「18カ月ごとにソフトウエアの重さは2倍になる」

Googleの共同設立者Larry Page氏の言葉で、同社内では「ペイジの法則」と呼ばれているそうだ。ムーアの法則をネタにしたジョークだが、的外れな表現ではない。同じPCを長く使い続けていると、どんどん動作が鈍くなるのはソフトの高機能化も原因の1つ。ハードウエアの高性能化に歩調を合わせているケースもあるが、ユーザーのニーズに応えてソフトウエアが成長している分野もある。さしずめWebアプリは後者だろう。この場合、ソフトウエアの鈍重化が動作環境の向上を上回ってしまう可能性もある。そうなるとユーザーの期待に応えても、結果的にユーザーの利用体験を損なってしまう。特にWebアプリの場合は、ハードウエアだけではなく、Webブラウザや、ネットワーク帯域やWebページの最適化など様々な要因の影響を受ける。Webプラットフォームを推進するGoogleがペイジの法則を打ち破り、ユーザーに快適な利用体験を提供するには、これら全てを解決する必要がある。これが問題だ。

Google I/Oで「ペイジの法則」を語るSergey Brin氏

手始めはChromeだった。JavaScriptの実行速度にユーザーそして業界の目を引きつけるのが狙いで、これに他のWebブラウザ・メーカーが乗ってくればGoogleにとっては十分。シェア獲得は二の次だった。以来、あの手この手でWebプラットフォームをより高速に、そして快適にするための取り組みを打ち出している。

ただWebのスピードアップはGoogleをして手に余る仕事であるようだ。23日(米国時間)に公式ブログの「Webをより速く」という記事の中で同社は、Webのスピードの問題は「Google単独では解決できない」と打ち明けている。その上で、Webに関わる全ての人にWebプラットフォームの高速化の取り組みへの参加を促しているのだ。

膠着状態を動かした心理学者の視点

Webの高速化が実現すれば、今日もっともビジネス的なメリットを受けるのはGoogleである。その事実がちらちらするから、Googleの啓蒙活動を色眼鏡で見てしまう。ただ協調なくしてWebの飛躍的な高速化を実現できないのは事実であり、またWebの高速化がわれわれの生活水準を引き上げるというGoogleの主張もまた真である。というのも、Googleの「Webをより速く」にタイミングを合わせるかのように、米国時間の26日に「Netflix Prize」の"10%の壁"がついに破られたのだ。

Netflix Prizeは、米国のオンラインDVDレンタルサービス「Netflix」が2006年10月に開始したアルゴリズム・コンテストだ。同社のレコメンデーション・エンジン「Cinematch」の動作を10%向上させる成果に100万ドルの賞金が支払われる。

スタートからわずか2週間で150件を超える登録があり、そのうちのいくつかはいきなりCinematchを超えるものだった。AT&T ResearchのBellKorや、プリンストン大学の卒業生で構成されるDinosour Planetなどが上位を占めながら、最初の頃は順調に成果が伸びていった。コンテストは数ヶ月で終了すると見られた。ところが次第にペースが遅くなり、8%を目前にぴったりと伸びが止まってしまった。そのうち10%は厚い壁と見なされるようになり、10%超えは不可能という声も聞こえるようになってきた。

そんな膠着状態の中で面白いことがふたつ起こった。まず06年末には3位の好位置につけていたsimonfunkが自身のアルゴリズムを公開してしまったのだ。行き詰まった末に100万ドルではなく、コミュニティによる問題解決という賞品を選んだのだ。これが刺激になってsimonfunk以降、情報交換と協調が活発になり、コミュニティ全体でトップ5を脅かす競争が生まれた。

もうひとつは2007年11月に突如として登場したJust a guy in a garageだ。誰も聞いたことのない名前で、ほかの登録者との交流もなく、しかもオープンな情報を利用していない様子。それでも、いきなり7.15%の成果を登録。その後もめざましい進化を遂げて2008年の1月には8%を叩きだしてDinosour Planetを追い抜いてしまったのだ。

Just a guy in a garageはAI研究者に転じた英国のプログラマで、高速化へのアプローチが他の登録者と異なっていた。Netflixのリコメンデーション・システムは8.5%程度まではコンピュータの予測でまかなえる。だが残る1.5%の向上には人の曖昧な判断が多分に影響しており、それが大きな壁となっていた。数学者と心理学者の知識を兼ね備えたJust a guy in a garageは、AI研究者という立場からむしろ1.5%部分の攻略に秀でていたと言える。

10%を達成したのはBellKor's Pragmatic Chaosだった。AT&T Researchの統計研究所から2人、オーストリアのリサーチ/コンサルティング機関Commendoでマシンラーニングを専門とする2人、カナダのPragmatic Theoryの創設者とエンジニアの2人、イスラエルのYahoo! Researchのシニアサイエンティストの合計7人。分野も、国籍もバラエティ豊かな"合同チーム"である。コンテストの内容、そして10%の壁の厚さを考えて、異なる分野のトップチームが協調した。30日の間、Pragmatic Chaosの10.05%という記録が破られなければ100万ドルを獲得する。現在、2位の成績は9.80%だ。だが例え破られたとして、不可能と言われた10%の壁を最初に破った功績は記録に残るだろう。

わずか10%と思うかもしれないが、ユーザー個々にカスタマイズされた情報が0.1%でも素速く表示されると、ユーザーの利用率が大きく異なるそうだ。「100万ドルのコストでリコメンデーション・エンジンが10%も向上するなら大バーゲンだ」(Netflix)という。

DVDをレンタルQueueに入れたら、関連作品がすばやく表示される。快適なおすすめがNetflix人気の理由のひとつ

前回、「これからの10年間では、統計学者が魅力的と呼ばれる仕事になるだろう」というGoogleのチーフエコノミストの見方を紹介したが、Netflix Prizeにおける10%の壁突破は、その言葉を実証するものである。