米サンフランシスコで開催中の「Android Open Conference」(O'Reilly主催)で、10日に行われたティム・オライリー氏のキーノートのタイトルは「Androidはスティーブ・ジョブズから何を学べるか (What Android can learn from Steve Jobs)」だった。急遽講演内容を変更したのが明らかで、このタイトルがスクリーンに映し出された時には「最初の予定通りにやってくれ!」と思ったが、やはりオライリー氏である。わずか20分の講演だったが、タイトル通りの切り口でカンファレンスの目的も説明し、終了後には色々と考えさせられる内容だった。

Androidカンファレンスのキーノートのすべての時間を費やしてスティーブ・ジョブズ氏を語ったティム・オライリー氏

昨年後半から、Android陣営はユーザーインタフェース(UI)とデザインの改善に力を注いでいる。iPhoneをよく研究してきた最新のAndroid端末はデザインが洗練されており、見た目の向上がAndroid端末を広く一般に浸透させる要因になっている。またOSのUIも、開発中の次期Android "Ice Cream Sandwich"について「iOSですら古くさくて魅力に乏しく思える」という評価が見られるほどだ。

デザインと使い勝手で、iPhoneとの差を詰めるAndroid

スマートフォンにおいて「使いやすく、魅力的なデザイン」は不可欠で、より良いデザインを追求する競争は今後も展開されるべきである。しかし同じデザインでも、Apple製品とAndroid製品では根本的な意味が異なるとオライリー氏は指摘した。

ジョブズ氏はForbesのインタビューで以下のように語っている。

「多くの人にとって、デザインは化粧張りでしかない。インテリア・デコレーション、カーテンやソファの布地のようなものだ。しかし、私にとってデザインはこの上ない意味を持つ。デザインは製品またはサービスの表層として最終的にそれらを表現する、創造物の根本的なソウルである」

ジョブズ氏にとって、デザインは決して妥協を許さない根本的なソウル(fundamental soul)なのだ。しかし、Googleにとっては違う。では、同社の"根本的なソウル"は何かと考えると、創業時の「世界の全ての情報にアクセス」というスローガンが思い浮かぶ。2010年の創業者書簡の中でGoogleのセルゲイ・ブリン氏は「人々を必要な情報に結びつけるために、われわれはGoogleを創設した。以来われわれはひたすら、その目標を追い求めている」と書いている。

MacBook Airに対して、今のChrome OSノートは太刀打ちできるようなデザインではない。しかしMacBook AirとChrome OSノートを使い比べると、iPhoneとAndroid携帯を並べる以上にわくわくするものを感じる。それは、クラウドコンピューティング端末であるChrome OSノートがGoogleの根本的なソウルを体現した製品だからだ。一方、AndroidがGoogleのソウルを宿しているかというと大きな疑問符が付く。

例えば「他者(ユーザー、開発者、パートナー)のための価値の創造」だ。これは手法は異なれど、AppleとGoogleの共通の根本である。

AppleはiOSプラットフォームにおいて、アプリ開発者がスムーズにビジネスを展開できる整然とした環境作りを旨としている。そのため開発者カンファレンスなどで必ずアプリ開発者に支払った累積金額を公表している。もちろんAppleが最優先しているのは自社の価値の向上であり、厳密なコントロールはしばしば閉鎖的と批判されるが、サードパーティの価値も生みだし、それをきちんとアピールしているからiOSプラットフォームにアプリ開発者は惹きつけられる。

開発者カンファレンスや特別イベントで、モバイルアプリに関してAppleは必ず開発者とユーザーのメリットを説明する

Googleも検索事業では"価値の創造"を機能させている。2008年の創業者書簡の中でブリン氏は世界的な景気低迷について「今の子供たちが成長するころには、この景気後退は歴史の足跡になっているだろう。今日からその未来の間にわれわれが手がけるテクノロジが彼らの人生を定義することになる」と書いている。「これは『われわれの手によって未来を構築できることをGoogleは信じている』というステートメントである。だから、この会社が好きなんだ」とオライリー氏。実際、Google Economic Impactによると、Googleの検索および広告ツールは、2010年に640億ドルもの経済効果を米国にもたらした。しかし、Androidに関しては同じような話題が聞こえてこない。「通信キャリアの利益が向上したというような話は耳にするが、人々はそんな話には興味はない……われわれは開発者やユーザーに関する話を聞きたいのだ」と同氏は指摘した。

検索事業でGoogleは人々のための価値を生み出している。だが、同じような話題がAndroidでは聞こえてこない……

Androidは選択の自由をもたらすオープンネスを旗印に急成長を果たした。ところが今年のGoogle I/O開催前にBusinessweekが、Googleが最新のAdnroidへのアクセスを同社の意向に同意する企業に絞り込んでいると報じた。これが事実なら、これもGoogleの根本的なソウルに反するものだ。同じようなコントロールをAppleもやってるじゃないかという意見もある。しかし、Appleは逆に厳密なコントロールを根本としている点で大きく異なる。

オライリー氏は、Warburg Pincusのバイスチェアマンだったウイリアム・ジェーンウエイ氏との2007年のやり取りを紹介した。「かつてウオールストリートは顧客のために働いていた。ところが、いつの間にか、クライアントに背いても最大の利益を生み出すトレーディングを追求するようになった」。オープンネスや開発者コミュニティとの共栄を見失えば、それはGoogleのソウルに反する。最後に「『Googleの"根本的なソウル"を貫け』というのがスティーブ・ジョブズからGoogleへの究極のアドバイスだと私は考える」とまとめた。

Stay Hungry, Stay Foolish

5日の午後4時半ごろ、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなったことを音楽専門のFMラジオ局の放送で知った。DJが話しているところに別のDJが割り込んできて「誤報かもしれないけど、いや誤報であると望んで聞いてほしい。スティーブ・ジョブズ氏が亡くなったそうだ」と述べた。ある程度は事実と確信していたと思うが、速報のウラ取りも不十分なまま、それでもラジオが共有せずにはいられないほど、シリコンバレーでは重いニュースだった。

それから色々なところを取材して回ったが、追悼の文章などは書く気が起きず、ジョブズ氏が全地球カタログから引用した「Stay Hungry, Stay Foolish」という言葉を数多くの人が紹介しているのを読みながら、これは日本語にどのように訳すべきか……などと考えながら過ごしていた。

「Stay Hungry, Stay Foolish」- よく見るのは、そのまま「ハングリーであれ、愚か者であれ」という様な訳だ。特にStay Foolishが曲者で、中には大胆に「バカであれ」とした訳も目にした。言葉の勢いの良さを日本語にするのもポイントだけど、それだけでは製品の見た目を真似しただけのようで、その言葉に潜む根本的なソウルも表したいところである。

そもそも「愚かであれ」とは、どういう意味か。スタンフォード大学でのジョブズ氏のスピーチの内容を反映させれば、「決して満足するな、リスクを恐れるな」または「貪欲に行動せよ、リスクを恐れるな」というような訳が適当であるように思う。意味を分散させず、前半に原文の勢いを残すなら「ハングリーなままであれ、リスクを恐れるな」という感じだろうか……。個人的には「貪欲に行動せよ、リスクを恐れるな」で行きたい。

周りから「愚か」と見られてもリスクに挑み続けるには、強い信念と行動力、そしていくらかの知恵を備えなければならない。ジョブズ氏が語るStay Hungry, Stay Foolish は瞬く間に聞く人の心を奪う言葉だが、その根本的なソウルを実践するには相当な覚悟が必要だ。

スティーブ・ジョブズ氏の自宅には様々な種類のリンゴの木が植えられており、今はその多くが実をつけている