「けっ、検査です!」とバイト仲間が調理場に入ってきた。マズいものを出していないかチェックし終えるよりも早く、「検査させていただきます」と今度は検査官が入ってきた。

学生時代に米国のレストランでアルバイトをしていた時のことである。年に一度の割合で、衛生局の検査官が抜き打ち検査にやってくる。

食品の取り扱いを中心に、キッチンの状態も含めて細かくチェックする。調理していない食材を出しっぱなしにしていようものなら、くどくどと説教される。不十分な点があれば、再検査。そうなると検査費用を納めなければならない。問題があれば罰金もあり得る。最悪なのは営業停止処分だ。痛いのはしばらく営業できないことだけではない。再開許可の検査をパスするためのハードルが高いのだ。そこまで仕上げるには相当な費用がかかる。

昔はレストランの衛生検査にも賄賂が効いたという話を聞いたことがあるが、自分が知る限り不可能だ。検査官のチェックの厳しさも知っているから、一消費者である今は不安を覚えるレストランに行くことになったら衛生検査データを調べるようにしている。あくまで目安としてだが、しかし食の安全を確認する上で衛生検査データは参考になる。

さて、米国にYelpというオンラインローカル情報サービスがある。米国ではAppleとの提携でiOSのマップから直接Yelpの情報にアクセスできるようになっており、影響力は大きい。米最大手と呼べる存在だ。

そのYelpがサンフランシスコ市、ニューヨーク市とパートナーシップを組み、衛生当局の衛生検査のデータをYelpのレストラン情報に統合する計画を発表した。

具体的には、「Local Inspector Value-Entry Specification (LIVES)」という各地方政府がレストランの衛生評価をYelpで公開するためのオープンデータ標準を共同で開発する。検査データは消費者にとって分かりやすいスコアで表し、まずサンフランシスコ市のレストランの衛生スコアをYelpに掲載する。次にニューヨーク市。さらにフィラデルフィア、ボストン、シカゴへと広げる。

Yelpのレストラン衛生スコア、「許可証を非表示」「店内の温度が不適切」など各年の衛生検査でレストランの違反が認められた点も確認できる

Yelpは思い切ったことをしたと思う。というのも、衛生検査データをスコアまたはグレードにしたものの店頭表示を義務づけている地域もあるが、そうした衛生対策は概してレストラン業界の強い反発に飲み込まれている。

例えば、サンフランシスコでは2005年から衛生検査データが点数化されるようになった。ところが、その公開方法を巡るレストラン側のロビー活動が奏功した。データはインターネットを通じて公開されているものの、消費者にとって身近とは言いがたい。それでも点数化されているサンフランシスコはまだましな方で、消費者が活用できない生データしか存在しない地域の方が圧倒的だ。だから、LIVESは少なからずレストラン側からの逆風を受けるだろう。消費者だけではなく、レストランとの関係も重要なYelpにとってLIVESはリスクをはらむ試みになる。

様々な場所でレストランの衛生検査データを調べる度に「消費者の安全を守るための検査の結果に、消費者がアクセスしにくい現実」に合点がゆかない思いがする。

衛生検査の結果が店の本当の姿を表すとは限らないし、抜き打ち検査のタイミングによっては店側が大きな痛手を被るかもしれない。その懸念は分かるが、レストランは衛生改善に努めるべきだし、検査が正当な評価につながらない可能性があれば、むしろ検査の改善を求めるべきである。"臭いものに蓋をする"のは、一時しのぎに過ぎない。本当に安全な店を消費者が見つけやすい環境こそ、結果的に外食産業の発展につながる……というような考えで、YelpもLIVESに乗り出したのだろう。だが、勝算はあるのだろうか?

LIVESはTim O'Reilly氏が唱道する「Government as a Platform」の好例と言える。人々を有用な情報に結びつけるオープンな取り組みとして提案すれば、たとえ最初は小規模の取り組みでも、いずれ人々の生活を変える力になり得る。

例えば、Google Transit (Google 乗換案内)である。最初はオレゴン州ポートランド市周辺でしか使えなかった。どうしてポートランドだったかというと、ポートランド市の公共交通機関を管理するTriMetのITマネージャーが、オンラインマップで乗り換え情報にアクセスできないことに不満を覚え、マップサービスにアプローチしたからだ。それにGoogleが反応し、Google Transit Feed Specification (GTFS)というオープンデータ形式が誕生した。最初はTriMetの乗り換え案内だったからポートランドのみだったのだ。それまでにTriMet以外にも同じような考えを持った公共交通機関はいくつもあったが、トランジットデータが複雑すぎたため、不正確なものになるのを恐れて誰も手を出さなかった。それらがGoogle Transitの便利さを目の当たりにし、GTFSの採用が一気に広がった。

消費者も衛生検査データを活用できるようになるべきだ……多くの人が同意すると思う。ところが、衛生検査の点数やグレードの店頭表示をレストランに課す地域が出てきても、これまで州や国全体に広がることがなかった。それが2つの都市と1つのオンラインサービスの試みで変わるかもしれない。LIVESが成功すれば、Government as a Platformの大きな可能性を示すものになる。