Amazon.comが「Kindle 2」を発表して以来、米国で電子ブックがふたたび注目され始めた。家電量販店でSony ReaderやネットブックなどKindleのライバル製品をまとめた電子ブック・コーナーを見かけるので、Kindleだけの話題ではないようだ。初代Kindleが発表された時は電子ブックリーダーばかりに話題が集中したが、今回はオンライン配信や書籍データのポータビリティなど電子ブックを利用するメリットへと話題が広がっている。実際に読む"体験"が語られているのは、ユーザー層の拡大を示すものと言えるだろう。

そのような中、英Penguin Booksが「We Tell Stories」という、Webサービスで"ストーリー"を伝える実験的なプロジェクトを3月18日に開始した。書籍のデジタル化ではなく、読書体験のデジタル化である。老舗出版社による、このユニークなアプローチはテキサス州オースチンで開催されたWeb/音楽/映画カンファレンス「South by Southwest (SXSW)」で高く評価され、HuluやBrightKiteのようなビッグネームを押しのけてWebカンファレンスのベストオブショーに選出された。

Webメディアを使った6つのストーリー

We Tell Storiesはゲームデザインなどエンターテインメント制作を専門とするSix to Startのアイディアを、Penguinとのコラボレーションでサービス化したものだ。5人と1カップルの6組の作家が6つのストーリーを異なるWeb手法で表現している。

例えば「The 21 Steps」はGoogle Maps上で話がどんどん進むミステリーだ。マップ上のピンをクリックすると、語りや台詞が吹き出しに表示される。時々でてくる緑色のピンをクリックすると、その場所の様々な情報が表示される。百科事典化が進むGoogle Mapsを活用した舞台装置と言える。画面は基本的にハイブリッドだが、状況に応じてマップになったり、衛星画像のみになったりする。

読む前は文字だけの本よりも、マップ上の方がストーリーの状況を想像しやすいように思ったのだが、読み手がストーリーを想像する量は本と変わらないような気がした。ただ想像で補う部分が本とマップでは違うから奇妙な読書感である。ミステリーにはぴったりだ。マップ上では歩くスピードはゆっくり、地下鉄に乗ると高速に進むというように移動や時間を実感できるのも面白い。

空港内で機内に歩いて移動

インディアナ・ジョーンズに出てくるマップのように飛行機は飛ぶ

緑のピンをクリックすると、写真などによる補足情報がポップアップ

不可欠な情報はストーリーの中に

残りのストーリーもまとめて紹介しよう。「Slice」は、主人公とその両親のブログやTwitterを通じて、4日間かけてストーリーが語られた。様々なところから情報を集めパズルをはめ込むように、読み手がストーリーを組み立てる。「Fairy Tales」はおとぎ話の登場人物の名前や設定を読み手が選択できる。双方向性が特徴。「Your Place and Mine」は、2人の作家がストーリーを書く様子が画面上でライブ進行する。急に進んだり、削除されたりと、刻々と変わるストーリーを楽しめる。「Hard Times」はプレゼンテーションのスライド風に話が進む。詩のような言葉、広告に使われるような短い文章、統計数字などが配置されているだけ。それゆえに、眺めている(読む)と想像がふくらむ。「The (Former) General」はストーリーをどの方向に進めるかの選択肢が画面に出てきて、読み手を選びながら進めていく。ストーリーの"方向"がカギで、ストーリーの横に小さなマップが表示され、選択を繰り返していくとストーリーマップが完成する。ストーリーの進行を大局的に、目に見える形で確認できる。

読み手がキャラクターを設定する「Fairy Tales」

プレゼンテーション風の絵本?「Hard Times」

読みやすいNYT紙Web版プロトタイプ

We Tell StoriesはWebメディアの可能性を示すものだが、話にのめり込めるのはThe 21 Stepsのみ。残りはストーリーをフォローする作業に気をとられて、中身には集中しにくい。6つのストーリーはそれぞれクラシック小説から着想を得ており、Webメディアを使ったクラシック小説のリミックスとも言える。現段階でPenguinの大きな狙いは、Webメディアを通じてストーリーを体験してもらい、書籍販売につなげることだろう。ただ今後、Webメディアを通じて語られるストーリーは増えることはあっても減りはしない。当然、Webメディアの可能性を探る野心もありそうだ。

今日のWebは書籍・雑誌、テレビ、ラジオなど数多くの役割をこなしている。だがストーリーを伝えるという点では、いずれもオリジナルの焼き直しの域を超えていない。コンテンツをどのようにWebメディアに載せるか考えなければ、ユーザーの快適な利用にはつながらない。そこにWebメディアが一皮むけずにいる原因の1つがある。

例えば、New York Times紙のWeb版がアーティクル・スキマーという記事表示機能のプロトタイプを提供し始めた。これがとても見やすい。記事がタイル上に並び、Webブラウザの画面で効率的にその日の記事を把握できる。一時、同紙は新聞をWebブラウザで再現することに努めていたが、それではWeb版が新聞を超えられないし、そもそも記事に目を通すために新聞風が最適なのかという疑問も残る。アーティクル・スキマーは新聞の一覧性にWebのダイナミックさや双方向性が組み合わされていて、新聞や既存のWeb版では得られない感覚で記事をチェックできる。これぞWeb版の新聞と思える出来映えで、Web版に対する同紙の本気が伝わってくる。

New York Times紙のWeb版のアーティクル・スキマー

電子ブックもオンラインで手軽に書籍を購入できたり、数十冊を小さな端末で持ち歩けるという点ではわくわくさせられるが、本を読むという体験においては以前と変わらない。電子辞書、しおりやハイライト機能などは便利だが、本の再現を目指しているうちは電子ブックが本の読書体験を超えるのは難しいだろう。コンテンツ作りやストーリーテリングの手法もネット時代の読書スタイルに最適化させる必要がある。その意味で、Penguinのような老舗がWe Tell Storiesのような実験に乗り出したのはKindle 2の登場以上に重要な出来事に思える。