米WIRED誌が5月号のiPad版を無料で配信し始めた。Adobeがスポンサーになって実現したものだが、「FREE - 無料からお金を生みだす新戦略」のChris Anderson氏が編集長を務めるWIREDである。無料キャンペーンの背後で、なにか企んでいるのではないかと勘ぐりたくなる。

無料配信中のiPad版WIRED5月号

WIREDによると、昨年6月に登場したiPad版WIREDの販売部数は累計で105,000部。ひと月20,000部-30,000部で推移しているという。米国における雑誌WIREDの人気ぶりを考えると、伸び悩んでいると見るのが妥当だろう。

しかしながら、今回のiPad版の無料配信は単純に販売部数の向上を狙った無料キャンペーンではないようだ。WIREDのJohn C Abell氏は実験的な試みであることを匂わせている。「デジタル雑誌と印刷版の値下げ合戦に陥るような状況は好ましくないし、出版社のビジネスモデルに印刷版が組み込まれている限り、デジタル版が印刷版とのバランスを崩してはいけない。ただ皮肉と言うべきか、印刷版ではできない無料配布がデジタル版では可能である。増刷してもコスト(紙代、印刷代、輸送費)は積み上がらないし、需要に応じてコピーを提供できる(資源のムダがない)」と語っている。

1カ月限定とはいえiPad版を無料提供するのは、「出版社のビジネスモデルに印刷版が組み込まれている限り、デジタル版が印刷版とのバランスを崩してはいけない」という部分をひっくり返す大胆な試みになる。

ちなみにWIREDの通常の価格は、iPad版が1冊3.99ドルで、定期購読パッケージはなし。印刷版は1冊4.99ドルだが、定期購読すると年間10ドル+送料(1.99ドル)。12冊でわずか1000円程度である。

今の主力製品は印刷版の定期購読であり、それを年間10ドルで提供できているのだから、よく売れているのだろう(契約者が多いほど割引率を高められる)。一方でiPad版は、主力の印刷版の契約者を奪い取らない価格・サービスに設定されている。結果、「印刷コストがかからず、輸送コストも押さえられるのに高い!」という声に直面しているのだ。印刷版との関係を考慮せずに、ひたすらiPad版のメリットを追求したらどうなるのか……今回Adobe1社のスポンサーだけで、まるまる1号の無料化が実現したのは興味深いところだ。

また、5月号から記事をTwitterやFacebookで共有できる機能がiPad版に組み込まれている点も見逃せない。WIREDは、すべての記事をWebで無料公開している。News Corp.のRupert Murdoch氏は「上質なコンテンツであっても無料で配れば、売る道が細る」と主張しているが、WIREDは優れた記事を抱えていても気づかれなかったら宝の持ち腐れになるという考え方だ。まず無料版の記事が話題を喚起し、そこからWIREDに興味を持ってもらえば、有料の紙版やiPad版がいずれ売れると見る。実際、今のWIREDは紙版を年間10ドルで提供できているのだから、無料版が有料版への呼び水として機能している。

デジタル雑誌がソーシャル機能を取り込むのは新しいものではないが、WIREDの場合、無料のWeb版で記事の存在を広く知らしめて有料版に誘導するという仕組みがすでに上手く機能している点で他と異なる。印刷版よりもタブレット版の方が、Web版との連携の新たな展開が期待できるだけに、1カ月の実験に合わせて、その布石となるようなソーシャル機能も用意したところに、WIREDのしたたかな本気が伝わってくる。

iPad版で記事を共有するとショートURLを含むメッセージが生成される(左)。メッセージのリンクをクリックすると、無料のWeb版の記事が開く(右)。

BitTorrent公開、NPR方式など、電子書籍提供に新手続々

こうした既存のルールや常識にとらわれない大胆な実験に乗り出しているのはWIREDだけではない。最近、電子書籍出版のあちこちから聞こえてくるようになってきていている。

例えば、スリラー作家のMegan Lisa Jones氏は、昨年8月に刊行した「Captive」を2週間限定でBitTorrentを通じて無料提供した。BitTorrentからCaptiveアプリを入手し、同アプリでPDFまたはEPUB形式の電子書籍を入手する仕組みだ。CaptiveはAmazonでKindle版が9.99ドル、ペーパーバック版が10.90ドルで販売されているが、オンラインストアでは作品が読者の目に触れる前に埋もれてしまいがちだという。作家にとっては海賊行為に直面するより、そうしたあいまいな状態に陥る方が深刻な問題であり、作品を手にしてもらう機会を求めて、ユーザーが1億人を超える(が、海賊コンテンツの巣窟とも言われる)BitTorrentでの公開に踏み切った。

Gluejarという会社は、地域コミュニティや個人からの寄付で運営される公共ラジオ(NPR: ナショナルパブリックラジオ)に似た方式の電子書籍提供に乗り出した。作家や作品のページで寄付を募り、一定額に達したら作品を電子書籍化する。寄付をしてくれた人たちに完成品を送るが、作品はDRMフリーで誰でも読めて共有できるようにCreative Commons Licensingで公開する。「電子書籍は本ではなく、bitに過ぎない。ラジオ番組ほど運営が面倒ではないし、コピーを作成するコストは(ラジオ番組製作や、印刷・製品に比べれば、)取るに足らない」とGluejarを手がけるEric Hellman氏は語る。公開された作品が評価されれば、次の作品作りに向けた寄付、さらにAmazonなどでの売上げ向上につながると期待している。