仕事柄、毎日いろんな会社のプレスリリースに目を通すが、プレスリリースも様々である。困るのはポイントがぼけちゃっているリリースで、最初から最後までメリハリのないのっぺらとした仕様書のようだったり、逆にあれもこれもと欲張り過ぎて本当に強調したいところが浮き彫りになっていないと新製品を理解するのに苦労する。過去に実装済みの機能を、まるで新機能であるかのように紹介し直しているズルいリリースもある。望ましいのは訴求点が強調されていて、その製品を勧めるべき理由や検証すべきポイントが明確にわかるリリースだ。その点で米Amazon.comのプレスリリースはよくまとまっていると常々思っていたのだが、それもそのはずである。Amazonにとってプレスリリースは製品開発の設計図なのだ。

Q&AサイトQuoraの「Amazonでは製品開発と製品管理にどのようなアプローチを採用しているのですか?」という質問に、Amazonのギフト事業担当シニアマネージャーのIan McAllister氏が回答しており、その中で同社の「Working Backward」を説明している。訳すと「逆さの取り組み」という感じだろうか。製品アイデアをひねり出して、そこにユーザーを惹きつけるのではなく、Amazonではユーザーが求めるものから製品を生み出すというのだ。まず、いきなり最終製品のプレスリリースを作成してみる。もちろん社内での検討用の暫定的なものだが、以下のようなアウトライン例に従った本格的な文書だ。

  • ヘッダ: ユーザーがすぐに製品をイメージできる製品名を含む
  • サブヘッダ: 製品のターゲット市場とユーザーのメリットを一文で表現
  • 要約: 製品の内容とユーザーのメリットを説明
  • 問題: 製品が必要とされる問題
  • ソリューション: 製品がどのように問題を解決するかを説明
  • アピール: 自社のスポークスパーソンのコメントなど
  • 使用開始について: 使用開始のしやすさ、導入しやすさを説明
  • ユーザーについて: 想定ユーザーの利用体験をふくらませる
  • 結び: まとめ。ユーザーが次にとるべき行動について説明

1段落は3、4センテンスで、全体を1.5ページ以内にまとめる。注意点は「スペックの説明に陥らない」だ。プレスリリース作成を通じて製品開発チームが主観だけではなく、第3者からどのように見られるかを自ら整理することで、自分たちのアイデアが必要とされる製品に結びつくかが明確になるという。ちなみにMcAllister氏は「Oprah-speak」という手法でプレスリリースを書いている。Oprahとは、米国の人気トークショーの司会オプラ・ウィンフリーのことだ。オプラ・ウィンフリー・ショーに出演して、オプラと観客に製品を説明するように書く。日中のトークショーなので観客と視聴者は主に女性であり、仕事を持たない主婦にも納得してもらえるわかりやすさが必要。「Geek-speak」ではダメなのだ。

Working Backwardではプレスリリースに続いてFAQを作成する。これはプレスリリースと同時進行して、プレスリリースに添付するケースが多い。次にユーザーインタフェースやハードウエアのモックアップなど、ユーザーの利用体験につながる部分を形にして検討する。ユーザーが製品を使って、実際に問題を解決できるかを判断するのが、このステップの狙いだ。最後に製品マニュアルを作る。製品コンセプト、使い方、参考資料の3つが通常のマニュアルの構成だ。まだ具体的な製品開発にとりかかる前だが、この時点に到達すると開発チームに新製品のビジョンが完全に浸透し、全員が製品の細部までを他のAmazonのチームに説明できるという。

具体的な製品開発プロセスにこぎ着ければ、プレスリリースは試金石になる。迷いが生じたら「プレスリリースに書かれている製品を作っているか?」と自問してみる。プレスリリースに書かれている製品と乖離しているようなら、ユーザーの利益につながる製品から離れていることを意味する。すぐに原因の究明と修正を行う。

プレスリリースとFAQ、モックアップ、マニュアルの作成は時間のかかる準備作業だが、結果的にブレのない製品開発、リソースの無駄が生じない製品開発、開発期間の短縮が可能になるという。

SNS世代の起業家に通じるAmazonのアプローチ

1999年にTime Man of the Yearに選ばれたAmazon CEOのJeff Bezos氏。しかし21世紀に入って、単なるオンラインショップを脱皮してから本当の快進撃が始まる

McAllister氏の回答を読むまで、AmazonのWorking Backwardのことは知らなかった。Kindleあたりから使われているのかなと思って調べてみると、2006年頃からAmazon幹部の講演やインタビューの端々に登場している。少なくとも導入から5年は経過している開発プロセスであるようだ。

思い出したのは、今年春のWeb 2.0 Expoで、Dropboxの共同創業者Drew Houston氏とXobniのCTOのAdam Smith氏が行ったスタートアップ成功術の講演だ。SNS世代の若い起業家ならではのマーケティングが斬新で面白かった。たとえば「資金を投じて実際の製品開発に取りかかる前に、ネット上にニセ広告を出してユーザーの反応を見るべき」という感じだ。とにかく口コミ重視。そしてユーザー本位で、「人々が求めるかどうかわからないものを作るほど大きなリスクはない」という考え方である。

AmazonのWorking Backwardは、このDropboxやXobniのアプローチに非常に近い。もちろんユーザーの声をすくい上げようという考え方に今も昔もないと思う。ただSNS世代にはその感覚が染みついているというか、とりあえずフェイクのオンライン広告を出してユーザーの反応を確認してみるというような行動にすんなりと踏み出せる。そんなツールに囲まれてこなかった世代は、わかっていてもユーザーとの距離を縮めるのが面倒になって、結局自分たちのアイデアをユーザーに押しつける方法に流れてしまっていた。Amazonの場合はクラウドソーシングなんて言葉が出てくるずっと前から、いまのSNS世代のようにユーザーとのつながりを実現しようとしていたのだ。最初は実践するのが大変だったと思う。だが、そうしたプロセスがいち早く浸透していたのが、クラウドサービスや電子書籍プラットフォームなどユーザーに新たなソリューションを提供する新分野の開拓につながったのではないだろうか。