阪神やサンフランシスコ・ジャイアンツなどで活躍した藪恵壹投手がメジャーリーグ時代を振り返ったインタビューで、最も印象に残った投手として、SFジャイアンツのティム・リンスカムを挙げていた。リンスカムは公称5' 11"(約180センチ)と、メジャーリーグ投手の中では小柄だが、2009年当時はメジャーで最もハードなボールを投げ込んでいた。日本人プロ投手と変わらない体格で、技巧派ではなく、速球派として三振の山を築くリンスカムのピッチングは、まるで野球漫画の主人公のようで、剛球が生み出されるメカニクスを不思議に思ったものだ。でも、今ならその謎がゲーム中継の解説で明らかになる。

MLBが、今年から「Statcast」をレギュラーシーズンの実況・解説にも導入し始めた。Statcastは、高解像度の光学カメラとレーダーを用いて、すべての選手とボールの動きをトラッキングし、収集したデータを実況・解説に適した形ですぐに利用できるようにしたものだ。データをもとに選手のパワーやスピード、技術、チームの戦略などがリアルタイムで分析され、これまではわからなかったメジャーリーグのスゴさや工夫をテレビの視聴者が発見できる。

例えば、背の低いリンスカムがなぜ剛球を投げられるのか? 答えは「全身をしならせ、強く踏み込んで投げているから」なのだが、これまで解説者にそう言われても、どの投手も身体をしならせて投げているから、そのスゴさにピンとこなかった。しかし、Statcastなら「身体をしならせる」違いがはっきりとわかる。

Statcastを使って、MLB.comがフィラデルフィア・フィリーズの巨漢投手アーロン・ハラングとリンスカムを比べている。ハラングは身長6'7"だが、リリースした瞬間のボールとプレートの距離は5'8"しかない。身長の86%の長さだ。その結果、ストレートの速度は88マイル止まりで、しかも伸びがない。ハラングの名誉のために付け加えておくと、86%はメジャーリーグ投手の中では悪くない数値だ。リンスカムの数値はレベルが違う。身長5' 11"に対してプレートからボールの距離は6'9"。なんと身長の114%に達するダイナミックなフォームから投げられるボールはよく伸び、ハラングと同じぐらいの球速でもホームベース上でのスピードでは上回るから、バッターには剛速球に見える。

ちなみに、現在メジャー最高のハードボーラーであるアロルディス・チャップマンは身長6'4"の恵まれた体格で、しかもプレートからボールの距離は7'3"(身長の115%)というリンスカム並みに伸びのあるフォームで投げ込む。その結果102マイル(164キロ)を超える剛速球が生まれるのだ。納得である。

全身をしならせ大きく前に踏み込むことで、メジャーリーガーとしては小さな身体で剛球を投げ込むティム・リンスカム

Statcastは昨年のオールスターでデビューし、ワールドシリーズにも用いられた。昨年のオールスターでは、カリフォルニア・エンゼルスのマイク・トラウトが2塁打と3塁打を1本ずつ放ってMVPを獲得した。3塁打は外野から三塁にボールが届く前にベースに到達していた"余裕"の3塁打だったが、それには理由がある。Statcastで2塁走者だったデレク・ジーターとトラウトの走塁を比べてみると、トラウトは快足なだけではなく、3つのベースを効率的に回れる走路を確実に走っていた。

これまでならボールよりもずっと早く2塁や3塁にすべり込んだプレーは、実況の「楽々セーフ」の一言で終わっていた。今は余裕のプレーの背後にあるスゴさをStatcastで理解できる。

ヤンキースのセンター、ブレット・ガートナーの守備。最速17.2マイル/時という盗塁並みのスピード、落下点までの移動の効率性を表す「Route Efficiency」は97.8%

データ収集を重視するチームはかなり前からプレーの詳細なデータを収集し、戦術の組み立て、トレーニング、スカウティングなどに役立てていた。Statcastが用いているようなデータは以前から存在していたが、解説・実況の場合、ただ数字を並べても視聴者は興ざめである。「どのキャッチャーが最も素早く二塁へ送球するか?」「外野手のレーザービーム送球のスピードは?」「極端なシフトの効果は?」など、ファンが興味を持つトピックに合わせて、うまく数字を料理し、ファンを納得させてこそデータが生きる。その点、Statcastは見せ方や解説・実況との合わせ方が練られていて、Statcastによって試合中継やMLBニュース番組がグッと面白くなっている。

ステロイド時代が終わってホームラン数が激減している。地道に走者を進めて1点をしぶとく奪いにいくチームの強さが目立つようになった。そういう意味で、ベースボールは地味な時代に突入した。一昔前だと、そんなチームが勝ち抜いたシーズンにベースボール人気は下がっていた。ところが、ここ数年のメジャーリーグの観客動員数に大きな落ち込みはなく、好調を維持している。

Statcastのような分析は特大ホームランや剛速球のメカニズムも解明するが、以前は普通の一打や普通の走塁と見なされたプレーからもプロの技やスゴさを浮き彫りにする。そうした雑学的な面白さの方が、ネットで話題やニュースが伝わる時代には広まりやすい。これが早くからMLB.comに力を注いでいたMLBのネット戦略の狙いだったのか、それともネット戦略がうまくはまった結果なのかは分からないが、数人の人気選手に頼るのではなく、ベースボールそのものの面白さを引き出すのにMLBは成功している。

著作権問題に直面するPeriscope、MLBの対応は?

ネットをうまく活用するMLBの"らしさ"は、ライブ動画配信サービス「Periscope」への対応にも現れた。

iPhoneで撮影した動画をリアルタイムで複数にストリーミング配信できるPeriscopeに対して、プロアイスホッケーのNHLは試合会場からの放送を禁止した。私的な試合中継を懸念したのだ。実際、有料ケーブルチャンネルで放送されている番組のテレビ画面をPeriscopeで配信するユーザーが現れており、Periscopeの著作権侵害の問題が日に日に深刻になっている。

そのため、MLBも禁止するという報道があったが、MLBは特に制限せず、しばらく様子を見る考えを明らかにした(チーム単位でスタジアムでの使用を禁止する可能性はあり)。私的試合中継のリスクはあるが、おそらく観客席からiPhoneで撮影した試合の様子は受け取った人が数時間も楽しめるような映像にはならないだろう。

一方で、Periscopeにはメリットも多い。例えば、球場に来ないと体験できないイベントなどを観客がPeriscopeで配信したら観戦の面白さが広まり、球場に行きたいと思う人が増えるはずだ。Twitterで瞬く間に拡散するようなビッグプレーが起きた時に、球場の盛り上がりや球場でのリプレイ映像をPeriscopeユーザーが配信したら、テキストのツイートだけよりももっと豊かに話題が広がるかもしれない。

エンターテインメントがあふれる時代に、昔のようにコンテンツを出し惜しみして飢餓感をあおっていては他のエンターテインメントに奪われてしまう。むしろ「ベースボールは面白い」ことに気づかせ、誰でも簡単にベースボールに関われるようにしてこそファン層が拡大する。ベースボール自体はテレビの時代と何も変わっていない。だが、ビッグデータとネットを通じて話題が広まる時代になって、MLBというエンターテインメントは話題性やゲーム性を増して面白くなっている。