イルカに関する日米間のトラブルのニュースを目にすると、筆者は米国に住み始めた頃を思い出す。アパートをシェアしていた米国人とスーパーに立ち寄ったとき、売られているツナ缶に「Dolphine Safe」(イルカに無害)と書かれているのに気づいた。"ツナ缶にイルカ"、その時は頭の中で2つの関係が結びつかず、また米国社会がよく分かっていなかった頃だったので、何も考えずに「何これ? ツナ缶にイルカの肉が混ぜられた事件でもあったの?」と聞いたら、本当にどん引きされた。十数年前の話だが、驚かれ方がものスゴかったので今でも覚えている。

マグロ漁ではイルカが目印になるそうで、そのため1970年代に流し網がマグロ漁で普及すると大量のイルカが巻き添えになった。そこで海洋ほ乳類の保護に熱心な欧米で「Dolphin Safe」が導入された。イルカを犠牲にしない方法で捕られたマグロからの加工品に付けられる。その分コストがかかるため価格は高くなるが、導入後は「Dolphin Safe」のツナ缶を選ぶ消費者が多く、いまスーパーで売られているツナ缶の多くには「Dolphin Safe」が付いている。

米国で販売されている「Dolphin Safe」マークの付いたツナ缶

太地町のイルカ漁を批判した米映画「The Cove (ザ・コーヴ)」の製作スタッフが鯨肉を提供していたカリフォルニアの高級すし店を告発したニュースを知ったとき、盗撮よりも米国で鯨肉を出していたことに驚いた。割高な「Dolphin Safe」のツナ缶が売れる国である。クロマグロ保護をアピールし、食用に適した安いネタを高めに売るのが米国における賢いすし屋経営だと思うのだが、米国であえて鯨を出すメリットがあったのだろうか……。

さて「Dolphin Safe」が興味深いのは"消費者の選択"によって、マグロ漁が海洋生物保護の方向に変わったという点だ。数年前に卵にもこの手法が導入された。運動できる広い環境で飼育されたニワトリからの卵に「Cage-Free」が付いている。こうしたニワトリには抗生剤の使用も抑えられているのでより安全というわけだ。「Cage-Free」の卵も値段が高くなってしまうが、食の安全に配慮したスーパーから「Cage-Free」を求める消費者の声が広まり、最近ではほとんどのスーパーに「Cage-Free」表示の卵が置かれるようになった。

放し飼いのニワトリの卵に「Cage-Free」

より安い製品の提供を追求する業者に、コストのかかる海洋生物保護やニワトリの放し飼いを実行させるのは難しい。そうした状況を劇的に変えてしまうのだから、やはりユーザーの声は強い。

IT産業でも"ユーザーの選択肢"が良しとされるが、どちらかと言えば囲い込みの方が目立つ。そのような状況を変えようと、Googleが「Cage-Free」の手法をマーケティングに導入しているのをご存じだろうか。ユーザーが同社のサーバに収めているデータを「Cage Free Data」とアピールしている。

サーバ農場育ち、放し飼いのGoogleデータ

GoogleシカゴオフィスのData Liberation Frontチームが昨年9月に「Data Liberation」を立ち上げた。Googleのサービスにユーザーが置いているデータを、所有者であるユーザーが自由に持ち出すための情報を提供するサイトだ。現在、AdWords、Blogger、Gmail、Docs、Contacts、YouTubeなどを含む25サービスのデータ・エクスポートの方法がリストされている。

ユーザーをサービスにロックインせず(縛り付けず)、クラウド上のデータをユーザーが自身で管理できる環境は、Googleが後押しするデータポータビリティの確立につながる。今年1月にData Liberation Frontチームは、PCに貼る「Cage Free Dataステッカー」の提供を開始した。「100% Free Range」(100% 放し飼い)、「Server-farm Raised」(サーバ農場肥育)、「No Lock-in」(ノー・ロックイン)と、なかなか上手いコピーが並ぶ。

GoogleのData Liberationの「Cage Free Data」ステッカー

Googleのサービスは無料なので、Cage Freeの卵のようにユーザーがより高い料金を支払うわけではない。「Cage Free Data」でユーザーが貢献するのはクラウド・サービスの利用だ。クラウドにデータを置くというのは、セキュリティやデータコントロールなど、誰でも何かしらの不安や抵抗を感じるものである。そうしたユーザーに、データを縛り付けない(Cage Free Data) 信頼できるオンライン・サービスを選択してもらうことで、データポータビリティが広まり、引いてはクラウドサービスの普及につながる。ちなみにData Liberationを立ち上げた後も、Googleのデータ・エクスポート機能の利用率は以前から変わっていないそうだ。

昨年GoogleがData Liberationの立ち上げをあまりアピールしなかったため、その存在を知る人は多くなかったが、最近になってシカゴ・オフィスの活動がメディアに取り上げられる機会が増えてきた。モバイル市場への浸透、プライバシー問題などを含めて、Googleのインターネット独裁を批判する声が日増しに強まっているのが理由だろう。

オンライン広告市場におけるGoogleの存在が脅威的である一方で、GoogleのシェアはWebの進化を加速させるものでもある。「Cage Free Data」は後者を分かりやすく示し、Googleのシェアをユーザーの声に変える試みになる。「データポータビリティをサポートしますか?」と問われて、「Cage Free Data」を否定できるだろうか。

もちろん前者と後者は表裏一体であり、「Cage Free Data」がユーザーの声になればオンライン広告市場にも影響が及ぶ。例えば「Dolphin Safe」のケースでは、手間のかかるマグロ漁が求められた影響で、人件費の上昇に対応できなかった米国のマグロ漁業者が大打撃を受けた。「ツナ缶にイルカ」「データポータビリティをサポートするために、Googleを利用」に違和感を感じる人もいるだろう。だが「Dolphin Safe」や「Cage Free Data」のような手法を否定するのは難しい。Google以外のネット企業も積極的に「Cage Free Data」をサポートしていかないと、Googleの一人勝ちを助長することになる。「Cage Free Data」は「Don't be Evil」をモットーとするGoogleらしい拡大戦略と言える。