ソフトバンク傘下の米携帯通信キャリアSprintが、米T-Mobile US (以下T-Mobile)の買収を断念したと報じられた。Brightstarを創業したMarcelo Claure氏をCEOに起用して、新たな成長戦略に踏み出すという。筆者は米国でソフトバンク傘下SprintのネットワークでiPhoneを使っている。日本に住む知り合いからは「残念だったね」と言われたりするが、実はSprintユーザーの1人であってもSprintによるT-Mobile買収を歓迎していなかった。合併でSprintのサービスが混乱するのを心配したのではない。T-Mobileの今の勢いがしぼんでしまうかもしれないのがもったいないと思ったらだ。

今の米携帯通信キャリアはVerizonとAT&Tが2強で、大きく引き離れてSprintとT-Mobileの2弱という勢力バランスになっている。報道によると、規制当局はキャリア4社が3社に減ることに強い懸念を示していたという。でも、上位2社が3位以下を大きく引き離しているのだから、その差を埋める合併を認めなかったら実質的に2社による支配じゃないか……と思いたくなるが、米国に住んでいると司法省や連邦通信委員会の判断は納得できるのだ。今、米国の携帯市場を面白くしているのは、シェアで勝るVerizonやAT&Tではなく、ソフトバンクのサポートを得たSprintでもない。第4位のT-Mobileなのだ。

ほんの数年前、T-Mobileは八方塞がり状態だった。「つながらない」「遅い」「サービスが悪い」、契約者が低迷したまま、2011年に同じGSM系のAT&TがT-Mobile買収に乗り出した。が、独禁法に抵触するとして司法省に差し止め訴訟を起こされ、最終的にAT&Tが買収を断念。合併も封じられたT-Mobileは、そのままユーザーを減らし続けながらやがて消えていくと思われた。ところが、2012年9月にJohn Legere氏がCEOに就任し、通信キャリアによる囲い込みからモバイルユーザーを解放する「Uncarrier」という戦略を打ち出してから文字通りV字回復を果たした。以下は、2013年3月のUncarrier 1.0から今年6月の6.0までのUncarrierの内容だ。ユーザーの不満を解消するサプライズの連続である。

Uncarrier 1.0 (2013年3月):コントラクトフリーの"シンプルチョイスプラン"を発表 → 2年縛り契約に不満を持つモバイルユーザーが歓迎。

Uncarrier 2.0 (2013年7月):ポストペイドプランで、年に2回までトレードインで端末をアップグレードできる"Jump"を発表 → 常に最新のスマートフォンを使いたいモバイルユーザーが歓迎。

Uncarrier 3.0 (2013年10月):条件を満たすシンプルチョイスプランで、100カ国以上の国際ローミングを無料に。タブレットユーザーに200MBのデータを無料提供。

Uncarrier 4.0 (2014年1月):ライバルキャリアからシンプルチョイスプランへの乗り換えで、中途解約違約金が発生する場合、最大350ドル(端末を下取りに出す場合は最大650ドル)をT-Mobileが支払う解約金負担プログラムを発表。

Uncarrier 4.5 (2014年4月):大手キャリアのネットワークをより安く使いたい人たち向けに、月40ドルのシンプルスタータープランを追加。中途解約違約金を肩代わりするプログラムをタブレットに拡大。

Uncarrier 5.0 (2014年6月):T-MobileネットワークでiPhone 5Sを1週間無料で試用できるプログラムを用意 → 「つながらない、遅い」という批判を無料試用プログラムで払拭。

Uncarrier 6.0 (2014年6月):Pandora、Spotify、iTunes Radioなど音楽ストリーミングサービスの使用を、モバイルデータの通信量の消費から除外。

下のグラフは、米携帯キャリア4社とTracfoneの2012年から2014年第1四半期までの売り上げの伸びと契約者数の増減の推移である。Uncarrierの効果が明らかだ。

米携帯キャリア4社とTracfoneの売り上げの伸びの推移。2014年第1四半期時点でT-Mobileが最も大きく、Sprintは最も小さい (出典: Jackdaw Research)

