ここ最近、スマートウォッチ市場に暗雲を漂わせるニュースが続いている。

まずIDCのスマートウオッチの世界市場調査だ。2016年第3四半期(7~9月期)の出荷台数は270万台で前年同期の560万台から51.6%減だった。AppleがApple Watchの新製品を発表するという噂が広がり(Apple Watch Series 2の発売日は9月16日)、新製品待ちでApple Watchが大きく落ち込んだ影響が指摘されているが、スマートフォン市場全体が伸び悩んでいるのは明らか。Appleに追いつくチャンスだった第3四半期でもAppleが41.3%の市場シェアを占めており、スマートウォッチ市場が早くも縮小に向かう可能性も指摘されている。

2016年第3四半期の世界スマートウォッチ出荷台数は51.6%減 (IDC Worldwide Quarterly Wearable Device Tracker)

そして、FitbitによるPebble買収である。Pebbleは、Kickstarterプロジェクトの代表的な成功例であり、スマートウォッチの草分け的な存在だ。同社が今年春に行った「Pebble 2」と「Pebble Time 2」のKickstarterプロジェクトは数時間で目標額を達成した。しかし、根強いファンはいるものの、Statistaの予測によると第3四半期のPebbleの出荷台数は約10万台、前年同期から半減している。一方、Fitbitは530万台で前年同期比10%増だ。利用者の規模を考えたら、PebbleがFitbitに吸収されるのはやむないことと言える。Pebbleユーザーにとって気になるのはPebble製品の今後だが、FitbitはPebbleの知的財産を評価しており、Fitbit傘下で既存のPebble製品のサポートは継続されるが、新製品は作られず、Pebbleはこのまま消えていくことになりそうだ。

今年春の「Pebble 2」と「Pebble Time 2」のKickstarterプロジェクトでは1270万ドルものサポートが集まった、Pebble買収をHPによるPalm買収(webOS狙いの買収で「Palm Pre」などPalm端末が消滅)に喩える人も

3つめは、Appleのエグゼクティブ紹介ページからPaul Deneve氏が消えたという報道。これまでTim Cook氏に直接報告するエグゼクティブの1人だったが、今はCOOのJeff Williams氏に報告しているという。Deneve氏は、元Yves Saint Laurent CEOであり、Apple WatchでAppleが開拓し始めたファッション路線を率いていたと見られている。

最後は、Lenovo傘下のMotorolaがAndroid Wear 2.0リリースのタイミングではスマートウォッチの新製品を投入する計画がないことを明らかにしたという報道。同社はAndroid Wearの普及を初期からサポートし、Moto 360シリーズはAndroid Wear搭載端末の中では人気が高いだけに、Android Wearのエコシステムに与える影響は大きい。

”Jobs to be Done”セオリーでスマートウォッチに厳しい評価

スマートウオッチに関して、今「Jobs to be Done」の議論が広がっている。これはハーバード大学のClayton Christensen教授が「イノベーションのジレンマ」で示したセオリーだ。Jobs to be Done(成されるべきこと)を明確に満たす製品やサービスを顧客は求める。たとえば、1/4インチ径の電動ドリルを購入する人には、1/4インチの穴を空けたいという事情がある。顧客が本当に欲しいのはドリルではなく、1/4インチの穴であり、それを踏まえることで真のソリューションを提供できる。

スマートウォッチは、Pebbleに代表されるスマートフォンのコンパニオンデバイスとして台頭し始めた。ポケットからスマートフォンを取り出さずに情報を得られる……それが今日の代表的なスマートウォッチの「Jobs to be Done」である。しかし、実際にはスマートフォンを取り出すことを人々がそれほど面倒に感じていないようで、だから通知を特徴とするスマートウォッチが伸び悩んでいる。つまり、今日のスマートウォッチはJobs to be Doneを成し遂げていない。

なぜ今、スマートウォッチの伸び悩みがJobs to be Doneで分析されているのかというと、きっかけはAppleの7~9月期決算発表においてUBS SecuritiesのSteven Milunovich氏がTim Cook氏に投げかけた質問である。

「これから何を成し遂げていこうというグランド・ストラテジーを、今日のAppleは本当に持っていますか?」

「テクノロジーと、次のいわゆる”Jobs to be Done”との間に隔たりがある、今そんな時期に私たちが陥っているという意識がありますか?」

このストレートな質問に、Cook氏はいつもと同じように「今後の計画については語れない」と答えたものの、明らかに不快な口調だった。そのため翌日には、Cook氏がMilunovich氏に痛いところを突かれたと報じられた。10月にそんな騒動があったから、スマートウォッチの伸び悩みがCook体制のAppleの新カテゴリー製品であるApple Watchの伸び悩みに置き換えられ、Appleがイノーべーションを起こせる力の論争に飛び火している。

