優秀な従業員が辞めるワケ

会社にとって従業員の退職は大きな痛手です。優秀な従業員であればなおのことです。あいた穴を埋めるまで、とりあえず今の従業員でやりくりし、早急に募集広告をし、試験面接をし、採用、その後の教育、試用期間の設定……考えただけでも憂鬱になります。とくに今は、労働市場における需給関係が逆転してきており、買い手市場から徐々に売り手市場になってきています。「今まで以上に人員の確保が難しくなってきている」- ここ半年ぐらい、経営者の方からこうした声をよく聞くようになりました。

私のクライアントの中にも、大量のアルバイトに支えてもらっている会社では時給の増額を余儀なくされ、今経営計画の見直しを始めているところもあります。学生アルバイトが卒業によって辞めてしまったり、定年による退職は止むを得ないとしても、会社としては優秀な人材が辞めてしまったら困るのです。

では、なぜ彼らは辞めてしまうのか? 以下、私が退職者からよく聞く退職理由です。

  • 給料が安い
  • 休みが少ない、残業が多い
  • 上司との折り合いが悪い、尊敬できる上司がいない
  • 職場の雰囲気が悪い
  • 会社にいても夢が持てない

実は、これら数々の退職理由は一言で表現することができます。

やりがいを感じられない

「給与は確かに安めかなあとは思いますし、会社の将来性にも疑問はあります。でも、仕事は楽しいし、職場の雰囲気もいいんです。どうしても我慢できないのが、今の上司との関係です。とても尊敬できる人ではないんです。だって彼のやり方といったら……(上司の悪口が延々続くので中略)……彼を人として信じられません。もうやりがいを持って仕事に取り組むことができないんです」- 私が退職者から聞く最終的な理由は、いつもこの類です。

経営者の「本気」が伝わった再建例

では、どうしたらやりがいを持って仕事に取り組んでもらえるのでしょうか。「簡単だよ! できる限り給料を上げて、休みを取りやすくして、残業はさせない。それから部下を定期的に飲みに連れて行ってコミュニケーションを図ればいいんだろ」……はたしてそうでしょうか? 具体的な処遇の積み重ねはたしかに大切です。でも人間の心はそんなに単純なものではありません。目の前にニンジンをぶら下げただけで、馬車馬の如く走るようだったら誰も苦労はしません。重要なのは、従業員の対するさまざまな待遇の中に「心」が込められているかであり、それが「伝わる」かなのです。

ここに奇跡的に従業員のやりがいを引き出すことができた、ステレオ部品の製造メーカーの例を取り上げます。

その会社の作る部品はその独特のデザイン性で一部のマニアに高く評価され、最盛期には、従業員が10名ほど、売上高も2億円超ありました。ところが、近年のデジタル化の波に乗ることができず、売上がここ数年徐々に減少していき、最盛期の4割ほどに激減、従業員の数もリストラにリストラを重ね4名にまで減少していました。借入金額も年商と同額ほどあり、財務的に赤信号が点灯していました。借り換えを含めた借入返済の再計画や、利益率向上のための新製品開発の総合的な検討など、再生に向けた提案をいくつもしていきましたが、そうした案に対して実際は「動かずにじっとしている」経営が膠着状態に陥っている会社となっていました。

社長と私が会社の清算も止むなしと考え始めたころでした。社長は、従業員の「全取り替え」を決断します。会社がこのように長い間どん底状態だったので、すっかりやりがいをなくしていた従業員はすんなり退職を受け入れてくれました。そして新たに従業員を募集し、最後の賭に出ることにしたのです。

給料よりも有休よりも従業員を引きつけるものは仕事へのやりがい。責任ある仕事をやりがいをもってこなす社員が多くいる職場は自然に業績も上がっていく

募集採用に際して、社長は腹を決めていましたから、会社のどん底状況のすべてを話しました。売上高や累積損失、借入金額はもちろんのこと、さらには、給料も以前の従業員の給与より下がることまで、内情のすべてを伝えました。ただし現場はすべて、完全に従業員に任せることにしたのです。「好きにやっていい。責任はすべて自分が取る」- 社長は新入社員の前で明言しました。

1年後、成果が表れました。人件費を削減したのですから、その分の利益が出るのはあたりまえですが、それを上回る利益を達成しただけでなく、なんと売上までも伸ばしてしまったのです。もちろん新製品の投入があったわけでもなく、新たな広告宣伝費をかけたわけでもありません。既存製品の販売を地道にしていただけであり、経営の表面上は以前とまったく何も変わっていないのです。でも、従業員の表情は違っていました。「やれやれ(溜息)」といった感じで働いていた前の従業員に比べ、今の従業員は生き生きと働いているのです。社長がやったことといえば、現場の経営者から離れ、責任者としての経営者に退いただけ、失礼な言い方をすれば「何もしていない」のです。ですが、この「何もしない」ことで、社長は従業員に対し、まぎれもなく働きやすい環境を提供したのです。

具体的には、お客さんに対する対応が良くなりました。電話、FAX 、メールに対する迅速な対応、製品の納期の短縮、Webサイトの定期的な更新などによるお客様への情報提供が格段に改善した、と社長は言います。そういった対応が自然に売上の向上につながったのでしょう。

労働環境の改善がもたらしてくれるもの

これは極端な例ですが、働きやすい労働環境を提供することは経営者にとって大切な経営戦術となります。やりがいを引き出すために、中小零細企業経営者の方にぜひとも検討していただきたいことを以下に挙げます。

  • 就業規則の制定、改訂
    従業員との話し合いの中から十分検討されたものであることが重要です。また、すでに就業規則がある会社では、それが十分機能しているかどうか検討し、必要に応じて改訂してください。
  • 給与(賞与、退職)規定の制定
    経営者または管理職の「お手盛り」になっていないか、従業員が納得できる基準になっているかをチェックしてください。

経営者の方はぜひ、これらを通じて従業員に対する「思い」を伝えてください。これらの制定、改訂作業における従業員とのコミュニケーションによって、実は経営上、非常に重要な「資料」を得ることができるのです。

(イラスト ひのみえ)