Androidの生みの親であるAndy Rubin氏をAndroid担当から外す人事を3月13日にGoogleが公表し、しばらくてからMarketing LandでDanny Sullivan氏が「Post-Android, Google’s Andy Rubin Has Been Busy On Facebook (Androidを離れてから、Facebookに忙しいGoogleのAndy Rubin)」と指摘している。

人事発令の1週間ほど前から、Rubin氏がFacebookを更新するようになった。Google+とTwitterには2012年9月から投稿していないから、今は近況をFacebookで伝えていることになる。ちなみに同氏をGoogle+のサークルに入れている人は46,000人以上、Twitterのフォロワーは60,000人以上であるのに対して、Sullivan氏が記事を書いたときのFacebookのフォロワーは92人(7日時点では600人超)。最も声が届かないFacebookで投稿を公開しているのは不自然、「これは何かの兆候ではないか」というわけだ。

あおりたくなる気持ちは分かるけど、なりすましのFacebookアカウントの疑いも完全には否定できないし、そもそもRubin氏がFacebookに移る可能性は極めて低いと思う。なぜGoogleは、Android担当をRubin氏からChrome/ChromeOSチームを率いるSundar Pichai氏に変えたのか? Androidの舵取りを修正せざるを得ない状況が生じたからであり、その中にはモバイルファーストを打ち出したFacebookの影響も大きい。なぜRubin体制ではダメなのか? その理由と、今Googleが抱える苦悩は、先週の「Facebook Home」の発表から読み取れる。

GoogleにとってHomeはiOSよりもやっかいな存在

Facebook Homeは、Androidスマートフォンのホーム画面/ロック画面をFacebook向けにカスタマイズするアプリだ。AmazonのKindle FireのようにAndroid OSをフォークしたものではないので、Googleが提供するAndroidの標準アプリも利用できる。ただ、ユーザーが電源オンにした時、またホームボタンを押した時に触れるロック画面とホーム画面が完全にFacebookアプリになってしまうため、HomeをインストールしたらまさにFacebook携帯と呼べるような使用感になる。

Android OSを改造せずに、AndroidスマートフォンをFacebook仕様に変える「Facebook Home」

Wells FargoのJason Maynard氏は「我が家 (Home)に勝るところはない」と表現し、Piper JaffrayのGene Munster氏が「Facebookのパワーユーザーにアピールするはずだ」と述べるなど、米国のアナリストの多くがFacebook Homeのユーザーインタフェースや使用体験を高く評価している。

Facebookで共有されるコンテンツを美しく表示

HomeはオープンなAndroidだから可能になったのであって、クローズドなiOS (またはWindows Phone)で同様のカスタマイズが実現することはないだろう。だから、Facebookの"最高のモバイル"を体験できるのは、今のところAndroid (の一部機種)のみ。これはAppleやMicrosoftにとってAndroid陣営に新たなライバルが加わったことを意味し、オープンなAndroidにとっては追い風である。

だが、この風はGoogleにとっても御しにくい、やっかいなものなのだ。OppenheimerのJason Helfstein氏は「Facebookはこのインタフェースでティーンをアーリーアダプタのターゲットにしているのだろう……HomeはiOSユーザーを魅了する一方で、そのインストールメソッドはGoogleがAndroid OSをコントロールしきれないことを示す」としている。

GoogleにとってFacebook HomeはiOSプラットフォーム以上にいやな存在なのだ。Googleは検索やオンライン広告といった同社の土俵でぶつからない限り、競合相手とも共存・繁栄を図る企業だ。

だからモバイル市場においてAppleと激しくつばぜり合いしながらも、iOS向けの製品をしっかりと提供している。それはAppleがGoogleのビジネスモデルを脅かす企業ではないからだ。しかし、Googleの土俵に踏み込んできたら排他的になるのも辞さない。ユーザーデータを収集し、そこから価値を生み出すFacebookは、Googleのテリトリーを荒らす存在である。それが、こともあろうにAndroidの最大の武器であるユーザーベースを利用し、Android端末において優先的にユーザーデータを収集する一手を打ってきた。

Googleとしては、APIを変更するなどしてHome排除をもくろむのも可能だが、それでは同社の「Don't be evil」という看板にキズが付くし、Androidのオープンネス・ポリシーにも反する。ジレンマである。

Facebook Homeの発表で、Facebookのエンジニアリング担当バイスプレジデントのCorey Ondrejka氏はアップデートを重んじる姿勢をアピールした。月ごとのペースでアップデートを提供する計画であり、OSが1年に1-2回程度のペースでしかアップデートされないとしても、HomeをインストールしたAndroid端末は毎月のように進化する。継続的なアップデートはChrome OSでGoogleが同OSの訴求点の1つとしていることであり、そのメリットをAndroidでFacebookが提供するというのだから、Googleの胸中は穏やかではないだろう。

このGoogleの苦悩はFacebook Homeに限ったことではなく、たとえHomeが開花せずに失敗したとしても、オープンネスなAndroidをGoogleがコントロールしきれないという問題は残る。Androidを活用するノウハウは蓄積され続けるのだから、第2・第3のKindle FireやHomeが登場する可能性は高まるばかりだ。

対応策としてGoogleはChrome OSのように、そのビジネスモデルをコントロールできるプラットフォームを成長させなければならない。そのために、すでにあるAndroidのユーザーベースを土台にするのが近道であるのは言うまでもない。だから、Chrome/Chrome OS担当だったPichai氏がAndroidを率いるのだ。

たくさんの人が、Pichai氏の登用によってAndroidとChrome OSの融合が進められる可能性を指摘している。そうしたビジョンは存在するだろうが、おそらく長期的なものだ。まずGoogleがやらなければならないのは、AndroidではGoogleのアプリやサービスを使うのが一番と思わせるモバイル体験を実現すること。今後"GoogleなAndroid"以外の選択肢が増えても、HomeとFacebookではなく、AndroidとGoogleを選ばせるようなユーザー体験やユーザーインタフェースを実現しなければならない。