Appleはこれまで、Jobs to be Doneを巧みに示して新しい製品の市場を開拓してきた。iPodはクリックホイールを回してみるだけで、それが数百曲を手軽に持ち歩けるポータブルプレーヤーであることを理解できたし、iPhoneはマルチタッチを体験するだけで、それが手のひらサイズのモバイルデバイスで簡単にWebやメディアを扱えるものであることが分かった。「たくさんの音楽を持ち歩きたい」「いつでもWebや写真・ビデオを使いたい」という人々の要望を満たしてくれるのが伝わってきた。それらに対してApple Watchは、どんなJobs to be Doneを成し遂げてくれるのか分かりにくい。

スマートウォッチの開花はまだまだ先

スマートウォッチに限らず、現時点でJobs to be Doneを示せているウエアラブル製品は見当たらない。アーリーアダプターの話題にはなっても、広く人々の生活を変えるような製品はまだ登場していない。

だからといって、今スマートウォッチを手がけているメーカー全てが、スマートウォッチのJobs to be Doneを定義できてないとは限らない。今日のスマートウォッチでできることは限られるからだ。今ある技術では、処理性能、バッテリー動作時間、ウエアラブルに適したコンパクトなデザインの優れたバランスを実現するのは難しい。処理性能を優先したらバッテリー動作時間が短くなるし、数日使えるようにしたら大ぶりなデザインか、乏しいパフォーマンスになる。さらにワイヤレスの充実、モバイルデータサービス対応という大きな課題もある。それらの実現には、もっとスマートウォッチに適したチップセット、バッテリー技術、ディスプレイが必要である。Jobs to be Doneの議論では「1/4インチ径の電動ドリルを買う人が欲しいのは1/4インチの穴」という喩えが持ち出されるが、今はまだ、大きな穴を空けたいのに手動ツールしかないような状態である。

そんな限られたツールではあるが、筆者はApple Watchを愛用している。購入したばかりの頃、腕時計と見なしていた時に一度はめなくなってしまったが、どんどん成長し、今では「時間も分かるパーソナルデバイス」として手放せない存在になっている。たとえば、バイブレーションで気づける目覚ましや次の予定が便利だ。音が鳴らないので周りの迷惑にならない。頭をリフレッシュするために15分ぐらい昼寝をする時、または料理の時、簡単に設定できるタイマーが便利である。25分間集中→5分間休憩を繰り返すポモドーロ・テクニックを使って集中的に仕事を片付ける時に役立つ。今年秋のアップデートでは、Apple WatchをはめているだけでMacのロックを解除できるようになった。これがともても便利だ。私個人では、小さな「Jobs to be Done」がどんどん達成されている。

今年秋登場のmacOS Sierraでは、ロック解除したApple Watchを装着していれば、近づくだけでMacのロック解除できる。

今のApple Watchは、Appleが「ホビー」と表現していた頃のApple TVに似ている。第2世代~第3世代のApple TVは、熱心なApple製品ユーザーには価値があったが、一般的なアピールには様々なストリーミングサービスの成長を待つ必要があった。Apple Watchも、今はまだ熱心なApple製品ユーザーにとって便利なツールでしかない。今のAppel Watchに採用されている技術で最も明確に「Jobs to be Done」を示せるのはヘルス&フィットネスであり、Apple Watch Series 2でヘルス&フィットネスに軸足を移したのは成されるべき戦略だったと言える。だが、長い目で見たらApple Watchの価値はヘルス&フィットネスにとどまらない。

今のApple Watchに魅力を感じない人が多いのも分かるが、モバイルデータサービスに対応してApple WatchがiPhoneから独立したら、できることが大きく広がり、一般的なアピールも変わりそうだ。その時がいつになるかは分からないが、Appleの場合ゆっくりとAppleの製品・サービスのエコシステムの中でApple Watchを育てて、”その時”を待てる。

しかし、Android Wearを採用した端末メーカーは、そんな悠長なことは言っていられない。Motorolaの新製品見送りに、それがよく現れている。Pebbleは、今ある技術で可能なスマートウォッチのJobs to be Doneを示そうとした。実際、素晴らしい製品を生み出していたが、それでも単独で困難な時期は乗り越えられなかった。残念ではあるが、今ある技術で最もJobs to be Doneを示せるヘルス&フィットネスのFitbitを選んだのは賢い選択であり、次世代のスマートウォッチの時代が来た時にPebbleチームがFitbitの新しい製品をけん引する存在になると期待したい。