ファーガソン監督は、マンチェスター・ユナイテッドというクラブのブランディングに大きく貢献した人物である。

イングランドで、最も成功を収めたクラブの一つだったユナイテッドだが、かつて様々な意味で規律を欠き、凋落した過去があった。

天才とうたわれながら、プレッシャーから酒と女に溺れ、若くして才能を浪費してしまったジョージ・ベスト(1963年から1974年にかけてプレー)。ベストが27歳でクラブから離れたユナイテッドは、その年、2部に降格してしまう。1980年代に入ると、ドレッシングルームが酒の臭いに満ち、チーム成績も低迷したことは、すでにこのコラムでも紹介した。

ファーガソンの管理手法が優れているのは、こうした過去の悪しき例を繰り返すまいと、厳しい規律をプログラミング化していったことにある。

著者プロフィール

鈴木英寿(SUZUKI Hidetoshi)


1975年仙台市生まれ。東京理科大学理学部数学科卒。専門誌編集記者を経て、国際サッカー連盟(FIFA)の公式エディターに就任。FIFA主催の各種ワールドカップ運営に従事する。またベガルタ仙台(J1リーグ)のマーケティングディレクター、福島ユナイテッドFC(JFL)の運営本部長などプロクラブでも要職を歴任した。

現在は英国マンチェスターを拠点にイングランドと欧州のトップシーンを取材中。

Twitter: @tottsuan1

ファーガゾンが導入した規律のうち、代表的なものを挙げると以下のようになる。

  1. 21歳以下の選手の保護 : ジョージ・ベストのように、周囲に過剰に持ち上げられ、スター気取りにならないよう様々なルールが定められている。21歳以下の選手に関しては「インタビュー取材の規制」がルール化されている。また、スポンサーから無償提供される車(現在はシボレー)については、規制年齢が2歳引き上げられ「23歳以下選手はスポーツカー禁止」(『デイリーメイル』紙報道による)にするなど、細部に至るまでルール化している。
  2. 練習場の聖域化 : 実はイングランドの多くのクラブがそうなのだが、たとえ出入り記者であっても(常に試合取材が許されても)、練習場への出入りは原則禁止。ファンの出入りはもっての他、である。「フレンドリーなクラブ」を標榜するウィガン・アスレティック(日本代表の宮市亮が所属中)のようなスモールクラブも練習場の入口は、分厚い扉と柵に囲まれ、練習内容は見学できない。最も厳しい管理方法で知られるのがユナイテッドで、練習場前約1キロメートルから警備員が配置され、誰が出入りするのかモニタリングされている。
  3. 徹底した情報管理 : チーム情報を徹底して管理し、それを暴こうとするジャーナリスト・記者の締め出しを容赦なく行ってきた。
  4. メディアとの緊張関係 : たとえばBBC(イギリスの公共放送局である英国放送協会、日本でのNHKに相当)のような絶対的なメディアに対しても怯むことは決してない。2004年、BBCが、ファーガソンの息子(サッカーの代理人)とのビジネスにまつわるドキュメンタリーを放映した後、両者は絶縁状態に陥り、ファーガソンはBBCのインタビューを一切受け付けなかった。この闘争は2011年まで続いた。

このうち1と2は「選手管理」、つまり「商品管理」の手法である。考えてみれば当たり前のことだが、まだ育ってもいない商品を厳しいテストにかけないまま市場に送り出すのは不適切だし、その過程を消費者にさらす必要もさらさらない。だが、それが当たり前となっているドイツのリーグなどから来る記者は(ましてや練習場がファンとの交流の場となっている日本の記者はなおのこと)、この厳しい管理に驚くのだが。

3は「チームブランド」を守る手法として理解できる。

ファンはなぜ、スタジアムに足を運ぶのか。なぜ、チームのユニホームを購入し、テレビに釘付けとなるのか。本拠地オールド・トラフォードの愛称は「夢の劇場(Theatre of Dreams)」である。

マンチェスター・ユナイテッドが大きくビジネス面で進化を遂げたのは、1990年代に入ってから。チームがタイトルを次々と獲得していく中で、マーケティング戦略も奏功し、グローバルなファン獲得に成功。クラブ商品の売り上げも飛躍的に伸びていく。

それらのビジネスを推進していく上で、当時よく使用されていたキャッチコピーがこの夢の劇場(Theatre of Dreams)」であり、当時のユニホームにこの英字が刻印されていたほどである。ファンにとって、歴史と伝統のあるオールド・トラフォードは聖地である。そこでプレーする選手は、ハリウッドスターにも比肩するスーパースターであり、それゆえ、パパラッチばりの取材アプローチは絶対に許されない。マンチェスター・ユナイテッドというクラブは単なるサッカークラブではなく、ファンに「夢」を与える「物語の作り手」なのである。

ほんの小さな綻びのような情報漏えいが、企業や個人を揺るがす例を、私たちはインターネット時代に入って数多く目撃してきた。それゆえ、ファーガソンは4のように、どんなメディアに対しても一歩も腰を引くことなく、戦い、「夢工場」の主としてのパーソナルブランドを守ってきたのだ。

ディズニーランドの裏側を見せる必要はないし、ミッキーマウスの内側を曝す必要もない。それと全く同じ発想から、ファーガソン流の規律は生み出され、世界最高クラブのブランドが確立されていったのである。