8月18日(米国時間)に米WIREDのオンライン版で無料公開されたChris Anderson編集長とMichael Wolff氏の「Webは死んだ。インターネットよ永遠なれ (The Web Is Dead. Long Live the Internet)」がネット界隈で大きな話題になっている。この場合Anderson氏はWIRED編集長ではなく、昨年ベストセラーになった「フリー〈無料〉」の著者であり、また04年の「The Long Tail (ロングテール論)」の執筆者と紹介するべきだろう。これまでネットの潮流を巧みに捉えてきた同氏が"無料"に続いて"Webの死亡"を宣告したのだから穏やかな話ではない。

「Webは死んだ」は以下の図から始まる。米国におけるインターネットトラフィックのタイプ別の比率変化だ。

CAIDAのレポートをベースにしたCiscoの推定

インターネットトラフィック全体に対するWebの比率が年々小さくなっている。なぜ、このようなことが起こっているかというと専用アプリケーションの台頭である。朝起きてiPadアプリを使ってメールやFacebook、Twitter、New York Timesなどをチェックする。RSSフィードの確認、SkypeやIMを使ったコミュニケーションにもアプリが浸透している。Pandoraで音楽を聴き、Netflixのストリーミングサービスで映画を鑑賞し、そしてXbox Liveでゲームを楽しむ。「1日中インターネットと共に過ごしているが、それはWeb上ではない」とAnderson氏。デジタルの世界における、ここ数年で最も重要な変化は「ワイドオープンなWebから、転送手段としてインターネットを使うだけでブラウザでは表示しない半閉鎖的なプラットフォームへのシフトである」としている。

過去にもAOLのような箱庭的なネットワークが一世を風靡したことがあるが、最終的に外側のオープンな世界との競争に敗れて塀はもろくも崩れてしまった。今のセミクローズドなプラットフォームの台頭もiPhoneやiPad、Facebookの盛り上がりに支えられた一過的なムーブメントではないだろうか。こうした声に対してAnderson氏は、WebブラウザMosaicの誕生から18年目を迎え、ブラウザの前で過ごしてきた人たちも大人になった"成長"を指摘する。例えば若いときは財布の中身よりも時間の方があり余っていたからLimeWireで海賊ファイルを探すのも厭わなかった。年齢を重ねると経済的な不自由がなくなり、むしろ時間の方が貴重になる。するとiTunes Storeのような便利で信頼できるものが重宝する。便利さと品質、そして時間の節約に1曲0.99ドルなら安いものだ……となる。

違法ファイル交換からオンライン音楽ストアへの流れは極端な例だが、Webが私たちの生活に中に浸透するほどに、生活を便利にするサービスが一般ユーザーから求められるようになる。その便利さはコントロールの利いたセミクローズドなプラットフォームからもたらされるというのがAnderson氏の言い分だ。オープンでフリーなWebは、コントロールしにくく、必ずしも一般ユーザーにとって便利であるとは限らない。

インターネットのさらなる成長には寡占が不可避

たしかにiOSデバイスやAndroidデバイスを使用するようになるとアプリとともに過ごす時間が増える一方だ。しかしWebが衰退しているという実感はまったくない。

「Webは死んだ」というタイトルに対しては、オープンなWebを支持する層を中心に批判が噴出している。例えばRob Beschizza氏は、「Webは死んだ」の最初の図が読者に誤解を与えると指摘している。図を一見した感じでは、Webのトラフィックが2000年をピークに減少し衰退し続けているような印象を受ける。だが図は比率の推移であり、図からトラフィック量の変化は分からない。この図が用いているCiscoのソースを確認すると、インターネットトラフィックは2005年から2010年の間に1エクサバイトから7エクサバイトに拡大すると推定しているそうだ。トラフィックの総量が飛躍的に増大しているため、その中でWebトラフィックの比率は小さくなっているものの、Webトラフィック自体は衰退どころか今も増加している。

Beschizza氏が引用したデータを確認できなかったので、参考のために、以下にCisco VNIのインタラクティブチャートを付けておく。

またWebブラウザでアクセスするインターネットを「Web」と切り分けているのにも違和感を覚える。アプリの中もHTTPやRESTなどのWeb技術を用いた特定のサービス専用のミニブラウザと呼べるものが多い。

