バラク・オバマ大統領(バーナード・カレッジ)、米大統領選の共和党候補ミット・ロムニー(リバティ大学)、戯作家のアーロン・ソーキン(シラキューズ大学)、ミュージシャンのアリス・クーパー(the Musicians' Institute)、俳優・司会者のオプラ・ウインフリー(スペルマン・カレッジ)など、今年も米国では著名人による様々な卒業スピーチが話題になった。その中から2012年のベスト・スピーチを選ぶすれば、個人的にはメリーランド大学の卒業式に登壇したDJパテルに一票を投じたい。

パテルが語った「Fail fast, don't fail slow (失敗をためらうな、すみやかに失敗しろ)」というメッセージは、スティーブ・ジョブズの「Stay hungry. Stay foolish」のような、聴く人の心をガバっとつかむようなインパクトはない。そのためかパテルのスピーチはほとんど話題にならなかった。ところがFastCompanyやWIRED(UK版)に抄録が掲載されてから、シンプルな言葉と共に語られたパテルのストーリーがじわじわと口コミで広がり始め、ついにGreylock Partnersのサイトにスピーチの全文が掲載されることになった。

すみやかに失敗し、すみやかに学ぶ

パテルは最初、LinkedInやFacebook、Twitter、Quoraなどを通じてスピーチのアイディアや過去に感銘を受けたスピーチの情報を求めたそうだ。しかし大学の卒業式にゲストが話したことなど誰も覚えていなくて、スピーチのクラウドソーシングは呆気なく失敗。結局、自分の経験を話すことになった。

パテルは最近バスワード化しているビッグデータの専門家だ。気象の数値解析法の研究で注目され、テクノロジー政策フェローとして国防総省のテロ対策と化学兵器拡散防止に取り組み、eBayで戦略ディレクター、LinkedInでチーフサイエンティストを務め、そしてアドバイザーとしてColor Labsの設立に関わった。現在はGreylock Partnersのデータサイエンティストである。

2011年にForbesが作成したデータサイエンティスト・リストで、Googleのラリー・ページに次ぐ2位に選ばれたDJ Patil

LinkedInやFacebookの経歴からは失敗のかけらも読み取れないが、パテルは「我々はみな、失敗の産物だ」と断言する。

「君たち(メリーランド大学の卒業生)が覚えていないだけで、君たちの両親はよく覚えているよ。最初の寝返り、最初の1歩、たくさんの失敗を重ねてようやくつかんだ成功だ」。

パテルの肩書きからは想像できないが、高校時代にパテルは理数系の成績が悪すぎて危うく留年しかかった。何とか卒業して最初に通った大学は、当時つきあい始めた女の子が進んだ短大を選び、彼女と同じ講義を取った。そんな感じだったから、またしても数学でつまづいた。

その時に講師やカリキュラムが合わないのだと自分を納得させて微積分のクラスを自ら落とそうとしたが、周りを見回し、そして本当は何もやっていない自分に嫌気が差した。自分は不安定な状況に身を置いたり、失敗することを恐れて、ただ何もやっていなかっただけなのだから、それは失敗と呼べるものではない。飛び込み台に上ってみたものの、プールをちょっと見ただけで怯えて、再び階段に引き返そうとしているようなものだ。

それからすぐに図書館にこもって、微積分の本を読みあさった。まるで修業である。ガールフレンドから「数学の宿題になんでそんなに時間をかけているの?」と聞かれ、思わず「自分でもわからないんだ、別に数学を専攻にしようとか、そういうことじゃないんだ」と答えたのを今でも覚えているそうだ。

しかし苦労を積み重ねて数学に取り組み続けた結果、自分が思ってもみなかった才能が開花した。

「粘り強さ(tenacity)と失敗(failure)は連動するもので、2つが揃わなければ、前に進むことはできない。とにかくやって失敗してみろと言っているのではない。ただ失敗するだけでは意味がない。大事なのは、どのように失敗するかであり、すみやかに失敗するのが最善である」

スタートアップの世界には迅速に早い段階で失敗すれば深手を負う前に撤退できるという考え方があるが、そういうことではなく、速やかに失敗し、そこから学んで速やかに再挑戦する。その繰り返しによって成長ペースが速まり、競争力がつく。

LinkedIn創設者の1人であるリード・ホフマンは「アントレプレナーシップ (entrepreneurship: 起業精神)とは崖からジャンプして、落ちる間に飛行機を組み立てるようなものだ」と述べていたそうだ。起業家を応援している言葉とは到底思えないが、「第1に困難に身を投じる必要性(崖から飛び降りる)、第2に目的を達成するまではひたすら失敗と学習のサイクルを繰り返さなければならない(さもなくば、落ちてしまう)ことを説いた素晴らしい喩えだ」とパテル。

いま大学を卒業する世代は、前の世代よりも頻繁に職を変える傾向がLinkedInのデータにもはっきりと現れているそうだ。自分が没頭できることに出会える可能性が高まるのだから、転職を試みるのは悪いことではないという。しかし、自分が情熱を注げるものを見つけたら、粘り強く苦労を積み重ねることが肝要であると説いた。

「独立してスタートアップを始めることをアントレプレナーシップだと考える人もいる。でも、そういうのはソーシャル・ネットワーク(映画)を何度も見直したり、Facebookの株価のウオッチャーのような人たちじゃないだろうか。私のアントレプレナーシップの定義は"自分が信じられるものを見つけることであり、それを形にする方法が見つかるまで試行錯誤を重ねながら、意味のあるものを作り出すこと"だ」

卒業生を前にパテルが失敗をテーマにスピーチを行ったのは、社会がこれまでにないスピードで動き始めているからだ。アラブの春やウオールストリート街で始まった占拠デモ、世界金融危機が立て続けに起こり、同時にヘルスケア改革の議論が沸騰し、教育の格差の問題が浮き彫りになり、国防問題も深刻さを増し、水の価値にまで変化が見られる。

「これらはただ議論したり、ただテクノロジに頼るだけで解決するような問題ではない。次世代に先送りしてもひどくなるばかりだ。すぐに問題に挑み、すばやく失敗から学び、より上手く挑戦することを繰り返すプロセスを通じて、われわれは解決に近づける」

今年の卒業生(Class of 2012)は学生時代をFacebookと共に過ごした世代である。デスクトップPCやノートPCを使うことすら古く感じる世代だ。「わたしたちは、あなたたちがどんどん失敗することを頼りにしている」とパテル。

「"Failure is not an option (失敗という選択肢はない: アポロ13号)"というような言葉をわたしたちは好んで使うが、信じて欲しい。メリーランド大学での生活は私に"Failure, is our only option (失敗こそが唯一の選択肢)"であることを教えてくれた」