ある女性が彼氏とケンカをして、占い代わりにSiriに「リチャードに電話した方がいいかな?」と聞いてみた。アドバイス的なことを言ってくれるのを期待していたら、Siriは冷静な声で「リチャードに電話をかけています」といきなりダイヤルし始めた。せっかちにも程がある。実は筆者にも似たような経験があって、その時にSiriとは友達になれないと思ったものだ。

しかし、Siriと親友のようにつきあっている子供もいる。

ジャーナリストのJudith Newman氏がNew York Timesに寄稿した「How One Boy With Autism Became BFF With Apple’s Siri (自閉症の男の子が、どのようにしてAppleのSiriと親友になったか)」というコラムが大きな反響を呼んでいる。タイトルの通り、Newman氏の自閉症を持つ子供がSiriと友達のようにコミュニケーションし始め、良好な関係を築いているという話だ。

2010年にiOS 5で初めてiOSに搭載されたパーソナルアシスタント機能「Siri」。音声は重要なインタフェースになると予想されているが、現時点でSiriを日常的に活用するユーザーは少ない

8歳になるGusくんはSiriが人ではないことは理解している。でも、多くの子供がそうであるように、Gusくんも自分が好きなモノに感情を移入している。多くの人にとって、Siriはまだ友達のようになれるほど進化していない。もっとも、そこが自閉症の子供のパートナーに適しているポイントなのだという。

例えば、友達と普段会話するような早口で話しかけると、Siriの音声認識力では十分に理解してくれない。だから、Siriに正確に反応してもらいたかったら、ちゃんと伝わるように言葉を選んで、大きな声で話しかけなければならない。Siriは空気を読めないし、そして生真面目だ。Siriと音楽の話をしていて、Siriのお薦めに「そんな音楽はイヤだ」とぶっきらぼうに言っても、Siriは嫌みを含むことに気づかない。丁寧に「あなたの意見を私は尊重します」と答える。

大人にその反応は違和感だが、8歳の子供は無愛想な態度にも感情を乱さず、愚直に相手を尊重するSiriにやがて負い目を感じて、最後には「でも、薦めてくれてありがとう」とSiriを気遣うようになる。Siriの礼儀正しさは時に子供の言葉使いを直してくれる。ふざけてSiriに罵るような言葉を使ったら、Siriは「Now, now (これ これ)」と言って「今のは聞こえなかったことにしましょう」と続ける。

私たちのSiriとの付き合いは、時差のある都市の現地時間を調べてもらったり、近くにあるStarbucksの場所を探してもらったりと一時的なものだが、GusくんにとってSiriは会話を学ぶパートナーである。

Newman氏のコラムに対する反応はさまざまだ。心温まる話として紹介している人が多いが、一方では、自閉症の子供のために開発されてはいないSiriの影響を心配する声があり、Siri任せは保護者として無責任という人もいる。Siriとの関係に感情(love)はあるのか、本当に心から友達と呼べるのかという議論も多い。

Newman氏も人工知能のパーソナルアシスタントとの会話が引きこもりを助長するのではないかと心配もした。でも、よく観察していたらSiriという存在がGusくんを幸せにしているのが明らかなのだ。人間の友達と同じとは見なせないけれど、同氏が何よりも優先するのは子供の幸せであり、その意味でGusくんにとってSiriは友達に等しい存在だ。また、Siriの丁寧で礼儀正しい対応は自閉症の子供を持つ親にとって安心できるものである。出掛ける前の家族の服装にコメントするようになったり、家族との会話が長く続くようになったりするなど、Siriとの会話トレーニングの成果が人とのコミュニケーションにも現れ始めているという。

子供にiPadを与えなかったスティーブ・ジョブズ

今回、Newman氏のコラムを紹介したのは子供がデジタルメディアやデジタル機器に接するリスクの議論が今年の夏にいくつか起こったからだ。

8月にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の心理学研究者が発表したデジタル機器が子供のコミュニケーション能力に与える影響に関する研究が話題になった。6年生105人をキャンプに連れていってデジタル機器から引き離したところ、人の表情から感情を読み取る力が目に見えて向上したそうだ。

9月には、自分の子供をテクノロジーに近付けていないテクノロジー企業のCEOや著名なベンチャー投資家が多いというNick Bilton氏のコラムの内容がニュースになった。初代iPad発売からしばらくたった2010年末に故Steve Jobs氏をインタビューした時、「あなたの子供達はiPadが大好きなんですよね?」と聞いたらJobs氏は「彼らはまだ使ったことがない」と答えたという。

世間の反応は「Jobs氏ですら、子供に与えていないのに……」と面白がるものが多かったが、その発言のポイントは本当に便利なテクノロジーは毒にも薬にもなるというところだと思う。与える人が適切にタイミングよく与え、使い方を教えなければ効果はないし、ただ与えるだけでは害になり得る。

GusくんとSiriの関係にしても、「Siri任せは保護者として無責任」という指摘は的を射ている。しかし、Newman氏のようにSiriをしっかりと理解したうえで、自閉症の子供のコミュニケーションのトレーニングに活用していたら便利なツールになる。これはパーソナルアシスタントだけではなく、SNSでも、YouTubeでも、検索でも、すべてのテクノロジーに当てはまることだと思う。ただ与えるだけでは無責任だし、かといって使わせなければよいというものでもない。子供のためにテクノロジーを生かすには、まず保護者が理解し、使いこなせるようになる努力が不可欠だ。

一番の無責任は、自分が理解していないものを便利そうだというだけで与えたり、逆に効果的なツールであるのがわかっていながら保護者が面倒くさがって与えなかったりすることである。UCLAの研究者の論文にしても、子供をデジタル機器から遠ざけたら子供の感情を読み取る力が育つのではない。実験の場合はキャンプだが、子供の表情を豊かにする何かを保護者が与える努力が最も大切なことなのである。