The Daily

昨年2月に初のiPad専用日刊紙として登場したNews Corp.の「The Daily」が2年弱で廃刊になる。定期購読者の増加ペースが期待に遠く及ばなかったためだ。

創刊時には、定期購読型アプリの普及に乗り出したAppleの全面的なサポートを受けた。当時の欧米におけるiPadの爆発的な成長を考えると、iPad専用(現在はAndroidおよびKindleもサポート)であったのが足かせになったとは考えにくい。中身が伴わなかったわけでもない。質の高い記事を作れるスタッフを揃え、タブレットの機能を活かしたメディアリッチなコンテンツを提供してきた。ポストPC時代のニュースメディアの黎明期に、タブレット向け新聞・雑誌の姿を示したと言える。

ところが、iPadユーザーの多くはThe Dailyに魅力を感じなかった。

The Dailyアプリの利用体験は、新聞・雑誌・テレビをごった煮にしたような感じである。よく言えばメディアリッチ、しかしユーザー視点の率直な感想は装飾過剰である。メディアリッチにまとめられた記事をタッチ操作で操れるが、それが日刊紙としてタブレットであることを活かしているかというと疑問だ。情報を得る、コラムやエッセイを楽しむという目的では有用なものではない。そのように感じた人は多かったのではないだろうか。だから無料でアプリを試しても、長期的な定期購読には踏み切らなかった。

The Dailyの廃刊については運営コストの高さを指摘する分析が目立つが、個人的には新しいニュースメディアとしてタブレットの活かし方が的を射てなかったのが原因だと思う。それはThe Dailyだけに見られる問題ではなく、同じように迷走するタブレット向け出版物は少なからず存在している。

おもちゃ扱いから大衆に受け入れられた日本車

News Corp.がThe Dailyの廃刊を発表する数日前、Craig Mod氏が公開した「Subcompact Publishing (サブコンパクト出版)」というエッセイが話題になった。サブコンパクトは、サブコンパクトカー(小型車)から取ったものだ。

米国でホンダの軽自動車N360(1967 - 1972)が登場した時、米国の自動車関係者はおもちゃ扱いにした。高級で大きいのを良しとした当時の米自動車メーカーは、シンプルで小っちゃいN360を完全に見下した。しかしN360は小さくとも室内が広く、燃費が良かった。そして価格が安い。気軽に乗れる車である。毎日のちょっとした外出にも車が必要な米国において、多くの消費者の生活のニーズに応えられる車だった。そこに当時の米自動車メーカーは気づいていなかった。自分たちの古い価値観に固執し、大衆が求める新しいものが見えていなかったのだ。

N360自体は米国で成功しなかったが、その系譜はN600やシビックへと続き、70年代のオイルショックを経て、日本の小型車は米国の自動車市場で新しい勢力として定着した。

紙からタブレットへの移行において、米国の出版業界は70年代-80年代の米自動車メーカーと同じ過ちを繰り返そうとしているとMod氏は指摘する。Web媒体の登場によって崩壊の危機に直面する米国の新聞・雑誌は、電子版に活路を見出そうとしているが、多くは古い価値観に執着したままだ。例えば、紙の雑誌と同じペースで、同じ数十ページのボリュームで刊行している。紙のページをめくるようなアニメーションで紙の本に近づける。紙の新聞・雑誌の読書感、エコシステムまでタブレットで再現しようと躍起だ。しかし、そんなタブレット版の新聞や雑誌を今の消費者は求めているのだろうか?

長く紙の新聞や雑誌に触れてきた人たちにとっては、紙の新聞・雑誌のようなレイアウトや記事量は親しみやすいものだが、タブレット時代の主流になろうとしているWebで情報を得てきた人たちにとっては、あえて紙に近づけるのはまどろこしい表現でしかない。彼らが求めるのはシンプルな読みやすさとスピードである。

Mod氏は出版も70年代の日本の小型車と同じように、新しい大衆のライフスタイルにフィットする斬新な発想が必要であると説く。以下は同氏が主張するサブコンパクト出版のマニフェストだ。

  • コンパクト (1号あたり3-7記事)
  • 小さなファイルサイズ (写真や動画を多用せず、すばやくダウンロードしてすぐに読める)
  • デジタル版らしい手頃な価格 (例 : 1.99ドル/月)
  • 柔軟な刊行スケジュール
  • スクロール (ページめくりのような無駄な装飾は入れないという意味で、今のところはスクロールがベスト)
  • シンプルな操作
  • HTMLベース
  • オープンWebとの親和性

サブコンパクト出版を実践している好例として、Mod氏はInstapaper開発者Marco Arment氏がAppleのNewsstand/アプリ内課金で提供している「The Magazine」を挙げる。同誌の記事やコラムはInstapaperで変換したWebページのようにシンプルで、文章を読むことに集中できる。リンクを使った補助情報もタップして記事上で確認でき、使っているうちにどこかに移動して記事に戻れなくなるということはない。定期購読料金は1.99ドル/月で、1号ごとに4-5本の良質なコラムや記事を掲載している。更新は月に2回ほどだ。

「The Magazine」、電子書籍リーダーのようなシンプルな電子雑誌。マニュアル不要、目次もすっきりとしていて迷うことはない

The Magazineに対するMod氏の絶賛には個人的に共感を覚える。Instapaperユーザーだったことから、The Magazineがリリースされた時にiPadにインストールし、試してみるつもりで契約した。そのまま普通に読者として購読し続けている。シンプルかつコンパクトで読みやすく、そして気軽に購読できる安さだ。

現時点でThe Magazineの定期購読者は非常に少数だと思うが、N360同様に新しい読書体験を感じさせてくれる。The Magazineを体験しないまでも、RSSリーダーやInstapaper/Pocketなどを駆使し、またSNSやTwitterから情報を得ている人たちなら、古い価値観から抜け出せないデジタル新聞・雑誌に感じる違和感、これからのタブレット向けメディアに求められるスピードを感覚的に分かってもらえるのではないだろうか。日本においてメールマガジンが復権したのも、サブコンパクトの価値が認められている一例だと思う。

では、サブコンパクトが有望なら、なぜ大手出版社がサブコンパクト出版に乗り出さないのか。70年代の米自動車産業が日本の小型車をおもちゃ扱いしたのを同じように、Webサイトのようにシンプルなサブコンパクト本を大手出版社は競合相手と見なしていないからである。だが、油断していると、かつての米自動車メーカーのように気づいた時には手遅れになる。

The Dailyは出版業界の紙時代の価値観にはとらわれていない。タブレット時代のデジタル新聞に挑んだ。しかし、新聞・雑誌・テレビを扱う巨大メディア企業であるNews Corp.の古い価値観が表れていた。「マルチメディアを入れておけば新しい」という陳腐さだ。だから見た目は新しいようでして、使ってみて新しさは感じられなかった。おそらくThe Dailyもサブコンパクトの価値を認めず、サブコンパクトを競争相手として認めていないだろう。その点では、紙時代の価値観を引きずる新聞社や出版社のデジタル新聞やデジタル雑誌と変わらないのだ。