転職先さがしにLinkedInのようなソーシャルネットワーキングサービスを活用するのはよく聞く話だが、広告代理店Young & Rubicamでシニアコピーライターとして活躍しているAlec Brownstein氏はGoogleの検索連動型広告AdWordsを使った。

昨年夏、Brownstein氏は尊敬できるディレクターの下でクリエイティブな仕事をしたくて転職を計画した。ある程度キャリアを積んできた同氏にとって、あこがれのディレクターは業界のトップであり、強力なコネか運がなければ会えそうにない面々ばかり。近々それらが自分のもとに舞い込んでくるとは思えず、そこでAdWordsで「David Droga」「Tony Granger」「Gerry Graf」「Ian Reichenthal」「Scott Vitrone」などの著名なアートディレクターの名前を広告キーワードとして購入した。これらの名前をGoogleで検索すると「Hey, Ian Reichenthal」というようにBrownstein氏からのメッセージが、スポンサード・リンクとして検索結果の上に表示されるという具合だ。誰でも一度は自分の名前をGoogleで検索してみる。大物クリエイターなら自分の評判を気にして定期的にリサーチしていてもおかしくない。そこに賭けた。

結果、Granger氏を除く4人との面接にこぎつけ、Young & Rubicamの仕事をゲットした。AdWordsでアートディレクターの名前を買う人、またアートディレクターの名前が記された広告に興味を持つ人は少なかったようで、転職キャンペーンのコストはわずか6ドルで済んだという。

Brownstein氏の転職活動は奇策である。だがターゲットに発見してもらうための攻めのオンラインキャンペーンとも言える。

LinkedInのようなソーシャルネットワーキングサービスが存在していても、Brownstein氏のメッセージは希望のターゲットに届かない。これは、オンライン広告やモバイル広告の効果に疑問を持ったり、iPhoneアプリを公開してもApp Storeで配信されているアプリの山に埋もれてしまうという不満と同じだと思う。しかしアイディアを絞り出し、クリエイティビティを発揮すれば、運まかせの状況を乗り越えられる……これもまた事実であるのを同氏の転職活動は証明している。

ちなみにBrownstein氏は、この転職広告で3大広告賞のうちの2つ、The One Showとクリオ賞のセルフプロモーション分野の賞を獲得した。

App Store最大の功績は……

Brownstein氏の話を持ち出したのは、米Appleがスペシャルイベントで発表した音楽ソーシャルネットワーク「Ping」の狙いが「Discovery (発見)」だったからだ。

「iTunesでもっとも力を注いでいるのはDiscoveryだ」とJobs氏

Pingの主な流れは、ユーザーが好きなアーティストをフォローし、さらに同じアーティストをフォローしている人や友だちもフォローすることで同好のネットワークが広がる。アーティストは写真やビデオもポストでき、フォローしてくれたファンに直接的にメッセージや情報を提供できる。

これまでのところPingに対するアナリストやユーザーからの反応は冷ややかなものが目立つ。iTunes Store限定、フォローできるアーティストが少ない、ユーザーのアクティビティが乏しい、ナビゲーションがスムースではない等々。加えてスパムやなりすましなどの問題も発生している。筆者はAppleが買収したLalaの大ファンだったから、余計に複雑な気分だ。Lalaのようなユーザーの音楽の楽しみ方を変えるコミュニティサービスを期待していたのに、Pingのどこを探してもLalaの面影は見いだせない。Lalaのスタッフがかかわったプロジェクトではないのだろうか……。

Pingの残念なところばかり並べていても仕方がないので、話を"発見"に戻そう。Pingを使っていると、Appleが音楽ストアを「App Storeのような存在」に持って行こうとしているように思えてくる。サービスという意味ではない。存在感だ。ご存じのようにApp Storeは、ユーザー以上にアプリ開発者を強く引きつけている。今日のモバイルアプリ開発者の多くがユーザー規模の大きなiOSデバイスを狙ってアプリを開発し、App Storeユーザーにリーチするためのプロモーションに力を注いでいる。そしてiOSアプリの充実が、iPhone/ iPod touchユーザーをさらに増加させるという好循環だ。

翻って今のiTunes音楽ストアは、iPod/iPhoneユーザーにとって便利な音楽ストアであるものの、ミュージシャンにとってはいくつかの有力な提供チャンネルの1つに過ぎない。しかしCDからダウンロード販売へのシフトは着実に進んでいる。来年春には、iTunes StoreがCDの売上げを上回る見通しだという。この転換期に、1億6,000万アカウント規模のiTunesユーザーの価値をアーティストに認識してもらおうという狙いがPingの提供からかいま見える。

アーティスト側に軸足を置いているというのは、ユーザーにとってうれしい話ではないが、ソーシャルネットワーキングサービスはあまた存在するのだ。ユーザーのつながりを通じた発見なら、iTunesよりもFacebookやTwitterの方が広大だし、ソーシャルネットワークとして成熟している。ここにiTunesが割ってはいるのは容易ではない。だがBrownstein氏の転職のように、リーチする側がユニークなアイデアを持って仕掛ければ、LinkedInでも実現しないような"発見"が生まれる。iTunes Storeという箱庭にミュージシャンやレーベル、DJ、音楽評論家などを引き込み、その中でクリエイティビティを発揮させるのなら、理に適ったソーシャルネットワーク戦略だと思う。

App Storeで自由にアプリを配信できないように、Pingにおいてもミュージシャンなどの特別アカウントの登録はAppleによって管理されている模様だ。参加アーティストを順次拡大し、またTuneCoreなどオンライン配信契約代行サービスとの交渉も進んでいると報じられているものの、先行きは不透明だ。ただ、App Storeの最大の功績は、チャレンジしたら成功するかもしれないというマインドセットをあらゆるアプリ開発者に植えつけたことだと思う。このマインドセットなくして、App Storeの存在感はあり得ない。無名アーティストでもアイディア次第でリスナーにリーチ(=発見)できる……そんなクリエイティブな気持ちにさせるようなコミュニティへの成長を期待したいところだ。