先週の木曜日から週末を通じて、「Appleが32億ドルでBeats Electronics買収へ」という噂に関するニュースがGoogle NewsのSci/Techのトップページから消えることはなかった。

噂がこれだけ騒ぎになっているのは、「大型買収を厭わない」と言いながら過去に大型買収を行ってこなかったAppleが、32億ドルを投じると報じられている大きな規模が1つ。そして、ありえそうであり得ない組み合わせであること。例えば、今年のエイプリルフールにThe Lefsetz Letterが「Apple Buys Beats (AppleがBeats買収)」という、そのものズバリな空想記事を掲載していた。ジョークになるぐらい、あったら面白いけど、まぁ、あり得ない話だったのだ。それが実現するかもしれないのだから、そりゃあ、盛り上がる。

今年1月に米国でサービス開始になったサブスクリプション型の音楽ストリーミングサービス「Beats Music」

エイプリルフール・ジョークがどんな内容だったのかというと、Appleの狙いはBeatsの稼ぎ頭であるオーディオ事業 (ヘッドフォンやスピーカーなど)ではなく、音楽ストリーミングサービスになっている。

「(Appleは) iTunes Radioをスタートさせたが、Pandoraが支配する市場を奪いとれずにいた。しかも、音楽市場を本当に支配しているのはYouTubeである。さらにSpotifyが脅威になる前に、(Apple CEOの)CookはJimmy Iovineという悪魔との取り引きを決断した」。

新たな市場を自ら開拓するのではなく、音楽ストリーミングサービスの出遅れを取り戻すための大型買収。Appleらしくない、だから"悪魔との取り引き"である。買収金額は「cool billion」だ。だが、iPhoneとiPodを擁するAppleがサブスクリプション型の音楽ストリーミングに乗り出したインパクトは大きく、一気に「混乱の時代は歴史になった。CDから海賊ファイルが横行する時代を経て、iTunes Store、そして合法的なストリーミングサービスへの進化を遂げたのだ」となる。Beats買収でTim Cook氏は、Steve Jobs時代とは違うAppleを示すことができた。Spotifyは市場を奪いきれず、そして"ワンモアシング"として「音楽ストリーミングにおけるYouTubeの全盛期は終わった」と付け加えている。

いくらなんでもBeats買収だけで音楽市場が変わり過ぎな気がするが、"cool billion"は現実味を帯びているし、ジョークといえども侮れない……。

AppleファンとBeatsファンの拒否反応、人種問題にも

Beats買収があり得ないと思われていたのは、これがAppleにとって出遅れを取り戻すための"悪魔の取り引き"だからというだけではない。むしろ、それは小さな理由だ。

Beatsは独自性やデザイン、品質にこだわり、チープな製品は作らない。しかも、その姿勢で熱烈な支持者を獲得している。BeatsとAppleには共通点が多いのだが、それはどちらの会社もそれぞれに強烈な個性・文化を持っていることを意味する。

去年、友人の家庭で起こった話を1つ紹介しよう。その家の高校生の子供が誕生日にBeatsのヘッドフォンを欲しがった。友人はiPodよりも高いヘッドフォンなんてあり得ないと思ったが、たまたま安くなっているBeatsのヘッドフォンを見つけて購入した。そして、誕生日にプレゼントを開けた子供は絶句した。「これじゃない……」。安くなっていたのはインイヤー型のヘッドフォンで、その子が欲しかったのは"b"の文字が目立つオーバーヘッド型。「こんなのいらない」とか言い出してひと悶着だった。ティーンエイジャーにとってインイヤー型は「Beatsであって、Beatsではない」のだ。

Beats studio

サウンド性能を基準に、200-300ドルも出すのならBeatsのほかにもたくさんの選択肢はある。しかし、ファッション哲学でBeatsはユニークな存在であり、その点でティーンエイジャーから圧倒的な支持を得ている。彼らは良いヘッドフォンじゃなくて、ファッションステートメントになるBeatsを求めているのだ。

Appleが大型企業買収を実際に行わなかったのは、AppleにはAppleの文化があるからだ。大きな企業同士の合併となれば、文化が混じり合う。それをAppleは好まなかった。Appleに比べたらBeatsは小さな存在だが、BeatsをBeatsたらしめているのはイメージである。Beats最大の価値はブランドである。Appleは複合企業化を好まず、傘下のサブブランドを持ったこともない。"Intel Inside"のシールも認めなかった。そんなAppleが、そのままBeatsブランドをアピールしていくとは想像しにくい。しかし、"b"の文字にBeatsの価値は宿っている。Beatsのヘッドフォンを愛用しているMacユーザーやiPhoneユーザーは多い。Apple製品とBeats製品は相性が良い。だからといって、そんな企業同士が合併して、そのまま馴染むとは限らない。

報道を読むと「Appleの狙いはハードウエア」という指摘があれば、「オーディオ部門は短期的、本当の狙いは音楽ストリーミング」など様々だ。SpotifyやRdio、Rhapsodyなど、音楽ストリーミングサービスの多くは、すでにiOS、Android、Windows、Macで広く使用できるようになっている。今さらiOSとMacを優先するサービスに転換したらユーザーは反感を持つ。その点で最も後発でシェアが小さいBeats Musicが最も取り込みやすい。ストリーミングが狙いと見る向きは、そのように考えている。でも、音楽ストリーミング市場におけるBeats程度のシェアなら、Appleが自らiTunesブランドでサブスクリプション型のサービスを提供する道を選んでもすぐに追いつける可能性はある。

中には、アフリカン-アメリカン層を狙った買収という指摘もある。Nielsenのレポートによると、米国の黒人のスマートフォン所有率は71%で、米国全体の平均(62%)よりも高い。しかも、73%がAndroidユーザーである。

iPhone同様にBeatsのヘッドフォンも普通の高校生には高価な製品である。実際のところ、Beatsのヘッドフォンをしている黒人のティーンエイジャーは多くはないし、低価格AndroidスマートフォンにBeatsのヘッドフォンを接続しているティーンエイジャーなんて見かけない。でも、Beatsブランドの製品は若い世代に幅広く人気がある。

アフリカン-アメリカン層狙いの議論は、AppleによるBeats買収への拒否反応にもつながっている。Beats製品ファンは、AppleによってBeatsがスノッブになってしまうと危ぶむ。逆はもっと深刻で、例えば、AgLocalの黒人CEOであるNaithan Jones氏は「AppleとBeatsの組み合わせに対するファンボーイ達の反応は、ガールフレンドがマジック・ジョンソンと一緒に写っている写真がInstagramで公開されたかのようだ」とツイートした。

Naithan Jones氏のツイートは、交際相手の女性がMagic Johnson氏と一緒に撮った写真をInstagramで公開したのを知って憤慨し、差別的に非難したことで、NBAから永久追放されたLAクリッパーズのオーナーの騒動をもじっている

従来のAppleファンの中に、ヒップホップやストリートカルチャーを感じさせるBeatsを嫌う人がいるのは仕方がない。でも、そこがBeatsの強みである。iPhoneやiPad、Macのようにデザインや品質にこだわり、そして安売りしていないのに、ティーンエイジャーやストリートカルチャーにしっかりと浸透している。Appleが上手く取り込めていないライフスタイルの層に深く浸透している。もし買収が実現したら、Beatsの経営陣やスタッフはAppleの今後の市場開拓に大きな役割を果たすだろう。BeatsがAppleに最も貢献できるのはマーケティング力である。それを求めてAppleがBeatsを買収するのだとしたら、Beats買収もこれまでのAppleの企業買収と何ら変わらない。Acqui-Hire (買収による人材獲得)である。