「フリー〈無料〉」もそうだったが、どうもAnderson氏は読者を引きつける刺激的なタイトルを好むようだ。ただ「フリー」と今回の「Webは死んだ」は読後の印象が異なる。「フリー」は"無料"を成長に結びつける戦略について考えさせる内容で、無料モデルはたしかに存在する。「フリー」というタイトルには説得力があった。ではWebが本当に死へと向かっているかというと、そんなことはないし、そもそもWebの衰退が「Webは死んだ」のポイントでもない。ところがタイトルのインパクトから「Webは死にかけているのか?」というズレた議論が盛り上がっている。

もちろん「……は死んだ」を額面通りに受け取らない読者も多い。音楽業界では70年代から「ロックは死んだ」というフレーズが度々使われてきたが、ロックは今でもしぶとく生き続けている。パンクのようなリスナーの心をわしづかみにした新しいジャンルが定着し、インパクトが薄くなると「死んだ」と言われる。ムーブメントの終わり、時代の変わり目を言い表す言葉なのだが、「Webは死んだ」からはそうしたニュアンスが十分に伝わってこない。今回のタイトルは少々攻撃的過ぎで、誤解を招くように思う。

さて、「Webは死んだ」におけるAnderson氏のポイントは「インターネットの産業化」である。オープンスタンダードはプレイヤーの林立という混乱を生み、産業として成長するには寡占というプロセスが必要であるという。たとえば鉄道線路のゲージがオープンだった1920年に米国では186の鉄道会社が存在した。全土的なビジョンで設計されていないため鉄道ネットワーク間を貨物車が行き来できず、輸送範囲が限定的になる。それでは成長に限りがあるから、米国全体をカバーする輸送の実現を目的に統合が進み、今日では7社によって全米がカバーされている。電話もスイッチボードによってネットワークが相互に繋がれるようになったが、1894年にAT&Tの親会社の特許が切れると6000以上の独立系の電話会社が誕生した。その状態では全米をカバーする長距離通話サービスが複雑なものになってしまう。結果的に1939年までにAT&Tがほぼ全ての長距離通話網と電話の5分の4を支配下に収めた。

「発明→プロパゲーション→アドプション→コントロール」が産業化の自然な流れであり、「ある種のモノポリ、少なくともオリゴポリを経ずして富が築かれた例はほとんど存在しない」とAnderson氏は述べる。コントロール=寡占が支持される背景には前述のようなユーザーの生活を便利にするサービスの実現があり、Webにおいてもその変化がはっきりと見て取れるようになり始めたというわけだ。

8月にGoogleがVerizonと共にネット中立性を実現するための枠組みを提案した。ISPによるトラフィック制限を禁じる一方で、ISPにプレミアサービスの提供を認める内容が盛り込まれている。これに消費者団体などが反発し、GoogleのオープンなWeb支持は看板倒れという厳しい意見も目立つ。だがAnderson氏が語るように産業化の流れが不可避であるのならば、どのように寡占に導いていくかを考えることも重要だ。史上最大の企業分割と言われるAT&T解体が1984年に起こったように、モノポリは強大な独占権の乱用につながるリスクをはらむ。成長と競争のバランスを保つ形でインターネットの産業化を進めていかなければならない。この企業側の課題についてはWolff氏が書いているので、別の機会にあらためて取り上げたいと思う。

「Webは死んだ」というタイトルには悲壮感が漂うが、これはインターネットが産業化へと進む際の警鐘であり、実際のところWebはいま非常に健全な成長を遂げている。ソーシャルネットワーキングの広がりが新たなビジネスチャンスを生み出し、われわれは専用アプリでWebベースのサービスを便利に使用でき、またWebブラウザがクロスデバイス/ クロスプラットフォームなWebサービル利用を実現してくれる。

「Webは死んだ」はWIRED誌の9月号(8月末発売)のカバーストーリーで、18日にWebで無料公開された時点では雑誌版およびiPadアプリ版は発売されていない。異例と言えるタイミングでのカバーストーリー公開である。内容が内容だけにネットでの議論が9月号の売上げ増に結びつくと考えたのだろう。"死んだ"と言いながらもAnderson氏自身、いまのオープンなWebの力を強く信じているのだ。

今週に入って書店に並び始めたWIRED 9月号