7インチ(1024×600)のタッチディスプレイを搭載したSamsungの「Galaxy Tab」

Dellの「Streak」やSamsungの「Galaxy Tab」など、Androidを搭載したタブレットが年末商戦に向けて続々と登場している。これを牽制するように、10月にAppleのSteve Jobs氏がAndroidタブレットに多い7型サイズについて「スマートフォンのように持ち歩くには大きすぎるし、タブレットならではのユーザーインタフェースを実現するには小さすぎる」と指摘した。それから「7型 vs 10型(正確には9.7型)」から「Androidタブレット vs iPad」が連想されるようになったのだが、これは奇妙な議論である。そもそもAndroidタブレットはAndroid携帯同様に、さまざまなタイプのハードウエアや価格帯の製品が出てきて然るべしだ。Android内にスマートフォンとの棲み分けを図る製品やハイブリッドをアピールする製品が混在して競争が起こるはずである。それなのにJobs氏が7型をAndroidタブレットの代名詞にして攻撃しても納得してしまうほど、7型もしくは5型の製品が多い。なぜだろう? 9.7型のiPadが大きすぎるというユーザーの声が聞こえいたから? そんな単純な理由ではないはずだ。

ここ最近アプリケーションプラットフォームとしてのAndroidの見通しの悪さを指摘する論評をよく目にする。たとえばRobert Scoble氏の「Is the tech press needed anymore? (how Apple iPhone apps take off now)」だ。モバイルアプリの現状における"一般論"として以下の5つの定着を挙げている。

  • Appleユーザーは有料アプリを購入するが、Androidを含む他のプラットフォームユーザーはあまり有料アプリに手を出さない
  • Appleユーザーはデバイスごとに試すアプリの数が多い
  • Appleユーザーはデバイスごとにより多くの買い物をするため収益につながりやすい
  • アプリを開発するのにAppleプラットフォームは最善の選択
  • 少なくとも今後6カ月はiPadのひとり勝ちが続く

ひとつずつを取り上げていったらいろいろと異論があるのだが、これらは「ほかで取り上げられなくても、AppleのiTunes App Storeで紹介されただけで大きな成功を収めたアプリ開発者が数多く存在する」というScoble氏の観察に基づいている。それは概ね事実だろう。ちなみに記事タイトルの「テクノロジ媒体はもう必要ないのか?」だが、以前のアプリ開発者はユーザーへのアピールを求めて積極的にメディアにアプローチしていたが、最近はApp Storeのスタッフに気づいてもらうのが最優先。メディア活用も、その手段の1つに格下げされた状態なのだという。

Scoble氏の書き込みの3日前に、Unicorn LabsのMark Sigal氏がO'Reilly Radarで「Anatomy of an ebook app」という手記を公開している。これがアプリ開発者のApp Store依存を裏づけるような内容なのだ。同社の「Rabbit and Turtle's Amazing Race」は、App Storeでフィーチャーされた途端に売上げが3倍-5倍のペースに上昇したそうだ。

Sigal氏の手記で興味深いのは、iOSプラットフォームでも断片化が開発者の悩みであるとしているところだ。多種多様なハードウエアが存在し、ソフトウエアにもいろいろと手が加えられているAndroidほど深刻ではないものの、iOSも最新版のiOS 4で追加された機能やライブラリを利用すると、iOS 3.xで動作するデバイスとのズレが生じる。「write once, run everywhere」と呼べるほどシンプルではないそうだ。しかしながらグローバル規模でユーザーにリーチできる仕組み、スムースな請求/支払いなど、難点を補ってあまりある快適な生産性がApp Storeにはあるという。

ズラりと並んだAndroidデバイス。搭載端末の多さ、ソフトウエアの亜種の多さがアプリ開発者を悩ませる

iOSデバイスはコンソール、AndroidはPC

John Gruber氏の「Where Are the Android Killer Apps?」はScoble氏よりも辛辣だ。TechCrunchの「Androidアプリ、トップ30」を例に、AndoidにはAndroid携帯を手放せなくなるようなキラーアプリが存在しないと断言する。Androidの人気アプリの多くにはiOSアプリ版があり、しかもiOS版の方が快適だという。Android版のみの人気アプリはファイルシステム・マネージャーやホーム画面カスタマイズツール、ウイルス対策ソフトなどユーティリティばかり。つまりAndroidの不足を補うアプリなのだ。

Appleはユーザーがコンテンツを消費する環境が整えるために、「デバイスのユーザー規模」「開発者パートナー」「ソフトウエアのセールス」に相互関係が生じるように丁寧にiOSとApp Storeを構築してきた。クローズドと批判されるが、ゲームコンソールに近いモデルである。一方AndroidプラットフォームはGoogleのサービスやモバイルWebを使うには快適だが、開発者サポートに関してはPCに近い。よく言えば自由、しかしコンテンツ所有者や開発者がビジネスチャンスを見出しにくい混沌としたところがある。もちろんAndroidもアプリケーション-コンソールになり得る。だが、「GoogleはAndroidをそのように扱っていないし、開発者も同様だ。ユーザーもそうなるとは思っていない」とGruber氏は指摘する。「Androidのユニット販売数の伸びが今後も携帯産業の平均を上回り続けたとしても、その大部分は、音声とテキストメッセージ、そしてGoogleのサービスとモバイルWebを利用できる携帯電話としての成功だ。すでに数百万人がAndroid携帯を購入し、これからさらに多くの人が(Androidデバイスを)手にするだろう。だがiOSは、たとえiPhone市場を奪われ、iPod touchとiPadのみになったとしても、活気のある成功を収めるだろう」と予測する。

考えてみれば、iPad以前にもAppleにはiPod touchという小型タブレットがあり、iOSアプリ市場の拡大とともにiPodの主力製品に成長した。それにもかかわらず、AndroidからiPod touchに対抗するような製品が出てこなかった。理由はおそらく、Androidがアプリケーション-コンソールモデルにフィットしていないからだ。

最初に戻って、なぜ今日のAndroidタブレットが7型または5型ばかりなのかと考えると、アプリケーション-コンソールに当てはまらないAndroidは、GoogleのサービスとモバイルWebを利用する携帯電話の枠の中でしか実力を発揮できない。現在のAndroidタブレットの多くは、Androidスマートフォンの延長に位置する。Androidにはもう1つ「PCのような」という特徴があるが、有料のAndroidアプリが芳しくない現状で"PCのようなAndroidタブレット"が新市場を作り上げるのは難しい。GoogleがWebアプリ販売に力を注ぐChrome OSの方が見通しは明るい。

だからAndroidタブレットが失敗する……とは限らない。キラーアプリはなくとも、GoogleというキラーサービスだけでAndroid携帯が売れまくっているのも、また事実なのだ。iOSとは狙っている成功の質が異なる。同時にGoogleとAppleには、ある面で持ちつ持たれつなところがある。むしろアプリケーション-コンソールモデルであるiOSにとっては、いきなり「Need for Speed」や「Undercover」「Tetris」「The Sims 3」などの人気ゲームタイトルを擁してきたWindows Phone 7の方が注意を払うべき存在に思える。