年明けからRobert Scoble氏のFacebook批判が話題になっている。同氏がFacebookで築いたコンタクト情報を吸い出すスクリプトを走らせたところ、Facebookは規約違反として同氏のアカウントを削除した。厳しい対応に困惑した同氏は、その過程をブログで公開。Fecebook上で利用できるデータは同氏のデータと認めて解放すべきだという声があれば、セキュリティが最優先されるべきであり、そのための規約に従わない同氏はデータ泥棒も同然という人もいるなど、賛否両論である。

Scoble氏はMicrosoft在籍時に、社員ならではの情報を自身のブログ「Scobleizer」で公開して広く一般に知られるようになり、MicrosoftのSpokesbloggerと呼ばれていた。06年に退社した際にはMicrosoftが貴重な広報を失ったと言われたが、一部ではMicrosoftが同氏の自由な発言を嫌ったという報道もあった。

さてScoble氏が用いたという情報収集目的のプログラムは、Plaxoのアルファサービスだった。Palxoのコンタクト管理サービス「Pulse」にFacebookのコンタクト情報をインポートし、Pulseを介して、それらをMicrosoft Outlookなどでも利用できるようにしたかったという。吸い出したコンタクトデータは、氏名とEメールアドレス、誕生日などで、ソーシャルグラフ情報は含まれていなかった。Scoble氏は悪用するためではなく、ネットユーザーの利便性を高める試みであったことを強調。同氏のFacebookアカウントの5,000人分のコンタクトのうち、1,800人がすでにPlaxoユーザーだったというから、インポート可能になれば確かに便利そうだ。なお同氏は機密保持契約を結んでPulseの新機能をテストしていたため、当初はスクリプトの詳細には口を閉ざしていたが、騒ぎがあまりにも大きくなったためPlaxoから情報公開のお許しが出たようだ。PlaxoがFacebook対応を進めていることが明らかになるというおまけ付きの騒動となった。

自由とリスクの間のデータポータビリティ

Facebookでは、Facebookプラットフォーム対応アプリを用いて、自分のアカウントに集まったメンバーの様々なデータを収集することが可能だ。しかし、それらを他のサービスに持ち出すのは認めていない。Scoble氏の支持者に言わせると、Facebook上のコンタクトはユーザー自身の交友関係であり、そのコンタクトデータはユーザーの持ち物である。自由に持ち出して、他のソフトウエアやサービスで利用できて当然というわけだ。Scoble氏は、FacebookではGmailからコンタクト情報をインポートできるのだから、その逆も認めてほしいと述べている。

一方で、ウエブメールサービスならともかく、SNSでは事情が異なるという声もある。自分のパソコンからインポートしたコンタクトや直接入力したデータはユーザー自身のデータと言えても、SNSでのメンバー同士の関係からアクセスできるようになった情報に関してアクセスできる側が所有権を主張するのはおかしいという。Facebookユーザーは、Facebook内という安心感があるからプロフィールを公開しているのであって、持ち出されるのならプロフィールの内容を考え直すユーザーが多いと見る。

Facebook側は自動スクリプトを認めない理由として、スパムや悪意のある攻撃、サービス品質の低下などを避けるためと説明している。Scoble氏については、悪意のある行為ではなかったことを確認したため、すぐに削除したアカウントを元の状態に戻した。

昨秋に広告戦略を打ち出して以来、プライバシー保護に敏感なFacebook

OpenSocialはオープン・ガジェットにすぎない?

ネット上にたまっていくデータを幅広く自由に利用できるようになれば便利だと思うが、Scoble氏のようにユーザーの利便性向上のために利用する人ばかりと考えるのは危険だろう。一方で、FacebookがSNS市場の縄張り争いにユーザーデータを利用しているという指摘もある。OpenSocialという強力なライバルが登場した後では、その可能性も否定できない。

昨年5月にFacebookがオープン宣言をし、10月末にGoogleがOpenSocialを投入したことでSNSのオープン化が一気に進んだような雰囲気になったが、実際には大きな前進には至っていないのかもしれない。昨年11月にベルリンでWeb 2.0 Expoが開催された際、OpenSocialのセッションの後にTim O'Reilly氏がデータ共有の仕組みを持たないOpenSocialを痛烈に批判していた。"データ活用"、"小さなピースがルーズにつながり合う"という「Web 2.0を成り立たせる2つの根本を満たしていない」と指摘。OpenSocialを通じて同じアプリが異なるSNSで動作しても、ユーザーのメリットは小さいと述べた。例えばGoogle Mapsはマッシュアップをサポートしたから受け入れられたのであって、MapQuestに対抗するためのマップアプリを作るフレームワークだったら成功してはいなかったと断言する。その指摘が08年にいきなりトラブルとして表出した形だ。

ユーザーが情報を提供しているからといって、サービス側の自由な利用を認めているわけではない。SNSに限らずネット上のデータが誰のものかと考えれば、公開・共有の範囲を含めてユーザー自身が管理・把握できる仕組みが求められるだろう。その上でデータポータビリティの実現を考えるべき時期だと思うのだが、SNSの急速なアプリケーションプラットフォーム化との距離が開くばかりなのは気がかりなところだ。