーザーの利用を防いでドライバーを保護するためのプログラムである。だが、New York Timesは取材を通じて、運輸管理局の職員など規制当局の関係者が配車をリクエストすると配車がキャンセルされていたことを確認しており、おとり捜査や調査を避けるためにGreyballを利用していたならVolkswagenの排ガス不正と何ら変わらない。8日にUberが声明を公表し、Greyballのこれまでの使用を再確認し、不適切な使用を防ぐように対策を強化することを約束した。

最後の一線に立たされる開発者

Uberに逆風が吹いている理由を一言で言い表すと「倫理崩壊」である。

これは「売り手」と「買い手」の間において片方のみが専門知識や情報を持ち、もう片方が持たない「情報の非対称性」の問題と言えるだろう。よく「医者と患者」や「中古車ディーラーと売り手/買い手」が例に出されるが、サービスやアプリケーションの開発・提供も「情報の非対称」に当てはまる。情報不均衡が大きくなると、情報を持つ者が情報を持たない者を食いものにして不当に高い利益を得たり、ライバルや顧客に損失を与えるような行動を取る可能性が高まる。モラルハザードの危険性である。

アグレッシブに競争し、業績を追求するのはスタートアップを成功に導く要素ではあるが、それで信頼を壊してしまえば、特にUberのように社会を変革しようとしているサービスは成り立たない。Googleがウチの近所で自動運転カーの公道試験を始めた時に、自動運転カーと交差点ですれ違うたびに「何か起こるんじゃないか」と緊張したものだ。それでも特に住民から反対の声が上がらなかったのは、Googleの取り組みが私たちや社会の利益につながるという信頼があったからだ。

インターネットとモバイルが普及した社会では、音楽、映画・TV、メディア、交通、流通など様々な分野で、スタートアップでも既存の仕組みやルールを変える力を発揮できる。それは素晴らしいことだが、同時に大きな責任を負うことを忘れてはならない。

昨年フェイク・ニュースが社会問題化した時に、「The code I’m still ashamed of (私が今も恥じているコード)」というブログ記事が広くシェアされた。6歳の時にプログラミングを始めた著者は、21歳の時に加トロントのインタラクティブマーケティング会社で働いていた。その会社は医師によって設立され、クライアントに大手製薬会社が含まれていた。著者は、若い女性を対象に、クイズ形式でそれぞれに適した薬にマッチングさせるWebサイトを構築するプロジェクトを任せられた。ところが、依頼の通りに作成すると、どのように回答しても最後には最善の治療がクライアントの薬になってしまう。例外は、回答者がクライアントの製品を使ったことがあるか、またはアレルギーがある場合のみ。しかし、仕事と割り切って完成させ、上司もそれでOKを出し、クライアントは結果に大満足だった。だが、後日、同僚がリンクを送ってきたニュース記事を読んで青ざめることになる。担当したプロジェクトのクライアントの薬を服用した女性が、薬の副作用で鬱を患って自殺した。Webサイトが原因だったわけではないが、サイトが引き金になる可能性だってある。問題の薬のマーケティングをすぐに取り下げるよう上司に提案し、幸運にも上司はすぐに受け入れてくれた。

著者のBill Sourour氏は「開発者として、私たちは度々、大きな危険の可能性や倫理に反する行いを防ぐ最後の一線に立たせられる」と書いている。情報の非対称性において、医者が適切な治療を行ったかどうかは、医学知識を持たない患者は判断できない。だからこそ、医者が専門家として正しい倫理観を持つことが不可欠になる。専門知識をふるう者として、責任ある倫理的な行動や判断が求められるという点では開発者も医者と変わらない。