2012年4月に出版大手Macmillan傘下の英Tor Booksが7月末までに書籍タイトルをDRM(デジタル著作権管理)フリーで提供する計画を発表した。編集ディレクターであるJulie Crisp氏が、その後1年間の成果をPublishers Weeklyと公式ブログで報告した。

販売部数の増減など詳細データは不明だが、結果は「1年近くDRMフリーで提供してきて、どのタイトルでも認識できるほどの海賊行為の増加は見られなかった」という。

昨年、夏にDRMフリーの電子書籍ストアをオープンさせると宣言して話題に

コピープロテクションが当たり前の電子書籍の世界において、DRMフリーで商品を提供するのは簡単なことではない。出版社が「やってみる」と決断しただけで実現するものではない。「読者に大きな自由を」というTorの申し出に対して、ピーター・F・ハミルトンやチャイナ・ミエヴィルなどベストセラー作家を含む全ての作家が協力を快諾したという。しかし、Torの考えに理解を示しても、まだDRMフリーに踏み切っていない作家も多い。

2012年8月にカナダのSF作家コリイ・ドクトロウが、Torの作家陣に対してライバル出版社のHachette UKがDRM支持への翻意を促す書簡を送っているとレポートした。英国においてTorがDRMフリーで販売していると、他の出版社が権利を所有している地域において適切な保護を徹底できない、販売に影響が出ると指摘したそうだ。TorのCrisp氏は「全ての作家が理解を示した」を強調しているが、少なからず反対意見もあると思う。

そもそも、なぜTorがDRMフリーに踏み切ったかというと、TorがSF/ファンタジーの出版社というのが大きい。Crisp氏は「この分野はコミュニティの結びつきが強く、積極的にオンラインを活用していて、他の分野に比べて出版社と作家、ファンのコミュニケーションの密度が濃い」としている。DRMフリー化は、Torが直接DRMに対する読者の不満に接して決断した。読者との議論には作家も加わり、その中でコピーライト保護による制限に懸念を示した作家もいたという。「同じページで作家と読者が議論しているのだから、出版社が真摯に耳を傾けて受け止めるのは当然のことだ」と同氏。

奪われたGame Dev Tycoonと、奪われなかったTor

Torの結果からDRMフリーが有効であると判断するのは早計だ。

2009年にO'ReillyのDRMフリーの実験にNew York TimesのコラムニストであるDavid Pogue氏が協力し、順調な売り上げを記録したことがあった。O'Reillyもまた、読者、著作者との結びつきが強い出版社だ。コミュニティ作りが成功の要因であるのは参考になるが、一朝一夕でできあがるものではない。これら2つの成功は裏返すと、今コミュニティが形成されていない分野では失敗する可能性を意味する。

TorのCrisp氏の報告に対するコメントを読むと、意見は二分していて、例えばDRM付きのサービスでも今や幅広いデバイスで読めるから、本を読むことに関しては十分に自由であるという意見もある。読者の支持が圧倒的にDRMフリーというわけではない。数クリックまたは数タップで本を購入して電子書籍リーダーに転送できる便利さ、安全性などがDRM付きのサービスの方が上回るなら、その方が海賊行為対策として効果的という声も大きい。

前回、1年以上かけて開発したゲーム「Game Dev Tycoon」のコピープロテクションを解除した海賊版を、自ら放流したゲーム開発者の実験を紹介した。海賊版がユーザー全体の93%を突破。たくさんのユーザーを集めたものの収益にはつながらない……ゲーム開発者の悲哀が如実にあらわれた結果になった。

Game Dev TycoonとTorの実験がまったく逆の結果に終わったのだから面白い。しかも、同じタイミングでレポートが公開された。

2つを読み比べると、Torの成功はSF/ファンタジーに限ったケースと思えるし、逆にやり方次第でDRMフリーのゲームが成功できる可能性が残されているとも思えてくる。Game Dev Tycoonは開発者自ら公式海賊版を放流して海賊行為の正確なデータを収集し、Torはライバルからの圧力や作家の不満を制してDRMフリーで商品を提供し続けてきた。なかなかできることではないからこそ、これらは貴重な実験結果である。

だが、どちらの結果も鵜呑みにすることはできない。まだまだデータが少なく、これから積み重ねていかなければならない。DRM、DRMフリーのどちらかに産業全体が染まるのではなく、ユーザーに利便性を提供するクローズドなサービスに対して、ある分野や市場ではDRMフリーが効果を発揮する共存の可能性もあるだろう。Game Dev TycoonとTorの実験は議論を行動に移した大きな一歩であり、これらに続く試みによって現実的なソリューションが見えてくると期待したい。