契約者数の増減の推移。これも2014年第1四半期時点でT-Mobileが最も多く、Sprintは減少。7日にLegere氏は年内にT-MobileがSprintを追い抜いてT-Mobileが第3位になれる見通しをツイートした (出典: Jackdaw Research)

"ユーザーを解放する"というUncarrierを通じて、T-Mobileは価格競争を仕掛けている。その分かりやすいマーケティングが奏功し、昨年に廉価版スマートフォンが注目され始めたのも追い風になって、上位3社からT-Mobileへのユーザーの移動が起こり始めた。今やVerizonやAT&TもT-Mobileの土俵に足を踏み入れざるを得なくなっている。

米国のスマートフォン市場は2020年頃に飽和に達すると予想されている。すでに乗り換えユーザーを取り合う競争になっており、今のように2年縛りのようなユーザーを囲い込むポストペイドサービスが主流ではいつまでたっても上位2社のシェアを崩せない。だからT-Mobileは、ユーザーを縛り付けないポストペイド、プリペイド、MVNOなどの選択肢を用意し、端末はSIMロックフリーでユーザーが好きなタイミングで好みのキャリアを選べるような市場に変えようとしている。

一方、Sprintは孫正義氏が、米携帯サービスの接続の悪さや高い通信料金、キャリア間の乏しい価格競争を指摘しているが、同社の2013年-2014年はネットワークの整備が優先で、どのように米国のモバイル市場を変えていくのか、お茶の間に存在感を示せていない。そのため、じりじりと契約者を減らしている。だから、米国の携帯市場でいま台風の目になっているT-Mobileがスケールメリットを活かせる合併ならともかく、SprintがT-Mobileを飲み込んだら、Uncarrierが起こした風が止んでしまうかもしれない。その結果、2強1弱になってしまったら元の木阿弥だ。

業界再編よりも、まずはビジョンを

ただし、このままT-MobileがUncarrier戦略でVerizonやAT&Tに対抗できるような規模になれるかというと、それには疑問符が付く。Uncarrierは出血を伴う戦略であり、T-MobileのEBITDAマージンは4大キャリアの中で最も小さい。継続性を生み出すのはしっかりとした土台であり、今の規模のままでは打ち出せるサプライズにも限りがある。

T-MobileがUncarrierは売り上げの伸びを生み出しているが、コストも大きく、EBITDAマージンは4大キャリアで最も小さい (出典: Jackdaw Research)

ソフトバンクは下取りを含むモバイル端末流通を手がけるBrightstarを持っており、端末を買い換えやすくしようとしているT-MobileとSprintは相性が良い。そのBrightstarを創業したMarcelo Claure氏がSprintの新しいCEOに就任した。Sprintの前CEOのDan Hesse氏は退任発表の時に以下のように述べていた。

「Sprintのような被支配企業は、過半数を保有するオーナーとCEOが完全に協調し、素晴らしパートナーである場合に最も機能する。マルセロ(Marcelo Claure氏)とマサ(孫正義氏)は、大きな成功を収めた起業家として互いを認める素晴らしい関係を築いている」

T-Mobile買収断念でソフトバンクがSprintを手放す可能性を指摘する報道もあるが、企業買収による業界再編は手段の1つであってゴールではなかった(はずだ)。問われるのは、その先のビジョンである。これであきらめるなら、T-Mobileの買収に成功していたとしても、今のT-Mobileの良さは活かせなかっただろう。起業家であるClaure氏がCEOに就任し、孫正義氏とタッグを組んで、これからSprintがビジョンを具現化してくれると個人的には期待したい。キビしい状態からの回復だっただけにT-Mobileは伸び続けているが、いつまでもこの躍進が続くとは思えない。やがてカベに直面する。その時にSprintが米携帯市場の改革を共に進められる存在であり、実現のためにスケールメリットが必要であるとなったら、規制当局は今とは違う見方をすると思う。