【コラム】
メジャーリーグ(MLB)の公式サイトMLB.comが提供するiPhoneアプリ「MLB.com At Bat iPhone」で、一部の試合のライブストリーミング提供が始まった。
これはiPhone OS 3.0のビデオとオーディオのHTTPストリーミング・サポートにより実現したものだ。対象となるのは週5試合程度。テレビ放送とのライセンス問題もiPhoneのロケーション機能を使ってクリアしている。ユーザーの位置情報からMLB.com At Batで配信する試合がローカル局の中継と重なる場合は、ローカル局が優先されるのだ。地元チームの試合が見られなければ意味がないという人も出てきそうだが、出張や旅行の時にiPhoneを使って地元チームの試合を観戦できる。ゆくゆくは放送ライセンス問題の影響を受けない有料のオンデマンド・プログラムが用意される可能性もある。
さて、MLB.com At Batの新機能は「iPhoneの"人気有料アプリ"で、ついに試合の生中継が可能に」と話題になっている。これまで同アプリの動画サービスはハイライトシーンのみだった。ライブストリーミングは数多くのMLB.com At Batユーザーから歓迎されているようだ。だが今回考えてみたいのは、iPhone OS 3.0によって実現した新機能ではなく、試合のストリーミング中継にすら対応していなかったMLB.com At Batがすでに人気有料アプリだった点だ。
昨年のシーズン途中に登場したMLB.com At Bat 2008は4.99ドルだった。フルシーズンをカバーするMLB.com At Bat 2009は9.99ドルだ。その中身はというと、基本的にベースボール・データを表示するためのアプリである。メインサービスの「Gemeday」では、アプリ名が示すようにバッターボックスからの視点で、1球ごとに試合の様子が"データ"で伝えられる。球種、スピード、コース、選手個々の成績データなどだ。球場についても、フェンスまでの距離や形、外野の広さをひと目で把握できるデータが用意されている。ほかは試合のボックス・スコア、ニュース、ハイライトシーンの動画など。2009年版ではオーディオキャストが追加された。
MLB.comの公式アプリというと誰もが試合の生中継を期待するが、AT&Tが通信サービスの品質維持に慎重であるため、これまで1試合まるごと動画で配信するようなサービスは実現できなかった。しかもSafariを備えたiPhoneでは、有料のMLB.com At Batを使わなくてもメジャーリーグの試合情報をリアルタイムで入手できる。それでもMLB.com At Batはリリース以来、シーズン中に有料アプリのトップ100を維持し続け、スポーツ分野のトップアプリに君臨してきた。
MLB.com At Batの成功は詳細なデータにある。最近は少なくなってきたものの、米国の球場に行くとスコアブックをつける観客をよく見かける。このあたりは、さすがベースボールを文化とする国である。数字や記号で表された配球やボールの動きから試合をイメージし、映像から得られる情報とは違った形で選手の心理や試合の流れを分析するファンが多い。新聞のベースボール・データの部分も、日本より充実している。
データ主体のMLB.com At Batは、こうしたスコアブックをつけるようなベースボール・ファンに受け入れられた。おそらく最初から狙っていたのではなく、AT&Tからの制限によってデータ主体にせざるを得なかったのだと思う。だが結果的にMLB.com At Batは、ゲームをより深く理解するためのデータソースとして、昔ながらのベースボール・ファンや、ファンタジーチームを持っているようなベースボール・ファンの間から広まり始めた。
ただ、データは提供すれば良いというものではない。切り取り方、見せ方がポイントになる。
「これからの10年間では、統計学者が魅力的と呼ばれる仕事になるだろう」
カリフォルニア大学バークレー校で情報科学/ ビジネス/ 経済を専門とする教授であり、GoogleのチーフエコノミストであるHal Varian氏が昨年末にMcKinseyのインタビューに答えたときの言葉だ。「こう指摘すると冗談だと思われてしまうが、1990年代にコンピュータエンジニアが魅力的な仕事になると予想した人がかつていただろうか」と続けた。
ネットを通じてクラウドにデータが集まり、またデータを持つ企業や団体、個人が、それらを独占せずに公開することでデータの価値が高まる。「Web初期の頃は、全てのドキュメントに『再配布を禁じる』という一文が付されていた。ところが今は『ともだちに知らせるには、ここをクリック』である。すでに知的財産に対する見方が大きく変化している。今後は資産を活用するために、その価値を分析する力が問われるようになる」とVarian氏。データを理解し、その価値が伝わるようにビジュアル化、または人々にとって使いやすい形でアクセス可能にするスキルが、今後の10年において評価の分かれ目になるというわけだ。
Varian氏はまた、インターネットのビジネスモデルに関して心理学者のHerb Simon氏の「豊かすぎる情報は注意力を鈍らせる」という言葉を紹介した。その上で、「今日の『インターネット経済に不足するものは何か?』、答えは"アテンション(attention)"である」とした。大量の情報に囲まれているだけのユーザーは砂漠に投げ込まれたも同然で、アテンションを引き出す案内人 (=統計のスペシャリスト)が必要になる。この後、話題はGoogleの広告モデルへと移っていくのだが、Varian氏の考え方はApp StoreにおいてMLB.com At Batが成功している理由も説明している。試合の流れに浮き彫りにするデータ提供を実現しているからこそ、iPhoneユーザーは1シーズンに9.99ドルをMLB.com At Batに投じているのだ。
AT&TがMLB.com At Batのライブストリーミングを認めたのは、その人気を評価したからだろう。ただ、一般のベースボール・ファンの期待に応えるライブストリーミングも大事だが、MLB.com At Batを特別なアプリにしてきたデータ提供についても今後さらに追求していってもらいたいところだ。ボールカウントごとの打者の成績、走者のいる状況での成績、状況に応じた過去の戦術との比較など、試合をより深く読み解けるデータをリアルタイムで入手できるようになれば、テレビの前や野球場でMLB.com At Batが欠かせなくなる。例えばベテラン左腕ジェイミー・モイヤーに対してアスレチックスのエリック・チャベスは左打者ながら4割を超える相性の良さだ。だからチャベスがスタメンを外れている時でも、モイヤーに対しては代打に使われることがあるものの、解説者の説明不足からお茶の間では左に左をぶつける不可解な采配に思われることがしばしばだ。アテンションが常にリアルタイムで示されれば、緊迫感のある対決として楽しめる。勉強不足でテレビ局が用意したデータを生かし切れない解説者よりもずっと役に立つはずだ。
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