自動翻訳システムはどこまで普及するか

最近の自動翻訳システムは音声認識・AI技術の進歩で、個人で十分に買える価格の翻訳端末システムでもTOEIC 800点レベルの正解率であるらしい。ついこの前も大手町辺りの居酒屋で飲んでいたら面白い光景を見た。居酒屋に外国人観光客が入ってきたが、予約の席以外はいっぱいである。そこで店員が端末を持って現れると、観光客が端末に話しかけている、その結果を見た店員が今度は自分で端末に話しかけそれを見せると観光客は"納得"という表情で去っていった。たぶん「今日は予約ですべていっぱいです。申し訳ありません」、とかなんとか言ったのだろう。あの騒々しい店内で瞬時にこのやり取りができる性能を備えた自動翻訳端末が、こんなに身近で使われていることにいささか驚いた。

自動翻訳は記録文書の翻訳では今後大きく活躍すると思う。例えば、EUには現在28か国が加盟している。英国が離脱しても27か国で、加盟希望国はたくさんあるのでかなり大所帯の国際機関である。EUの実際の会議では主に英語(あるいはフランス語)が飛び交うが、会議録は加盟国の母国語の分だけ用意するのだという。これが非常に大きな労力とコストがかかるらしい。このような分野ではスピードとコストにおいて自動翻訳の独壇場になるのは容易に予想できる。

しかし、実際の人間同士の会話では普及は限定的であると思う。先ほどの居酒屋の例とは違って、本格的な会話をする場合はお互いの主張があって、そのエゴのぶつけ合いの手段として共通言語を使うことになるからである。人間同士で会話する場合に、人間の脳は自分が発する言葉の構築と相手が発する言葉の理解以外に大変に多くのタスクをプロセスしている。「相手はどういうつもりでこれを言っているのだろう」、「こういう風に言って来たらこれを言おう」、「おっと、そう出てきたか、すぐに何か言い返さないといけないな」、「この言い方で相手はどう理解しただろうか?」、「なんだ、この変な沈黙は?」、といった実に多くの事柄を瞬時に推測・判断している。その結果として実際に発せられる言葉があるわけで、その背景には実際にはやり取りされない膨大な分量のデータをプロセスしている。一対一の会話でも大変な仕事量であるから、複数の人間(しかも国籍も母国語も違う)が同時に参加する英語での電話会議などの複雑怪奇さは推して図るべしである。この分野は自動翻訳が到底およびもつかない領域である。実際の会話(特にビジネスでの)会話で自動翻訳が限定的にしか役立たないゆえんである。

音声認識ベースの自動翻訳は今後急速に普及するが限界はある (著者所蔵イメージ)

実際の英会話で気を付けたいこと

偉そうに会話術を論じていて、総論ばっかりでちっとも役に立たないと思っている読者に私からの30年の英会話現場の経験からの提言をすることとしよう。

言い間違いを恐れるな

あなたが変な言い方をしたからと言って誰も気づいていない。どういうかよりも何を言うかだ。何を言うかがはっきりしているのならば、会話をする時にはその件について話す主導権をとることがまず肝要。相手にペースを渡してはいけない。この点は奥ゆかしい日本人が一番苦手とする分野である。ブロークン英語でもいいから言いたいことだけははっきり言うことが肝心だ。それと同時に、重要だと思うことでわからなかったら必ずわかるまで聞き直すことだ。「その言葉はどういう意味?」、という質問を恐れずにするのは非常に大切だ。それをしないと結果的にとんでもない誤解を生む羽目になる。

発音よりアクセント

日本の英語教育では発音とアクセントを厳格に区別しているようであるが、英語では同じことである。総じて言えることは、いわゆる母音・子音の発音よりもはるかにその言葉のどこにアクセント(ストレス)を置くかの方がはるかに重要である。

人間は会話を音楽のように聞いている。抑揚のある言い方でないと相手に伝わらない。ましてや、原稿を読みながら話すなどというのは時間の無駄である。最近の映画で「シン・ゴジラ」というのがあったが、あの映画で石原さとみ扮する米国から派遣された日系アメリカ人の政府高官が英語で「ゴジラ」と言わずにことさら「ガッズイーラ」と言っているのを思い出して欲しい(あれはちょっとわざとらしかったが…)。いくら世界的に有名な"ゴジラ"でもフラットな言い方ではまったく通じない。最初の破裂音のところに勢いよくアクセントをつける要領である。アクセントは単語レベルだけでなく、文章レベルでも重要である。一番言いたい部分を強調して言わないと相手には何を言いたいのかがはっきり伝わらない。

「should」と「must」を使う時には気を付けよう

日本人は何かの件で意見を言う、あるいは何かを依頼する場合にとかく「こうあるべきだ」、「こうするべきだ」といった文脈でものをいうのが癖になっている。「私はこう思うので、こうやってくれ」という内容を伝える場合、「you should」とか「you must」などという言い方を多用して、相手から不必要な反感を買うことがよくある。これには多分に文化の違いの影響があると思う。日本人同士ではたいていの人に常識的に通用するやり方が共有されているので(昨今はこの部分も変化しては来ているが…)、ある事態に遭遇した場合にとかく「これは当然こうでしょう」という言い方をしてしまいがちだが、これは欧米人が一番聞きたくない表現である。米国のように多様な価値観が尊重されている世界で「当然こうだ」と頭から決めつけられるのは到底受け入れられない。売り言葉に買い言葉で、相手は「それは日本ではそうかもしれないが、ここはアメリカだ」、などと言い返される。こうなると、大した問題でもないのに厄介な感情的議論に発展してしまう事がよくある。本当に問答無用の命令でもない限り、shouldとmustは避けたほうが良い。

自分の立場とロジックをはっきりさせよう

相手と英語で議論をする場合、自分がどの立場でそう言っているのかはっきりさせることは肝心である。例えば、「こうして欲しい」と依頼するときに、誰のためになるのかと言うことをはっきり決めておかないと会話が変な方向に行ってしまう。カスタマーとベンダーの利益が背反しているのはビジネスではよくある話である。そんな時によくあるのが「お客がこう言っているから」と言ってしまい、「客の言いなりか? 何のための営業だ? お前の給料はだれが払っているのだ?」などと切り返され、言葉に詰まってしまう。同じことを言うのにもこの場合のロジックは、「お客が値段を下げろと言っている→値段は下げるがボリュームは上げてもらう→結局会社のビジネスが増加する→皆ハッピーになる」、という風に組んでいないと相手は納得しない。「そんなことはわざわざ言わなくても分かっているだろう」という思い込みは日本でない限り禁物である。

このようなことを偉そうに言っている私も、数えきれない失敗を繰り返し、大恥をかいた経験が何度もある。英会話はそうやって実戦で学んでいくしかない。場数を踏んでゆくうちに図々しくなり自信がついてくる。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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