カナダ人宇宙飛行士のクリス・ハッドフィールド氏が国際宇宙ステーションの中でデビッド・ボウイの「スペイス・オディティ」(Space Oddity)を歌った音楽ビデオを制作し、YouTubeで公開した。「初の宇宙からのミュージックビデオ」として一般のニュースでも取り上げられたので、ご存じの方も多いと思う。28日時点でYouTubeでの再生数は1500万回を超えた。でも、このカバー、著作権の問題は大丈夫なのだろうか?

カバー演奏をYouTubeで公開すると、その国・地域の著作権法において侵害が問われる可能性がある (JASRACの管理楽曲に関しては、2008年にJASRACとYouTubeが包括契約を締結)。ただでさえ複雑なケースなのに、ハッドフィールド氏は、それを地上約400キロを周回飛行する国際宇宙ステーションでやったのだ。

いろんなQ&Aに答える「The Economist explains」が5月22日に、このコピーライト問題に答えている。

それによると米国、ロシア、日本、カナダ及び欧州宇宙機関 (ESA)が参加する国際宇宙ステーションでは、知的財産権を含め、国際宇宙ステーションの場所によって管理する国の法律が適用される。ハッドフィールド氏バージョンのSpace Oddityは、米国が管理するデスティニーとキューポラ、そして日本の実験棟で演奏および撮影が行われたと推測できる。そしてカナダに送信された演奏データにエム・グライナーがピアノを加えて、地上で最終的な曲およびミュージックビデオが完成したと思われる。モジュールを管理する米国と日本、そしてカナダの著作権法に基づいて訴訟が起きる可能性があり、また地上でのカバー演奏同様にYouTubeユーザーが再生する地域によっては視聴が制限される可能性もある。またハッドフィールド氏がCSA(カナダ)所属であれば、国際宇宙ステーション滞在中の演奏の権利にはCSAのルールも影響する。

国際宇宙ステーションのキューポラから見える地球

複雑だ。ハッドフィールド氏のビデオに登場するギターは国際宇宙ステーションに置かれているものだというので、今後も宇宙飛行士に弾き継がれていくだろう。でも、個人的に弾いたり、歌うだけならともかく、演奏が公開されたら曲によっては著作権問題が発生する。

さて、ハッドフィールド氏のカバー演奏は宇宙での思いつきではなく、地上にいた時に計画したものだった。起こり得る著作権問題を想定して、宇宙からのSpace Oddityを配信するために、同氏は家族と共にデビッド・ボウイの担当者、関係国の機関などと交渉を重ねた。全ての準備を整えるのに数カ月を要したそうだ。

宇宙でホンモノの宇宙飛行士が歌うSpace Oddityのビデオを見ていると、地上で著作権にこだわることがちっぽけなことのようで治外法権扱いでいいんじゃないかと言いたくなる。もちろん、そうはいかない。国際宇宙ステーションでは貴重な実験も行われる。また、今後は民間の機体で宇宙に近い旅行に挑む人が増える。例えば、宇宙旅行者が感情のまま発した言葉が流行語となって大きなビジネスに発展することもあるだろう。宇宙における著作権は、すでに現実的な問題になろうとしている。

オリジナルとは違うハッドフィールド版「Space Oddity」

Space Oddityは、アポロ11号が月面着陸に成功した1969年に登場した曲で、宇宙飛行士のトム少佐と地上の管制センターとのやり取りで構成される。

歌詞の中でトム少佐は1人で宇宙をさまよっている。トラブルが起こって、宇宙に投げ出されたのかもしれない。歌詞の最後、宇宙船の打ち上げ成功で世界的な英雄になったトム少佐の「Planet Earth is blue and there’s nothing I can do」(地球は蒼い、そしてわたしに出来ることはなにもない)という言葉からは、皮肉な悲劇、孤独感、宇宙を前にした人間の無力が伝わってくる。

Space Oddityは筆者の大好きな曲の1つだ。ニューヨーク州のサラトガで見たコンサートで、デビッド・ボウイがアコースティックギター1本で歌ったSpace Oddityは僕が体験した至上のライブパフォーマンスの1つでもある。デビッド・ボウイの歌声は、Space Oddityの世界観に欠かせないと思っている。

ハッドフィールド氏バージョンのSpace Oddityは歌詞が数カ所変更されている。例えば最後の部分は「Planet Earth is blue and there’s nothing left to do」(地球は蒼い、そしてやり残したことは何もない)だ。当然、宇宙船の機材の故障も出てこない。浮揚感のある雰囲気は同じだが、孤独や無力感はなく、任務を終えた宇宙飛行士の達成感や希望を伝えるバージョンになっている。正直なところ筆者が好きなSpace Oddityではない。

そんなデビッド・ボウイの好きであっても、世界中の人たちがハッドフィールド氏のSpace Oddityを体験できるのは素晴らしいことだと断言できる。いや、世界中の人たちが体験できるからハッドフィールド版は素晴らしい。ボウイ版とは違う、実際に宇宙ステーションから蒼い地球を眺めている宇宙飛行士でなければ表現できないメッセージや感情が伝わってくる。でも、もし公開後にコピーライト侵害が話題になるようなことが起こっていたら、どうなっていただろう。コピーライトのごたごたでネットユーザーが視聴を制限されて無力感を味合わう …… そんなSpace Oddityはまっぴら御免である。