しばらく前にAppleが複数のチャンネルをまとめた有料のTVストリーミングサービスの準備を進めていると噂になった。そうした時はGoogleからも同じような噂が聞こえてくるのに、TV番組配信サービスに関しては静かだった。YouTubeの有料サービス「YouTube Red」に力を注いでいるから? それだけが理由ではなさそうだ。

1年前の2月26日に、連邦通信委員会(FCC)がネットワーク中立性に関する新規則を採択した。今日の米連邦捜査局(FBI)と米Appleのロック解除論争に劣らないような騒動だったのに、早くも人々の記憶から薄れようとしおり、1年目のアニバーサリーにFCC判断のインパクトを確かめたメディアはごくわずかだった。しかし、いくつかの州でネット中立規則の無効化を求める動きが活発化しており、大統領選挙の共和党候補を争うテッド・クルーズ氏やマルコ・ルビオ氏もネット中立性のための規制に反対する立場を表明している。ネットの中立性は「終わった議論」ではなく、まだ「続いている議論」なのだ。

またネット中立性の議論は新たな問題に飛び火している。論争の火種になったのはモバイル通信キャリアT-Mobile USAが開始した「Binge On」という動画ストリーミングサービスである。NetflixやHuluなど一部の動画ストリーミングサービスをモバイルに最適化して配信し、ユーザーの加入プランのパケット制限の対象から外す。つまり、モバイルで対象サービスの動画が見放題になる。これはT-Mobileが一部のパートナーを優先するサービスになるので、中立性の観点から見るとネット中立に反する。しかし、全ての動画配信に平等にBinge Onを提供することはできない。一部のサービスに限定することでモバイルでもパケット制限を気にすることなく動画を視聴できようになり、新たな動画コンテンツの楽しみ方が実現する。ネット中立性が支持される理由の1つが、新たなサービスの創造だけに悩ましいところだ。ネット中立性を積極的に支援してきたNetflixは、モバイルの可能性を広げるサービスとしてBinge Onを支持している。

Un-carrier Xイベントで「Binge On」を発表するT-Mobile CEO John Legere氏

PewResearchの調査「Home Broadband 2015」によると、米国の家庭の固定ブロードバンド契約がわずかに減少した。固定ブロードバンドとモバイルブロードバンドの両方を契約するのを嫌ってモバイルを選択するケースがあれば、元々家庭にPC用のインターネット回線がなく、モバイルが初めてのブロードバンドという人も多い。モバイルが4Gから5Gに移行し、今日の固定ブロードバンドと変わらないような高速な通信がモバイルでも可能になったら、この傾向はさらに強まりそうだ。

一方で米国では今でも、固定ブロードバンドで大きなシェアを占めるケーブルTV会社がオンラインコンテンツ配信に大きな影響力を及ぼしている。たとえば、ESPNという人気スポーツニュースチャンネルがあるが、そのモバイル向けサービスはケーブルTVサービスを契約していないと利用できない。ケーブルTVサービスを解約してネットの番組配信にユーザーが流出するのを防ぎたいケーブルTV会社の影響だが、そうしたチャンネルが米国では少なくない。場所やデバイスを問わず、いつでも好きな時に番組コンテンツを楽しめるのが番組コンテンツ配信の未来であるはずなのに、ケーブルTV時代の栄華にしがみつくケーブルTV会社が進化の障害になっている。

さて、冒頭のGoogleに話を戻すと、同社の番組コンテンツとの関わり方は多面的なのだ。番組コンテンツを様々なデバイスに配信するマルチキャストも支援しているが、ケーブルTV会社の従来のモデルにも浸透しており、TV視聴者のデータ収集に努めている。だから、今のところTV番組配信サービスネットには積極的ではないのだろう。ネットの進化を加速させるのを基本方針としているGoogleが、番組配信の進化ではブレーキにもなっている。

人々のブロードバンド利用はモバイルへとシフトしている。それを見越して、FCCのネット中立性規則は固定ブロードバンドだけではなくモバイルブロードバンドも視野に入れていた。コンテンツ配信の未来へとジャンプするためのステップになり得る取り組みだった。力強く踏み切れたら目標に到達できる。しかし、助走期間と言えるこの1年を振り返ると、残念ながら十分に加速できていないのがネットの現状である。