数多くのGoogleエグゼクティブやGooglerのインタビューを基に、検索スタートアップが巨大インターネット企業に変わる様を描いたSteven Levy氏の新作「In the Plex」。前回は前半部分のエピソードを中心に、「大望を抱いていたら、失敗からも得るものがある」というGoogle流の考え方を紹介した。実際、急速な成長を遂げ始めたGoogleは、数々の衝突やトラブルに直面し、大きな失敗も経験することになる。

データを見て、人を見ず

2000年当時、Googleにはユーザーに直接応対するカスタマーサポートが1人もいなかった。「優れた製品を作れば、(カスタマーサポートが用意されていなくても)人々は使ってくれるという考え方が強く根づいていた」という。2003年に、ユーザーからの質問メールや電話に対応するカスタマーサポートを増やす代わりに、Larry Page氏はユーザー同士が助け合うGoogleヘルプフォーラムを設置させる。それが機能したことで、Googleのカスタマーサポート不要論はさらに勢いを増す。しかしながらAndroid携帯「Nexus One」の直販に乗り出すと、カスタマーサポートの不在が売り行き不振に直結した。日常的なコミュニケーションを支える携帯電話では、いかに便利にサポート情報を検索できても、カスタマーサポートが手助けしてくれない製品に一般消費者は不安をおぼえた。

McClatchy-TribuneのインタビューでLevy氏は「データが何かを語りかけていたら、データを信用するのがGoogleのやり方だ」と指摘している。Googlersはデータが示す事実に対して頑固で、しかも先見的な考えが一般からの理解を得られないときに「鳴かぬなら、鳴くまで待とう……」 と耐える柔軟性に欠ける。例えば、Google Booksが著作権侵害で批判され、訴訟に発展したときに、社会貢献であると信じて後押ししてきた創設者2人は心底あぜんとしていたという。「彼らは賢いが、人々が拒否する事実を受け入れられなかった」とLevy氏は語っている。

このGoogleのデータを見て人を見ない傾向は、同社がソーシャルネットワーキング分野で出遅れる要因にもなった。

「私の夢はすべてのインターネット・ユーザーを結び、そして関連づけることだ」。まるでFacebook CEOのMark Zuckerberg氏の最近の発言のようだが、これはGoogleのソーシャルネットワーキングサービス (SNS)「Orkut」を開発したOrkut Buyukkookten氏がLevy氏に語った言葉だ。

Facebookがアイビーリーグのソーシャルネットワークでしかなかった2004年に、GoogleはすでにOrkutの正式提供を開始していた。同サービスはブラジルやインドで大ヒットした。そこからGoogleはOrkutのソーシャルグラフをグローバル規模に広げることも可能だったと思う。しかし「個人の結びつきを土台にしたおすすめは、Web全体の知よりも価値がある」というソーシャルな考え方は、あらゆる情報を整理してアルゴリズムで答えを導きだそうとしていた当時のGoogleにそぐわなかった。Google内においてOrkut氏の夢の実現が積極的に押し進められることはなく、結果的にFacebookの躍進を許すことになる。

Mountain ViewにあるGoogleの本社

Googleもはじき返された中国の壁

00年代におけるGoogle最大の失敗は中国進出だろう。数々のトラブルにも「鳴かぬなら、鳴かせてみよう……」というような姿勢だった同社が、わずか4年で撤退を余儀なくされた。

2004年に、Larry Page氏とSergey Brin氏が中国を訪れている。その直前にAl Gore元副大統領が2人に、政治に対する考えの甘さを指摘したそうだ。学生バックパッカーのような姿勢のままでは、中国ではごう慢に受け止められると警告したという。

2006年にGoogleの中国進出は実現するが、中国側からの歩み寄りはなく、またGoogleも自身のやり方を曲げなかった。例えば、中国では当たり前のそでの下をGoogleは認めず、経費を使ってiPodを中国の高官に贈った政府交渉担当者を同社はクビにした。中国側との溝が埋まらないまま、本社からの支援は強化されず、現地のスタッフの負担が重くなるばかり。最も深刻だった問題は、中国政府にプライぺート情報が流される恐れから、中国のエンジニアのコードへのアクセスが制限されたことだ。これでは中国オフィスにおいては、オープンな環境で新製品・新サービスを生み出すというGoogleの目的が達成できない。現地の開発スタッフも徐々に音を上げるようになり、Gmailシステムへの中国からのハッキングが発覚する1年も前から、Google本社ではエグゼクティブの間で中国撤退を推す声が強まっていたという。

中国からの撤退はGoogleが自分たちのやり方を貫いたことを意味するが、Levy氏に言わせれば、Googleが中国を変えようとした以上に、中国進出によってGoogleが変わった。自分たちのやり方を曲げないために、拒否を受け止める道を選んだのだ。

これはある意味、ユニークな成長である。大企業ならばビジネスの拡大を選んで然るべきだが、Googleはそれを良しとしなかった。この変化が、具体的にどのように現れるかは、Larry Page体制下に変わったこれからの話になる。例えば、Emeral Seaというコードネームで開発されているソーシャルネットワーク機能は注目の1つだ。SNSで出遅れたGoogleは、Facebookを過剰に意識して、これまで同分野で失敗を繰り返してきた。New York TimesでのインタビューでLevy氏は「フロントガラスを向いているときのGoogleは素晴らしいが、バックミラーを気にしているときのGoogleは頂けない」としている。だが、最近Googleが投入したソーシャル機能「+1」は、肩の力が抜けてフロントガラス越しにFacebookを捉えているようなところがある。そのためか、逆にFacebookが+1を意識しすぎて墓穴を掘る結果になっている。